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2006年6月25日 (日)

『バックラッシュ!』発売のお知らせ、他

 (これは宣伝専用のエントリーですので、トラックバック・コメントは受け付けないこととします)

 ・『バックラッシュ!』発売のお知らせ

 私も参加している本である、『バックラッシュ!』が双風舎より本日発売されます。なお、書店に並ぶのは月曜日以降になるようです(地方はもう少し遅れます)。
 http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060524

 キャンペーンブログもあります。
 http://d.hatena.ne.jp/Backlash/

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■タイトル : バックラッシュ!
■サ  ブ : なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?
■著  者 : 宮台真司、上野千鶴子、斎藤環、小谷真理 ほか
■定  価 : 本体1900円(予定)
■判  型 : 46判、並製、アジロ綴じ、400ページ(予定)
■初版部数 : 未定
■発行年月日: 2006年6月25日(予定)
■I S B N : 4-902465-09-4 C0036
■目  次 :     まえがき by 編集部
Ⅰ バックラッシュとは何か?
 宮台真司 ねじれた社会の現状と目指すべき第三の道
 ――バックラッシュとどう向き合えばいいのか――

Ⅱ 嗤う日本のバックラッシュ    
 斉藤環 バックラッシュの精神分析
 鈴木謙介 ジェンダーフリー・バッシングは擬似問題である
 後藤和智 教育の罠、世代の罠    
      ――いわゆる「バックラッシュ」に関する言説の世代論からの考察――    
 <コラム> バックラッシュを知るためのキーワード一〇    

Ⅲ 男女平等のアカルイミライ
 山本貴光+吉川浩満 脳と科学と男と女――心脳問題〈男女脳〉編
 澁谷知美 バックラッシュ言説は「非科学的」である
 小谷真理 テクハラとしてのバックラッシュ――魔女狩りの特効薬、処方します
 <コラム> 男女共同参画予算とは何か    

Ⅳ ジェンダーフリー再考
 ジェーン・マーティン+バーバラ・ヒューストン ジェンダーを考える
 バーバラ・ヒューストン 「ジェンダー・フリー」概念に関するコメント
 山口智美 「ジェンダー・フリー」論争とフェミニズム運動の失われた一〇年

Ⅴ バックラッシュの争点を探る
 小山エミ 「ブレンダと呼ばれた少年」をめぐるバックラッシュ言説の迷走
 瀬口典子 「科学的」保守派言説を斬る!――生物人類学の視点から見た性差論争――    
 長谷川美子 たかが名簿、されど名簿――学校現場から男女平等を考える
 荻上チキ 政権与党のバックラッシュ
 <コラム> バックラッシュ、七つの論点

Ⅵ バックラッシュを乗り越えるために    
 上野千鶴子 不安なオトコたちの奇妙な〈連帯〉    
       ――ジェンダーフリー・バッシングの背景をめぐって――    
執筆者紹介

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・保坂展人氏(衆議院議員・社民党)の「月例新宿トークライブ」のお知らせ

 私も参加します。
 http://www.hosaka.gr.jp/

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月例新宿トークライブ
保坂展人が、月一回鋭い論客を招いて行なうトークセッション、以下ゲストを招いて、会場も新宿ロフトで行います(8月はお休み。9月よりNaked Loftで再開)。
▼7月7日(金) 「若者たち・わたしたちと『監視・管理社会』」
ゲスト:     宮台真司氏(社会学者・首都大学東京准教授)
      神保哲生氏(ビデオジャーナリスト)
      本田由紀氏(東京大学大学院情報学環助教授) 
      後藤和智氏(WEB「若者報道から見た日本」主宰)
*開店18:30/開演19:30~終了22:00

▼料金:入場料1500円(+1ドリンクから)
▼会場:新宿・歌舞伎町 LOFT/PLUS ONE (新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2F)
▼問合せ:LOFT/PLUS ONE TEL03-3205-6864
        保坂展人事務所 TEL03-5477-7377

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・「神保町小説アカデミー」からのお知らせ

 同会からの宣伝の依頼があったので公表します。
 http://www.kotolier.org/j-academy/
 http://j-academy.dreamblog.jp/2/21/

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【各回限定5名】 オープンスクールのお知らせ
 

神保町小説アカデミーでは、毎週日曜日にオープンスクールを実施します!参加をご希望される方は、以下を参考に、こちらのフォームよりお申し込み下さい!

