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2006年5月13日 (土)

俗流若者論ケースファイル80・産経新聞社説&京都新聞社説

 成人の日と並んで、こどもの日は、新聞社説に俗流若者論が掲載される確率が高くなる日である。昨年に関して言えば、私は「俗流若者論ケースファイル41・朝日新聞社説」で、朝日新聞がこどもの日に掲載した社説を批判した。その朝日は今年、「里親」をテーマに採り上げた社説を書いた。「里親」に関しては、ジャーナリストの村田和木氏などが最近になって本を出したりするような動きがあるけれども、多くの新聞が少子化論に傾いていた中で、独自性としては朝日が全国紙の中では抜きん出ていたように思える。

 もちろん、俗流若者論を掲載した新聞もあった。産経新聞である。今回は産経新聞の平成18年5月5日付社説「こどもの日 孤は徳ならず道しるべに」に突っ込みを入れるわけであるが、最初から最後までまあ俗流若者論で反復されているような文言の繰り返しであるわけで、意外性もほとんどない。というわけで全文を引用する。

―――――

 きょう五日は「こどもの日」、昔風にいえば「端午の節句」である。子供たちの健やかな成長を国民がこぞって祝い、子供たちの幸福を願い、併せて母に感謝する日だ。この「母に感謝する」という文言が国民の祝日法に定められた「こどもの日」の趣旨に盛られてあることを改めて考えてみたい。

 というのは最近、親が子を虐待し、子が親を殺すなどという暗いニュースが後を絶たないからだ。少し前の日本社会は漫画のサザエさんの家族のようにちょっと厳しいが曲がったことを嫌う善良な父親と、無限の優しさで励ましかばってくれる母親と、阿吽(あうん)の呼吸で互いに補完し合って子育てをしてきた家庭というものの仕組みがきちんと機能していた。

 それが急速に壊れだし、家というものが形ばかりの住みかに過ぎず、実質は同居生活に成り下がってしまったという家庭が増えているように見て取れる。新聞ダネになるような破綻(はたん)の場面はなくとも、親と子が互いに無関心で、共に食卓を囲む光景も失われつつある傾向さえ顕在化しつつある。

 戦後の価値観の中で、家というものが否定的にとらえられた反動で、個人の尊重が必要以上に強調された面が否めない。その結果、自己実現とか多様な生き方とかの美名の下、各自がそれぞれの言い分を譲らず、自分以外はみな利害の対立者というようなぎすぎすした社会をつくってしまったことは、率直にいって反省されていい。

 今の子供たちは他とのコミュニケーションが圧倒的に下手だという。友達とメールをしても、互いが自分の言いたいことを言っているだけで、実質的な対話が成り立っていない場合が多いそうだ。個人主義が実は「孤人主義」を生んでしまったのである。

 人間は一人では生きられない。この当たり前のことをもう一度確認して、児童の権利に関する条約にうたうように「家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員特に児童の成長及び福祉のための自然な環境」であることを思い返してみたい。家庭を大事にする社会が望ましい。

 「徳は孤ならず、必ず隣あり」と論語にいう。逆もまた真だ。「孤は徳ならず」。こどもの日を機に、それを社会共有の道しるべとしたい。

―――――

 もちろん、児童虐待自体は昔からあったわけだし、「児童虐待」という問題の構築は明治以来幾度か繰り返されてきたことである(上野加代子[2006])。最近になって急増した「かのように見える」のは、それが何度も報道されるようになったからであって、統計的には子殺しもまたここ20年の間に減少しているのが実情なのである(「スタンダード 反社会学講座」内「第24回 こどもが嫌いなオトナのための鎮魂曲」)。

 また、この記事における「伝聞」的物言い――《最近、親が子を虐待し、子が親を殺すなどという暗いニュースが後を絶たない》《実質は同居生活に成り下がってしまったという家庭が増えているように見て取れる》《今の子供たちは他とのコミュニケーションが圧倒的に下手だという》――や論証抜きの断定――《戦後の価値観の中で、家というものが否定的にとらえられた反動で、個人の尊重が必要以上に強調された面が否めない》《自己実現とか多様な生き方とかの美名の下、各自がそれぞれの言い分を譲らず、自分以外はみな利害の対立者というようなぎすぎすした社会をつくってしまった》――の多用もまた、俗流若者論においてはよく見られるものだ。青少年のコミュニケーションに関しては、いわゆる「希薄化」という一方的な視点を相対化する試みがいろいろなところで行われている(例えば、浅野智彦[2006]、岩田考、羽渕一代、菊池裕生、苫米地伸[2006]、など)。

