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2006年4月14日 (金)

俗流若者論ケースファイル79・読売新聞社説

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 冬枯れの街:警察庁による「バーチャル社会の弊害から子ども守る研究会」設置~オタク表現の危機「パンを捨て剣を持て!」~
 アキバの王に俺はなる!:教育基本法改正は少年犯罪とニートの増加によるもの
 保坂展人のどこどこ日記:教育基本法と「愛国心」の行き着く先は(保坂展人氏:衆議院議員・社民党)
 西野坂学園時報:福笑い読売(1)…「子育て>>キャリア」??

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 読売新聞の、教育や青少年に関する社説の問題点については、これまで2度ほど述べてきた。連載の第15回第72回である。その中でも、特に第15回において検証した平成17年3月16日付社説のほか、年の最初のほうで掲載される社説などに見られる傾向であるが、やたらと青少年問題の「原因」を、青少年における「愛国心」の欠如に求め、教育基本法の改正を主張する、という特徴が強く見られる。第72回で検証した社説には「愛国心」に関する記述はなかったけれども、それはほとんど例外といってもいいほどだ。

 というわけで、今回検証するのは平成18年4月13日付読売新聞の社説「[教育基本法]区切りがついた「愛国心」論争」である。この社説もまた、教育や青少年問題に関する同様の社説と同様、執拗に「愛国心」を教育基本法に入れることを求めるとともに、社説における青少年問題に対する認識の乏しさもまたひけらかしている。

 問題の多い、次のくだりを見てみよう。

 そもそも、不毛な論議に終始していられるほど、日本の教育は楽観できる状態にない。

 戦後間もない1947年に制定された現行法は、「個人の尊厳を重んじ」などの表現が多い反面、公共心の育成には一言も触れていない。制定当初から、「社会的配慮を欠いた自分勝手な生き方を奨励する」と指摘する声があった。

 青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延(まんえん)などを見れば、懸念は現実になったとも言える。

 自公両党は、改正案に「公共の精神」を明記することでも合意している。「親こそ人生最初の教師」との考えから「家庭教育」の条文も新設し、ニート(無業者)の増加を念頭に、「勤労の精神の涵養(かんよう)」を盛り込む。

 日本社会の将来のしっかりとした基盤を作る上で、極めて重要なことだ。教育基本法の改正は時代の要請である。

 (平成18年4月13日付読売新聞社説、以下、断りがないなら同様)

 まず、基本的な間違いを指摘しておこう。まず読売の社説が好んで引き合いに出す《青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化》だけれども、これははっきりいって根拠が乏しい、ということに関してはこれまでも再三述べてきた。というわけで同じことの繰り返しになってしまうが、口をすっぱくして言うと、少年による凶悪犯罪はピークの昭和35年ごろに比して著しく減少しており、過去の事例にあたってみれば(赤塚行雄[1982-1983])、もしこの事件が今起こったらマスコミは喜んで「理解できない」という論調を繰り返すだろうな、という事件はかなり多く起きていることもわかる。あまつさえ《青少年の心の荒廃》なる記述は、それがほとんど常套文句と化しているゆえ、どのようなことを指すのか、ということがあいまいである。

 そもそもこの社説の書き手は青少年の心が本当に荒廃している、と考えているのかもしれないけれども、「心の荒廃」とは何か?結局のところ、マスコミが面白がって報じる若年層の「問題行動」でしかないのではないか?ちなみに社会学者の浅野智彦氏らのチームの行った調査では、青少年の道徳意識は交代しているわけではない、というデータが出ている(浅野智彦[2006])。

 また、このくだりにおいて、この社説の書き手が不満に感じていること――すなわち、いわゆる「青少年の心の荒廃」なるものやライブドア事件――の原因がすべて「教育」であるとはっきりと述べられている。青少年がらみのことに関しては先ほど批判的資料をあげたけれども、ライブドアに関しても、ひたすら「教育」を連呼して、それ以前の制度の問題や合意形成、および罰則の規定について政治の責任が問われることはないのだろうか。そもそもライブドアは経団連の求めた(!)規制緩和によりインターネット事業よりも企業買収を繰り返すことがビジネスモデルとなってしまった、という側面も確かに存在する(大鹿靖明[2006])わけであり、それに関する議論はあまり行われておらず、せいぜいライブドアがフジテレビの株を取得しようとした頃くらいであろう。