【オープンスクールとは、一日限定で本アカデミーの生徒となって授業に参加していただくものです。タダでプロの作家・ライターさんの指導が受けられるだけなく、同じベクトルを持った仲間とも出会える体験講座です。】


■日時:
2006年6月25日~7月末 毎週日曜日15:00~18:00

■会場:
ちよだプラットフォームスクウェア
(東京都千代田区神田錦町3-21)

■定員:
各回限定5名まで

■参加費:
無料

■今後のスケジュール

6/25 主な内容:ライター基礎講座1+添削指導
   講師:石井政之氏(ジャーナリスト・ライター)
   詳細:文章を書いて生きていくためには、何をどのように努力してゆけばよいのか? 10年以上第一線のライターとして活躍してきた講師による4週連続の超実践的モノ書き講座。毎回、添削指導もあり。

7/2 主な内容:ライター基礎講座2+添削指導
   講師:石井政之氏(ジャーナリスト・ライター)
   詳細:文章を書いて生きていくためには、何をどのように努力してゆけばよいのか? 10年以上第一線のライターとして活躍してきた講師による4週連続の超実践的モノ書き講座。毎回、添削指導もあり。

7/9 主な内容:ライター基礎講座3+添削指導
   講師:石井政之氏(ジャーナリスト・ライター)
   詳細:文章を書いて生きていくためには、何をどのように努力してゆけばよいのか? 10年以上第一線のライターとして活躍してきた講師による4週連続の超実践的モノ書き講座。毎回、添削指導もあり。

7/16 主な内容:ライター基礎講座4+添削指導
   講師:石井政之氏(ジャーナリスト・ライター)
   詳細:文章を書いて生きていくためには、何をどのように努力してゆけばよいのか? 10年以上第一線のライターとして活躍してきた講師による4週連続の超実践的モノ書き講座。毎回、添削指導もあり。

7/23 主な内容:未定
   講師:未定

7/30 主な内容:マイルストーンイベント(3月末までの仮目標とトライアル方法のプレゼン)
   講師:本田武市氏(T.O Entertainment代表取締役)、雨宮処凛氏(作家)、他

■お申し込み締切:
各回前日の午後5時まで

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2006年6月24日 (土)

コメントへの返答・06年06月24日

 「論壇私論:「論座」平成18年6月号」に寄せられた以下の質問にお答えします。

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 本筋からそれますが、信田さよ子氏が「アダルト・チルドレン」に関する謝った理解も待て広めているとありますが、では管理人さんのアダルト・チルドレン理解はどのようなものでしょうか?ぜひお聞かせ下さい

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 まず、引用文中の《「アダルト・チルドレン」に関する謝った理解も待て広めている》というくだりにおける、《謝った》は「誤った」の、《待て》は「また」の誤りでした。訂正します。

 さて、「アダルト・チルドレン」に関してですが、この言葉の本来の意味とは、《幼少期にアルコール依存症などの親から精神的・肉体的な虐待を受けたことが原因で、情緒不安定・鬱状態・拒食・過食などに陥りやすい性格が形成されている大人のこと》(『明鏡国語辞典』大修館書店)というものです。この言葉が生み出されたきっかけは、1980年代の米国におけるアルコール依存症の治療の「副産物」として生まれた概念です。

 それが我が国において平成7~8年頃に我が国に紹介されると、その言葉が意味を薄められて、自らも「アダルト・チルドレン」であると「宣言」してしまう人が続出しました。そればかりではなく、単純に「大人になりきれない「今時の若者」」という歪んだ解釈も一部で出てくるようになった。その延長上にあるのが、私が『「ニート」って言うな!』(光文社新書)でも批判的に触れた、荒木創造『ニートの心理学』(小学館文庫)です。