 それらの研究が共通して指摘するものは、いずれも「希薄化」といっても、何のどのような状態をもってして「希薄」というのか、という点が問われなければならない、ということだ。青少年のコミュニケーション能力の「低下」、ならびにコミュニケーションの「希薄化」を批判する言説の多くが、結局のところはある一つの「理想」に固執している。そのような論理は空疎な「理想」の押し付けでしかない。

 それにしても本当にどうにかしてほしいのは、《戦後の価値観の中で、家というものが否定的にとらえられた反動で、個人の尊重が必要以上に強調された面が否めない。その結果、自己実現とか多様な生き方とかの美名の下、各自がそれぞれの言い分を譲らず、自分以外はみな利害の対立者というようなぎすぎすした社会をつくってしまったことは、率直にいって反省されていい》などというくだりである。

 嗤うべし。まず「個人の尊重」なる概念が、産経新聞やその主張に賛同する人にとっては「敵」であることをかんがみれば、この文章は結局のところ私憤を自分の不快に思っているものに押し付けているに過ぎない。また、治安は決して悪くなっているわけではない(河合幹雄[2004]、浜井浩一[2006]など)わけだが、マスコミは(虚像に過ぎない)「治安の悪化」を必死であおり、また社会を構成する人々もまたそのストーリイを積極的に受け入れ、かえって「不安」によって地域の結束を高める、という事態が起きている。

 結局のところこの社説は、自分の生きてきた環境を肯定して、そこから「外れてしまった」現代社会を誹謗し、そして自分の不快なものを「解決」するには自分の生きてきた環境こそが一番…などといっているようなものなのであって、きわめて空疎なものに過ぎない。いい加減、このような「憂国」のお遊びに戯れるよりも、まず現代の青少年についてもっと世の中の不安を少しでも鎮めるような記事や社説を書いたらどうですか?

―――――――――――――――――――――――

 ただ、こどもの日の社説で私がチェックしたのは、読売、朝日、毎日、産経、東京の5紙だけである。したがって、地方紙に関してはチェックしていないのだが、どうやら地方紙にもこどもの日にかこつけた俗流若者論があったようだ。「冬枯れの街」の「警察庁による「バーチャル社会の弊害から子ども守る研究会」設置第5章~第1回議事要旨「痴愚神(義家弘介)礼賛」~」というエントリーのコメント欄で紹介されていた、同日付の京都新聞の社説「こどもの日  IT利用法をよく考えよう」である。

―――――

 現代の子どもたちを取り巻く環境は、十年、二十年前と比べれば大きく変わった。
 子どもたちの親の世代は、生まれた時に家庭にテレビがあったから「テレビ世代」といえる。
 今の子どもたちは、幼児期からパソコンや携帯電話(ケータイ)などのIT(情報技術)機器に囲まれて育った「IT世代」と呼べるだろう。
 二十一世紀はIT革命の時代といわれるが、この波を現在と将来の子どもたちが直接受けることは間違いない。
 教育評論家の尾木直樹氏は、インターネットの普及の影響を軽視してはならないと指摘する(「思春期の危機をどう見るか」岩波新書)。
 大人とのボーダーレスな情報の受発信で子どもたちに新しい可能性をもたらす半面、複雑な思春期の発達に悪影響を及ぼすことがあるという。
 とりわけ最近の急速なケータイやインターネットの普及は、いろいろな問題を引き起こしている。
 尾木氏は東京都内の中学でのアンケート調査を基に▽寝不足による遅刻登校など生活習慣の乱れ▽友人とのトラブル▽出会い系サイトで犯罪に巻き込まれる可能性-などの問題点をあげる。
 友人との過度のメール依存や詐欺メールの被害もあり、学校や家庭で何らかのかかわりが求められる。