 何でもかんでも「教育」の責任にしてしまうことは、さまざまな弊害を持っており、そしてこの社説はその弊害を見事に示している。「教育」という言質を振りかざすことによって、自分が不快に思っている問題を個人の精神の問題にすることができ、制度や政策は一切不問になる。さらにこのようなことによって、同じ世代がいつホリエモンになるかわからないぞ!と脅しをかける効果が生じる、要するに一つの世代(あるいはその世代以前の世代も含む)も一緒くたに敵視することができる。

 だが、精神主義ですべてが解決できる、と思い込むのは、それこそ「大東亜戦争」的な考え方ではないだろうか。また、極端な一人をベースにして一つの世代を丸ごとバッシングしてしまう、というのは、単なる差別でしかないのではないか。

 そして、このような考え方こそが、昨今の教育基本法、さらには憲法までも変えようとしている動きを支えるものであるということに、私は一種の恐ろしさを覚えてしまう。要するに一つの世代を敵視した上で、憲法や教育基本法を変えようとしているのである。そしてこのような挙動は、マスコミが現代の青少年を怪物のごとく報じるような論調なくして成り立たなかったと見て間違いないだろう。この文章において、ライブドアが経団連ではなく「今時の若者」の延長として語られているところを見ても、その構図は浮かんでくる。

 そのようなことは「ニート」についてのくだりにも言えることで、「ニート」は本当に問題なのか、あるいは企業や政治の問題は無視なのか、という反論が直ちに浮かんでくる。

 そして読売の社説には、《教育基本法の改正は時代の要請である》などと書かれている。嗤うべし。青少年言説に対してろくな検証も行わないまま「時代」を作り上げてきたのは、ほかならぬマスコミである。

 しかしこの問題には左派にも責任がある。第一に、左派もまた青少年をイデオロギー闘争の対象にしてきたこと。左派の文言として用いられる、「教育基本法を改正して「愛国心」を押し付けると戦争を肯定するようになったり、他者への想像力が失われる」というものもまた、青少年を莫迦にした物言いでしかない。第二に、左派の少年犯罪に対する認識が、その大部分において右派と共有していることである。というのも、右派が少年犯罪の根源として「愛国心」や父性の欠如を槍玉に挙げるのに対し、左派は少年法・教育基本法の改悪に反対しながらも少年犯罪の根源を「適切な愛」なるものの欠如、あるいは「ライフハザード」などというわけのわからぬものに求め、結局のところ澤口俊之や「ゲーム脳」などといった疑似科学を肯定してしまう(小林道雄[2000-2001]、瀧井宏臣[2004]、清川輝基[2004])。

 だが、左派がとるべき行動は違う。右派の挙動に対し、左派は青少年問題言説の虚妄を指摘し、(若者論による)教育基本法や憲法の規制、及びメディア規制を支える基盤それ自体を突き崩すべきなのである。今のところそのような行動を採っている衆議院議員としては泉健太氏(民主党)や保坂展人氏(社民党)あたりを挙げることができるけれども、このような動きはもっと大きくなるべきで、相手が俗情に訴えてくるのに対し、こちらは理詰めで攻めるべきだ。「国歌の品格」とか言っている人に何を言われてもひるんではいけない(そもそもありもしない「少年犯罪の急増・凶悪化」をでっち上げて「品格を取り戻せ!」っていっている人よりも、「少年犯罪の急増・凶悪化」を酒の肴にしている人たちを批判する人のほうがよほど「品格」があるよね)。

 参考文献・資料
 赤塚行雄(編)『青少年飛行・犯罪史資料』全3巻、刊々堂出版社、1982年3月(1巻)、1982年11月(2巻)、1983年5月(3巻)
 浅野智彦(編)『検証・若者の変貌』勁草書房、2006年2月
 浜井浩一(編著)『犯罪統計入門』日本評論社、2006年1月
 本田由紀、内藤朝雄、後藤和智『「ニート」って言うな!』光文社新書、2006年1月
 広田照幸『《愛国心》のゆくえ』世織書房、2005年9月
 清川輝基「「メディア漬け」と子どもの危機」(「世界」2003年7月号、岩波書店)
 小林道雄「少年事件への視点」(「世界」2000年12月号~2001年3月号、岩波書店)
 岡本薫『日本を滅ぼす教育論議』講談社現代新書、2006年1月
 大鹿靖明「小泉と経団連が太らせた」(「AERA」2006年2月6日号、朝日新聞社)
 芹沢一也『ホラーハウス社会』講談社+α新書、2006年1月
 瀧井宏臣『こどもたちのライフハザード』岩波書店、2004年1月