 話が少々脇道にそれてしまいましたので元に戻しますと、私が「ベター4」として採り上げた信田氏の文章では、下のように書かれています。

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 イノセンスに魅せられ自己責任からの解放を求めたひとたちに対し、96年から私は一貫して①の方向性(筆者注:PTSD概念の、《フェミニズムや女性学の発展、虐待した親の告発》などにつながる影響)を目指したカウンセリングを行なってきた。(信田さよ子「タイム・トリップの快感?――江原啓之と前世ブームが意味するもの」=「論座」2006年6月号)

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 しかし、米国における「アダルト・チルドレン」運動のもたらした悪影響に関し、信田氏が無視しているという点について私は疑問を持たざるを得なかったのです。たとえば、このような「アダルト・チルドレン」運動による「告発」によって、「告発」した人の父親に冤罪が生じ、家庭崩壊が起こってしまったというケースもあり、また、「カウンセリング」と見せかけて実のところほとんど「偽の記憶」だった、ということもあります。この点に関して、信田氏はどう思っているのか、と私は思います。

 また、前述の通り、我が国においては「アダルト・チルドレン」という言葉は本来の意味を通り越していつの間にかものすごく拡大解釈されるようになってしまった(「ニート」という言葉がそうであるように)。ですから私は、「アダルト・チルドレン」と言うことは極力使いたくないのです。

 もう一つ、この「アダルト・チルドレン」運動を支える「トラウマ理論」とでも言うようなものに関する私の疑問として、人間の行動に関してある2つの現象を単純に因果関係としてみることの妥当性に対するものもあります。これに関しては、児童虐待に関して質問を受けたときも述べましたので、ここで繰り返す必要はないと思います。

 最後になりますが、この問題を考える上で参考になるものをいくつか挙げておきます(「アダルト・チルドレン」運動に対して批判した矢幡洋氏の著書は残念ながら未読です)。

 岩波明『狂気の偽装』新潮社、2006年4月
 ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話』丘沢静也:訳、岩波現代文庫、2005年7月

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2006年6月20日 (火)

論壇私論:「論座」平成18年7月号

 ベスト:特集「私と愛国心」
 それにしても今月号は「内容的には反発したい部分もあるが、メッセージとして受け取ると深いものがある」というようなものが多かったような気がする。

 この特集には「教育基本法 場外論戦」というサブタイトルがついているが、ベストにこの特集を採り上げたのは、単なる二元法を超えた鋭い意見がたくさん載っていたからである。これを読めば、俗流若者論を基盤とする「愛国心」論争がいかに脆弱なものであるかがよくわかる(まあ、この特集の中にも俗流若者論はいくつか見られたけど…)。その引用を、この特集への絶賛に代えたい。(平成18年6月21日追記:引用文の一部を修正しました。)

 《我が国はなぜ先の大戦で壊滅的敗北を喫したか。……数字を詳細に分析し、理論的にそれを口にすれば、「貴様には愛国心がないのか!大和魂を持って闘えば鬼畜米英など恐れるに足らぬ!」などと罵倒され、誰も本当のことを言わなくなってしまったことに最大の原因があったのだろう。……昨今の妙に勇ましい「保守派」の論調にこれと一脈通じるものを感じるのは私だけではあるまい》(石破茂)

 《世界中の国々がそれぞれの愛国主義を鼓吹したら、どのようなことになるのか。きわめて排他的なナショナリズムの対立を生みかねないであろう。そうではなく、すべての国の人たちを愛するという意味での愛国主義、すなわち人類愛に通ずる愛国主義というものはありえないのであろうか》(入江昭)

 《いま現に生きていて、これからもそこに生き続けるだろう、私にとっての「人の世」である「日本国」を住みよくしなければならないと思っている》(奥武則)