情報モラルが必要だ
 現実に各地の消費生活センターに寄せられた子ども(六-十七歳)の消費相談は、一九九五年度の約二千件が二〇〇四年度には約六万四千件に増えた。
 〇四年度の相談内容は九割以上が「情報通信サービス」関連である。興味本位でアダルト系サイトに入って高額の料金を請求されたことなどに関する相談が多いようだ。
 子どもたちは「情報犯罪」に対して、全く無防備の状態に放置されているといえる。それだけに、子どもたちにITのマナーや情報モラルについて早急に教える必要がある。
 どんなに便利なIT機器でも使い方を誤れば、いろんな危険性があることを知らせることが大切だ。インターネット教育では子どもが「被害者」になる場合だけでなく、「加害者」の場合も想定して実行することが肝要である。
 尾木氏は情報モラル教育の要点として▽小中学生には子どもだけでホームページを開設させない▽子どもたちが有害サイトへアクセスできないシステム(フィルタリング)を導入する▽利用時間に制限を設ける-などをあげる。いずれも妥当な対応策だ。
 文部科学省は現在、有識者などによる研究会を設置し学校での情報モラルの指導方法を検討、〇六年度内に指導用資料をまとめる計画を立てている。できるだけ速やかに指導を徹底してほしい。

ゲーム依存の予防を
 長時間にわたるゲームやインターネットの危険性を警告する、精神科医の岡田尊司氏の近著「脳内汚染」(文藝春秋)は衝撃的な内容だ。
 岡田氏はゲームには「麻薬的な依存性がある」と指摘する。ゲームができないとイライラし、ゲームを止められると暴力的になるなどの症状を示す子どもたちが多くなっているというのだ。
 さらにゲームに耽溺(たんでき)すると、何事にも無気力・無関心になり、不登校、家庭内暴力、ひきこもりの領域に入っていくと述べる。
 岡田氏の主張に対しては他の精神科医などから反論や批判が出ており、まだ定説とは認められていない。
 とはいえ従来、ゲームやインターネットにあまりにも夢中になると、家庭での勉強時間が短くなり、食事や睡眠が不規則になって生活態度が乱れがちになることは分かっている。
 それなら、ゲームなどに重度の依存にならないよう各家庭で十分に気を付けることが肝要だ。ゲームにのめり込む危険性について、子どもにきちんと話すことも必要である。
 これまで、ゲームが子どもに与える影響を調査した研究はまだ少ない。今後さらに実証的な研究が進み、その成果が発表されることを望みたい。

リアルな体験が大切
 ゲームの世界はバーチャルリアリティー(仮想現実)の世界である。ゲームにおぼれると、実際の現実と仮想現実とを混同する危険性がある。
 この混同を防止するには、子どもたちにリアルな体験をしっかりとさせておくことが必要だ。
 幼児期に自然の美しさを実感させ、小動物とふれあうことは、成長後に重要な意味を持つだろう。
 子どもにテレビやビデオを長時間見せるのではなく、親が子どもに語りかけることの大切さも見直したい。
 子どもを誘って家族や友人と一緒に戸外に出かけたり、スポーツを楽しむ機会を多く持つことを心がけよう。
 ケータイでの会話やメールだけではなく、お互いが面と向かって対話をすることが大切だ。
 若者からは「メールの方が親密にコミュニケーションできる」「メールをしていないと不安」などの声も出そうだが、メール依存症にならないよう、ITをうまく使ってほしい。
 四月一日現在の子ども(十五歳未満)は約千七百万人。二十五年連続の減少だ。一人ひとりはかけがえのない存在である。「こどもの日」にあらためて健やかな成長を願いたい。

―――――

 これも最近多方面から批判されている、コミュニケーション「希薄化」論と、ゲーム悪影響論でしかない。

 とりあえず私の「子供たちとIT環境」というものに対する立場を述べさせてもらうと、少なくとも京都新聞の社説子が書いているような、《子どもたちは「情報犯罪」に対して、全く無防備の状態に放置されているといえる。それだけに、子どもたちにITのマナーや情報モラルについて早急に教える必要がある》などという物言いは、子供の主体性を無視した暴論と考えている。なぜなら、子供でもそれなりの常識は持ち合わせており、「見たくない」と判断したサイトは見ないことぐらいできるだろうと考えているからである。このような物言いの前提としているものは、子供たちは好奇心旺盛で何でも見たがるけれども、それの抑止力となるものはなく、残虐な性描写や暴力描写の影響を簡単に受ける、というものであろうが、まさに子供をなめているのか、としか言いようがない。