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2006年4月 2日 (日)

2006年1~3月の1冊

 1:浅野智彦(編)『検証・若者の変貌』勁草書房、2006年2月
 アンケート調査の見本とでも言うべき本であり、なおかつ青少年問題言説の新たなる地平を切り開くべき画期的な本。まず評価できるのは著者たちの誠実さで、統計データの扱いには好感が持てる。また、安易に青少年を危険視する言説から遠く離れて、できるだけ「素顔の」青少年像に迫ろうとする気概も感じられるし、もちろん安易な青少年言説にただ乗りした答えを出そうともしない。

 2:浜井浩一(編著)『犯罪統計入門』日本評論社、2006年1月
 犯罪統計の「正しい疑い方」。悪化したのは実際の治安ではなく、むしろ「体感治安」であり、なおかつそれの悪化を引き起こしたファクタは、様々な社会的な変化に求められることができる。第一に警察と市民の距離が近くなったこと。第二に警察が「素直に」なったこと。そして第三に携帯電話が普及したこと。特に第三の理由に関しては首をかしげる向きが多いと思うが、その鍵は本書に隠されている。

 3:中島岳志『中村屋のボース』白水社、2005年4月
 インド独立運動の志士、ラース・ビハーリー・ボースの評伝。ボースはインド独立運動でのクーデター計画に失敗し、29歳で初めて故郷のインド(当時はイギリス領)を離れ、物資を補給するため偽名を使い日本に潜入する。そこで中村屋の人々や日本のアジア主義者に出会い、またボースは日本のアジア主義運動に強い影響を与えていく。日本近代史の影で動いた、とてつもなく大きな存在を感じさせてくれる。大佛次郎論壇賞受賞作品。それにしても「中村屋のカリー」が食べたい。

 4:岡本薫『日本を滅ぼす教育論議』講談社現代新書、2006年1月
 著者のOECDでの経験から、欧米諸国と我が国における教育言説の分析をし、そこから「教育改革」の「失敗の本質」をあぶりだす、という好著。我が国の教育言説はスローガンばかりで定量的な議論が行なわれず、だから授業時間の削減も、それに対する批判も不毛だとか。いわゆる「過激な性教育」に関する記述は的を外しているけれども、それでも我が国における教育言説、更には青少年言説全体を考慮する上でも避けて通れない一冊に仕上がっている。併読すべき本としては、広田照幸『教育言説の歴史社会学』(名古屋大学出版会)を。

 5:芹沢一也『ホラーハウス社会』講談社+α新書、2006年1月
 『狂気と犯罪』(講談社+α新書)の続編。前著では精神異常者による凶悪犯罪を取り扱っていたが、今回はそれと同時に少年犯罪まで風呂敷を広げている。少年犯罪を取り巻く、あるいは受容する社会の変容や、環境犯罪学に対する疑問は必読。

 6:好井裕明『「あたりまえ」を疑う社会学』光文社新書、2006年2月
 社会学的フィールドワークのセンスを概説した本で、論文や論考というよりはエッセイに近い。しかし行間からは著者の誠実さと取材対象への敬意が絶えず染み出しており、読んで爽やかな気持ちになれる。また、それと同時に、俗流若者論のつまらなさが、世間の「あたりまえ」にただ乗りするということと、そこから生じる権力に全く気づかないところにあることにも気づかされる。

 7:八尋茂樹『テレビゲーム解釈論序説/アッサンブラージュ』現代書館、2005年8月
 テレビゲームを一つの「文化」として捉えた論文を集めたもの。「青少年に対する悪影響」なる不毛な論議よりも、冷静に一つ筒評価を下していく、という姿勢は評価できる。テレビゲーム的な表現に対するリテラシーを身につけるうえでは必読、特に悪影響論にどっぷりと浸かっている親御さんや自称「識者」や政治家の方に読んで欲しい。