 《国旗や国歌に敬礼できない人々を私は気の毒だと思う。あわれである。しかし、人それぞれに独自の体験があり、「死に値する祖国はありや」という問いを圧殺してはならない》(粕谷一希)

 《「自然」の観念は、ときに、ものごとを「当然」視する規範性を帯びる》(加藤節)

 《しまつに悪いのは、こういう連中が、自らも弱き民衆も救えない「対愛国心処方箋」を出して日銭を稼いでいることである》(呉智英)

 《「愛国」主義者は、愛国をもっぱら他人に求めるだけでなく、このセンチメントをイデオロギーに昇華させようとするが、上から矯正されないほうが、むしろ素直にクニを愛せるはずだ。……だから、素直にクニを愛しながら他方で知と理の立場から、つねに暴走しがちな国家主義をチェックすることが必要になる》(篠原一)

 《ひたすら忠誠を誓うのが愛国心だと思う人たちには、考え直してほしい。馴れ合いと愛の違いを》(杉田敦)

 《「自分こそが本当の愛国者だ」「いや、俺こそが愛国心を持っている」と、愚劣な「愛国者コンテスト」だ。いやな風潮だ》(鈴木邦男)

 《何人かのニュース番組の司会者・コメンテーターが、教育基本法改正案を批判して「ナショナリズムは法律によって強制されるものではなく、自然と芽生えてくる心情の発露である」と発言していたが、これこそがナショナリズムに内包されたイデオロギー性そのものである》(中島岳志)

 《国歌に対応する「愛国心」という目で近代以前の日本を見てしまうと、私の好きな「日本の社会のあり方」や「文化」がどこかに行ってしまう》(橋本治)

 《確かに戦後教育においては、国家権力から独立した市民の育成が重視されたけれども、往々にして学校の内部にもう一つの「国歌」ができてしまうという矛盾に、私は遭遇していたといえる》(原武史)

 《最近の教育はなっていない、子どもがだらしない、親がなっていないと嘆くのは、初老の域にさしかかったオジサンたちの共通の話題である。「最近、妻が冷たい」「子どもが口もきいてくれない」などと酩酊もせずに嘆くわけにもいかず、「学校」や「教育」を俎上に載せることで、鬱憤を晴らす》(保坂展人)

 《「愛」は憤りや怒りと切り離すことができない》(本田由紀)

 《インフラを愛する気はない。でもインフラは大切だ。だから丁重に扱う。尊重もする。でもそんな僕をもしもあなたが国民にあらずと呼称するならば、仕方がない、甘んじて非国民と呼ばれよう》(森達也)

 あと、どーでもいい話だけど、吉田司氏の論考に「日本こそ最大のニート」なるタイトルをつけたのは誰ですか。小一時間問い詰めたい。

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 ベター1:芹沢一也「犯罪季評 ホラーハウス社会を読む・2 「凶悪化する少年たち」というウソ」
 通俗的な青少年問題に反論する際に語られるのは「少年犯罪は凶悪化していない」と統計や事例を引き合いに出すことである。しかし相手が「一人が異常なら若い世代はみんな異常」と思っているような人の場合は、このような論法はもはや通用しない。従って、最初にデータで相手を弱らせたあと、相手の思想的根幹を覆すような強烈な一撃を食らわすことが必要となる。

 というわけで注目の連載第2回の見所は最後の1ページにある。昨今猖獗を極めている青少年バッシングの根幹に、「生活保守主義」=ただ自分の豊かな生活を守りたいとする態度が崩されることに対する不安の表現として「凶悪化する少年たち」が取りざたされていると分析する。確かに青少年バッシングには、自分の子供の頃を懐かしむものが多いからなあ。