 もちろん、例えば「出会い系」やフィッシングなどの「決まり手」とか、あるいはウェブ上における個人情報の取り扱いなどは教える必要はある。しかし、子供は無垢である=なんでも見たがるし、なんにでも影響を受ける、などという見方は、繰り返すが子供の主体性を無視した暴論に過ぎない(このような物言いは、何も俺のブログがキッズgooからはじかれていることに対する逆恨みからきているんじゃないよ。大体俺のブログのどこにいわゆる「有害」情報があるの?「ある言葉」を使っているからそのブログは「有害」だ、というものは、単なる言論封殺でしかない)。

 「リアルな体験」というくだりについても――これも俗流若者論の常套文句なのだけれども――、「実際の現実と仮想現実を混同している」、だから凶悪な犯罪が起こるのだ、という認識なのだろうが、むしろ「治安の悪化」「少年犯罪の急増」こそが「仮想現実」といわれるべきものであり、またゲームを通じてさまざまな体験ができるという可能性も決して封鎖してはならない。ゲームだから「体験」ができない、というのは、表現の幅を狭めるものでしかない。

 とりわけ私が頭を抱えてしまったのは、岡田尊司氏(精神科医)の著書『脳内汚染』(文藝春秋)を《衝撃的な内容》と書いているくだりである。そりゃ衝撃的に感じますわな、だってあの本にはゲームの「悪影響」が「衝撃的」であることを強調する「ためにする」資料しか提示されていないのだから。ゲームに耽溺すると無気力になるぞ、「ひきこもり」になるぞ、家庭内暴力を起こすぞ、などという扇動は、自分の「気に食わない」ものに関して、自分の子供時代にはありえなかったものに難癖をつける、というきわめて身勝手なものでしかない。

 というよりも、青少年の「無気力化」なんて、故・小此木啓吾氏の業績を引き合いにするまでもなく、ゲームやインターネットのなかった時代から言われてきたことだ。少年犯罪にしても、過去の事例をさかのぼれば、これが現代で起これば明らかに報道洪水が起こるだろう、という事件がよく見られる(赤塚行雄[1982-1983]を参照。ただ、この赤塚氏も、最近では俗流若者論に染まりつつあるようだけど…。安原宏美氏(フリー編集者)のブログ「女子リベ」の「おじさんの見分け方」を参照されたし)。

 まあ、通俗的な青少年問題言説が、このように同じことの繰り返しで不安をあおり続けられる、言説体系であることは、ずっと前から気づいていた。我々に求められることは、むしろこのような不毛な青少年バッシングに終止符を打つことではないか――ということも何度も繰り返してきたように思う。

 とはいえ、通俗的な青少年言説は、政治の場面にもじわじわと影響を及ぼしてきている。その際たるものが教育基本法の改正案だし、メディア規制やいわゆる「活字文化推進法」などといったものもその範疇に含まれよう。青少年に対する誤ったイメージを基にして、国民の自由が剥奪されていく、という過程は、いい加減見たくないものだ。でも、見ざるを得ないのかなあ。

 参考文献・資料
 赤塚行雄『青少年飛行・犯罪史資料』全3巻、刊々堂出版社、1982年3月(1巻)、1982年11月(2巻)、1983年5月(3巻)
 浅野智彦(編)『検証・若者の変貌』勁草書房、2006年2月
 浜井浩一(編著)『犯罪統計入門』日本評論社、2006年1月
 岩田考、羽渕一代、菊池裕生、苫米地伸(編)『若者たちのコミュニケーション・サバイバル』恒星社厚生閣、2006年3月
 河合幹雄『安全神話崩壊のパラドックス』岩波書店、2004年7月
 芹沢一也、安原宏美「増殖する「不審者情報」――個人情報保護法という呪縛」
 上野加代子(編)『児童虐待のポリティクス』明石書店、2006年2月