 8:ヘンリー・ペトロスキー、中島秀人:訳、綾野博之:訳『橋はなぜ落ちたのか』朝日選書、2001年10月
 橋脚の崩壊をはじめとする設計における様々な「失敗」の事例から、設計とは何か、あるいは技術とは何か、ということを問いかける本。有名なタコマ海峡橋の崩壊のほか、各種「失敗」が詳細に述べられておりわかりやすい。特に土木や建築に進もうと考えている人は必読。

 9:上野加代子(編著)『児童虐待のポリティクス』明石書店、2006年2月
 児童虐待に関する問題を、「こころ」の問題から「社会」の問題へと転換しようと試みた本。お勧めは児童福祉司の山野良一氏の手による第1章と第2章で、著者の真摯さと批評眼が光る文章である。そのほかにも、「メーガン法」を巡る議論や、「児童虐待」という問題の構築など、興味深い話題が満載。

 10:伊藤元重『はじめての経済学』上下巻、日経文庫、2004年4月
 経済学の概説書。概説書らしくわかりやすく書かれており、経済に関する用語を整理するためにはうってつけ。特に上巻がお勧め。

 11:藤原帰一『戦争を記憶する』講談社現代新書、2001年4月
 広島、ホロコースト、南京など、戦争の「記憶」の擦れ違いによって引き起こされる問題が多い現在において、戦争を「記憶する」ということはどういうことか、ということを考える本。お勧めは、第3章における、アメリカの文学作品や映画から見える「戦争」観念の変遷を記述した部分で、日本の状況と照らし合わせてみれば、「戦争」というものが国民の思想に与える影響の違いがはっきりと目立つ。今度は「9・11」同時多発テロ事件についても扱って欲しい。

 12:宮台真司、宮崎哲弥『M2:思考のロバストネス』インフォバーン、2005年12月
 「サイゾー」連載中の対談の書籍第4弾。相変わらず読ませる内容。ただ、宮台氏の青少年問題に関する発言の一部や(138~139ページ)、宮崎氏の、三浦展『ファスト風土化する日本』(洋泉社新書y)への肩入れ(306ページ)が気になるところだけど…。小林よしのり氏との「沖縄論」鼎談も収録。

 ここで宣伝。4月18日頃発売予定の「サイゾー」平成18年5月号の「M2」対談で、内藤朝雄氏(明治大学専任講師)と私がゲストで参加します。もちろんテーマは「若者論」。先立って、宮台氏がその対談における宮台氏の発言の要旨をブログで公開しております

 13:千田稔『伊勢神宮――東アジアのアマテラス』中公新書、2005年1月
 古代から終戦直後に至るまでの天照大神という存在の歴史をたどりつつ、日本における「神」とはどういうものであったのか、ということを読み解く内容。特に天照大神のルーツを求め東アジアにまで視点を広げるという作業は読んでいて楽しい。植民地時代の神社政策にも論及。

 14:中根千枝『社会人類学』講談社学術文庫、2002年4月
 東アジアのフィールドワークを通じた、血縁、世代、階層、集団構造などの様々な事例を通して、社会人類学とは何かということを解説した本。民族や社会によって様々な形態が存在するほか、新たな事態に対応して既存の形態がどのように変化していくか、ということについても示唆に富む。

 15:本田由紀(編)『女性の就業と親子関係』勁草書房、2004年4月
 平成14年から15年にかけて、「女性の就労と子育て――母親たちの階層戦略」というテーマで東京大学社会学研究所が行なった調査を分析したもの。ステレオタイプで語られがちな事象を様々な角度から仔細に分析する。

 16:斎藤美奈子『あほらし屋の鐘が鳴る』文春文庫、2006年3月
 相変わらず面白い斎藤美奈子氏の本。本書は平成11年2月に朝日新聞社から出版されたものを文庫化したもので、「おじさんマインドの研究」(社会時評)と「女性誌探検隊」の2部から構成される。前半には渡辺淳一、竹内久美子、林道義、石原慎太郎の各氏に対する批判もあり。しかし本書における石原慎太郎論や「「父性の復権」論」論を読んでいると、それでも当時(平成10年)の状況が「嵐の前の静けさ」に思えて仕方がない。