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コメント

ここのサイトが更新されたのは久しぶりなようですが、相変わらずの痛快な内容で安心しました。
>今回は産経新聞の平成18年5月5日付社説「こどもの日 孤は徳ならず道しるべに」に
まあ産経ならばこのくらいのことは書くでしょといったレベルでしょうか。去年の朝日ほど意外性はありません(笑)。

>少し前の日本社会は
これってある意味幻想なのでは…。それにこの文言は母子家庭や父子家庭のことを一切無視しているような…。

>他とのコミュニケーションが圧倒的に下手だという
少なくとも明治以降で日本がコミュニケーションが上手な時代というのは無い様な気がするのですが何か(コミュニケーションが得意ならば以心伝心という言葉はないはず。ちなみにこれは外国語には容易に翻訳できないらしい)

>児童虐待自体は昔からあったわけだし
児童虐待が問題視されたのは明治以降でしょうが、これ自体は有志以来あったでしょうね。

>世の中の不安を少しでも鎮めるような記事や社説を書いたらどうですか?
まあ産経にそれを望むのは無理かと(だからといって左派の朝日にも望めないが…主要6紙の中で少しでも望めそうなのは東京ぐらいか…)

>同日付の京都新聞の社説
ある意味こっちの方がなまじ識者の意見を引用しているだけひどいですね。しかし岡田氏はともかく尾木氏は昔は比較的まっとうな主張が多かっただけにどうしたのやら…。

投稿: hts | 2006年5月14日 (日) 18時30分

>「個人の尊重」なる概念が、産経新聞やその主張に賛同する人にとっては「敵」である
私も全てではありませんが、産経新聞の「主張に賛同する人」の1人ですけど、そんなことはないと思いますよ。
「個人の尊重」の強調のしすぎというより、「個人の尊重」と言いながら、
実際には家庭や国家を解体するような思想を推進していることが問題なのだと思いますが、書き方がまずいですね。
これでは「個人の尊重」を敵視しているという誤解を招くのも無理はないと思います。

>世の中の不安を少しでも鎮めるような記事や社説
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news2/1146833060/361-363

これなどどうでしょうか。コラムですけど、マスコミの「治安悪化」報道を批判しています。
全国5紙の中で、「俗流若者論」からは1番遠いのが産経新聞だと思いますよ。
木曜日の夕刊では、サブカルチャーを好意的に取り上げている連載もあります。

投稿: 匿名希望 | 2006年5月14日 (日) 20時16分

後藤和智様
TBを送らせていただいたのですが、私のブログ上では、何度操作してもTBに失敗したと表示されていました。私は、昨日フログを始めたばかりで、如何せん不慣れでして、重複してしまいました。お手数ですが、重複分のものは削除していただけたら、と思います。よろしくお願いします。

投稿: anomie05 | 2006年5月15日 (月) 01時18分

匿名希望様

横槍失礼します。
私は産経新聞は人権無視のタカ派保守とみなしています。
(労働問題や少子化の問題では人間をゲームのコマ(税金・年金の財源)としかみなしていないと考えています。)
http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no46.html
産経新聞の支持者が「ガキの人権なんか尊重したから、世の中狂ったんだ」って思ってるならそれはそれでいいですが、
上記の石原慎太郎とそれの支持する戸塚宏などは個人的には許せません。
(個人的価値観の問題なので、異なる意見があるのは承知します。)
個人的に最近大東亜戦争を生き残った駆逐艦乗り(今は故人)の手記を読みました。
3年間こき使われ、殴られるだけ殴られて耐え切ったものが「一人前」の世界。
それがいいとか悪いとかではなく、戦時とはそういう時代だったし、軍隊とはそういう組織である。
(この説明は端折りすぎています、実際には体罰やさまざまな労役を含め戦地で体験した壮絶な体験記が多いものなのですが)
石原や戸塚には、そういうものを何の説明もなく今の時代に持ってくる映画「バトル・ロワイヤル」のような理不尽さがあるのです。

投稿: anomy | 2006年5月15日 (月) 22時43分

anomy様

2人とも精神論に頼りすぎですね。その点については私も賛成しかねます。
ただ、産経新聞にはこのようなコラムもありますよ。

No.31 亀井静香の「談合弁護」を排す―屋山太郎氏
http://www.nvcenter.net/bbs/bbs.php?db=fuur&page=1&Vt=N

労働者が生み出す付加価値が税金や社会保険料の財源というのは事実ですから、
財政面から問題を見た時に、そのように考えるのは当然でしょう。
人権無視、タカ派、保守とは何ら関係がないと思います。

先の投稿のURLに、世の中狂ってるというのは風説に過ぎない、というコラムがありますし、精神論を批判するコラムもあるのは上述の通りです。
「ガキの人権なんか尊重したから、世の中狂ったんだ」なんて思ってないでしょう。
教育基本法改正問題を見ても、愛国心や宗教的情操の涵養、一部教職員暴走の是正を主張しているぐらいで、
人権を軽視しようなんて話はないです。

投稿: 匿名希望 | 2006年5月16日 (火) 01時13分

>教育基本法改正問題を見ても、愛国心や宗教的情操の涵養、一部教職員暴走の是正を主張

後者はともかく、前者は明らかな人権軽視なんですがね。
白人から見れば、黒人差別なんて存在しないのと同じです。

投稿: 赤木智弘 | 2006年5月17日 (水) 03時23分

いかがわしいサイトを運営しているのは大人なのに、子どもだけを悪者扱いするとは、ひどいことです。

純粋に・原理主義的に個人化に反対したいのなら、この種の論者は、障子にも反対でしょうね?

色川大吉さんの本で見たのですが、日本の農村地帯に障子が普及したのは明治になってから。障子の普及によって、家父長の監視なしに日記をつけたり本を読むなどして、独立した人格や思想が形成される基盤ができた、ということです。

岡田尊司さん、イッちゃってますね。
>岡田氏はゲームには「麻薬的な依存性がある」と指摘する

それは医者の出す精神系の薬にもあてはまる(苦笑)。そもそも子どもがゲームのなかだけで生きているとでも? ゲームといってもいろんな種類があるし、ゲームとのかかわり方も個人差があるのに。

>通俗的な青少年言説は、政治の場面にもじわじわと影響を及ぼしてきている。

そうですね。関西のある国立大学では、大学生不登校対策と称して教職員が家庭訪問をするそうです。不登校すれば将来はない、という精神医学や、「学力」低下論などが影響をおよぼしているのでしょう。個人のライフスタイルや学ぶスタイルの多様性を認めず、プライバシーをどこまでも監視のもとに置く、ひどい学内統治です。

国のレベルでは、教育基本法改正→労働基準法改正ともっていかれることを、今一番警戒すべきではないでしょうか。今でも形骸化している残業や休日出勤への歯止めが崩壊し、きつい労働に耐えられなければ自立していないとバッシングがわきおこる事態だけは避けたいと思うのですが、どうでしょうか。

投稿: ワタリ | 2006年5月17日 (水) 10時48分

はじめまして。後藤さんのブログをいつも拝見致しております。
「個人の尊厳」は、自分“だけ”の尊厳ではなくて、他の全ての人の尊厳も含む概念なのですから、その社説は少し違うのではないかと私も思います。個人が尊重されれば共同体や共同性がなくなるわけではないですし。

ワタリさん
>いかがわしいサイトを運営しているのは大人なのに、子どもだけを悪者扱いするとは、ひどいことです。

はじめまして。ゾーニングは必要ですが、「いかがわしいサイト」やそれを運営する人を批判する必要はないと私は思います。違法なサイトであれば別ですが、「違法」と「有害」は違いますので…

投稿: しん@グレーリボン非公式サポーター | 2006年5月19日 (金) 19時16分

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 以前(2006年2月14日)私は、いつものようにテレビ欄から新聞を読んで(見て)いた。そして実に興味深い番組を見つけた。その番組のラテ欄には「体に異変も子供がゲームに没頭驚く現実と家族の悩み意欲が低下&物忘れも対人関係は」と記されていた。番組はメーテレ(名古屋におけるテレビ朝日系列の放送局)のUPだhttp://www.nagoyatv.com/up/upK/060214.html。おそらくアレだなと思ったがやはりアレだった。「ゲーム脳」である。  ゲーム脳とは、日本大学文理学部教授の森昭雄..... [続きを読む]

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