 17:佐藤卓己『八月十五日の神話』ちくま新書、2005年7月
 終戦を決定付けたとされる「玉音放送」に関するメディアの採り上げ方などに触れて、「終戦記念日」とは何か、ということを考察した労作。特に歴史教科書の考察はアクチュアル。家永三郎氏の「検定不合格教科書」や、「新しい歴史教科書」にも触れられている。

 18:作田明『現代殺人論』PHP新書、2005年12月 
 殺人のカテゴライズを概説した本だが、最初のほうで少年犯罪の凶悪化とメディアの悪影響が否定されている点が興味深い。殺人学の基礎として。

 19:日垣隆『使えるレファ本150選』ちくま新書、2006年1月
 簡単に言えば「レファ本のレファ本」。文章を書いていると、いろいろなところで辞書や参考書などに頼らざるを得ないが、どのようなものを使うべきか、ということを解説している。10000円以上もする高価なものから1000円程度のものまで広く紹介しているという点に脱帽。

 20:町田健『チョムスキー入門』光文社新書、2006年2月
 ノーム・チョムスキーの「生成文法」理論の概説書。説明がわかりやすく、特に家庭教師で国語や英語を教えている人は読んでおいて損はないけれども、もう少し内容を詰め込んでくれたほうが…。

 ワースト1:速水敏彦『他人を見下す若者たち』講談社現代新書、2006年2月
 他人を見下しているのはどう見ても著者です、本当にありがとうございました。「仮想的全能感」という概念を創出することはいいけれど、著者の青少年に関する認識が杜撰だし、著者が行なったとする実験の分析もこれまた杜撰。あまつさえ正高信男まで援用してしまう始末(129ページ)。

 著者の携帯電話に関する記述は特に疑問が多い。詳しくは、1の浅野智彦氏の本における福重清「若者の友人関係はどうなっているのか」と浜島幸司「若者の道徳意識は衰退したか」、及び日本放送協会放送文化研究所『放送メディア研究3』(丸善)の、辻大介「ケータイ・コミュニケーションと「公/私」の変容」を参照されたし。また、本書への批判として、「アウフヘーヴェンⅢ」(「冬枯れの街」)と「たこの感想文」による書評も。

 もう一つ言うと、読売や朝日などに掲載されている本書の広告における表現って、どう見ても「本書を読んで若い世代を見下しましょう」って宣伝だよね。

 ワースト2:西尾幹二、八木秀次『新・国民の油断』PHP研究所、2005年1月
 ある仕事の関係で読んだのだが、どう見てもアジビラです。本当にありがとうございました。

 本書に対する批判・検証に関しては、「成城トランスカレッジ!」のこちらの記事が良くまとまっているので、こちらに一任したい。

 どうでもいい話なのだが、本書の巻末に「新しい歴史教科書をつくる会」の入会案内やらシンポジウムの案内やらが載っているのは…。

 ワースト3:藤原正彦『国家の品格』新潮新書、2005年11月
 どう見ても妄想の産物です、本当にありがとうございました。そもそも著者の考える「品格」というのが、単に著者の自意識を満たしてくれるものでしかないのでは?このことは、自分が不可解だ、不満だと思っているものに対して「品格を持てばいい」としか一定ないことがその革新である。これじゃあ大東亜戦争だ。

 ワースト4:魚住絹代『いまどき中学生白書』講談社、2006年2月
 どう見ても調査に問題がありすぎです、本当にありがとうございました。そもそも各種グラフにおいてN値が示されていないし、著者の言うところの「ゲーム族」「ネット族」云々が如何なる割合で存在しているのもわからない。また、ゲームを4時間以上する子供などどう見ても少数派なのに(それは本書のデータでもわかるものだ)、その点も留意されていない。そのほか、調査地点にまでバイアスがある。

 ワースト5:中沢正夫『子どもの凶悪さのこころ分析』講談社+α新書、2000年11月
 どう見ても「17歳騒動」の便乗本です、本当にありがとうございました。良心的な記述も少しは見られるけれども、まあ著者の現代の青少年に関する記述はそれこそ青少年を病理視しすぎ、いわば見下している。こういう本を見るにつけ、「17歳騒動」の時に少年犯罪は増えていない、とデータを示した人(長谷川真理子氏や広田照幸氏など)のほうがよほど「品格」があるよ、と感じてしまう。

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