 ここ最近の若年層に対し私生活主義が蔓延していると嘆く諸君、最強の私生活主義の発露は若者論なのである(と、私も一発パンチを出してみる)。

 ベター2:内田樹「Book Review『憲法とは何か』長谷部恭男」
 実に深みのある書評である。この文章は長谷部恭男氏の『憲法とは何か』を下敷きにした、言論への「覚悟」を読者に問いかける文章になっている。《大きな声で時節をがなり立てる人たちがめざしているのは主に異論者に発言機会を与えないことである》《反対者の知性を信頼し、自らの行論の破綻の可能性をつねに吟味している人は必ず「静かな声で」語るようになる》などなど。

 ベター3:東浩紀「潮流06 ゲーム大国らしい研究体制を」
 我が国において、ゲーム・バッシングに血道を上げている人たちに、ゲームの社会的・文化的意義を説くことは果たして可能なのだろうか。そもそもゲームを「青少年に悪影響を与えるもの」としてしか語らない人たちと、ゲームに親しんできた人たち、及びゲームを多角的に研究する人たちの溝は著しい(何も今に始まったことではないけれども)。

 《(筆者中:我が国においては)ゲームが「研究」「批評」の対象になるという認識そのものが希薄なのだ》、けだし至言。これはゲームだけではなく、アニメや漫画にもいえることだけれども、これらのサブカルチュアが「子供のもの」と真っ先に認識される時点で、社会学的・文学的な「研究」「批評」の道をかなり閉ざされているといえるかもしれない。

 とりあえず、ゲームについて語った本を1冊読めるくらいの頭の体力ぐらい持っておきましょう、とだけ私はいっておく(あ、『ゲーム脳の恐怖』的な疑似科学本はだめ)。

 ベター4:塩川正十郎、渡部恒三「“恐れるモノがない”政界ご意見番2人の方言&放言対談」
 88ページ1段目に短絡的な青少年認識が伺えるけれども、別に気にならない。なぜなら、この対談自体が、読み物としておもしろいから。政治に関して通常の報道とは違った視点から眺めることができる。

 ベター5:藤本順一「耐震強度偽装事件の真犯人は誰なのか」
 耐震強度偽装事件の「真犯人」は規制緩和だ、という記事としてみれば割と月並みな文章だけれども、「都市再生」政策を攻撃している点に関しては斬新かな。

 ワースト1:茂利勝彦「GARRELY RONZA 「ニッポン!!ニッポン!!ニッポン!!」」
 W杯で熱心に日本チームを応援している人と、戦時中の「愛国心」に燃えた人が重なって見えるんだとさ。ああ、下らないねえ。茂利氏だけでなく、青少年の「右傾化」なるものを批判している人たちにとっては、青少年の一挙手一投足がすべて「右傾化」に見えて仕方ないんだろうなあ。もちろん、「戦後民主主義教育」で青少年が「おかしくなってしまった」と考える人にとっては、青少年の一挙手一投足がすべて「戦後教育の悪影響」となる。

 こーゆー構造にどっぷり浸かっている人たちが気がつかないのが、青少年問題におけるナショナリズムの発露だ。通俗的青少年言説が、いかに「理想の青少年」とゆー名の私生活主義ナショナリズムに基づいているか、いい加減気がついてほしいもんだぜ、ベイベ。

 ワースト2:西村正雄「次の総理に何を望むか」
 101ページの「教育の振興と道徳心の涵養」という小見出しがつけられた部分で大爆笑。《人を大切にする日本的経営の良さが変貌し、勤勉、誠実、謙虚、優しさ、和を尊ぶなど日本人の美風が失われつつある》《教育分野における学力の低下、いじめ、学級崩壊、凶悪な少年犯罪の激増などの荒廃は目を覆うばかりだ》《私は「教育改革」こそが改革の本丸と信じている。個人の権利尊重に偏りすぎた結果様々な弊害を生じた現行の教育基本法を見直し、改革案に……戦後教育で忘れられた分限を盛り込んだことは評価すべきことである。これらはいずれも、市場原理主義とは相容れないものだ》だってさ。俺はそんな文言を100回以上は聞いた。死ぬまで言ってろ。

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論壇私論:「論座」平成18年6月号

 ベスト:芹沢一也、安原宏美「増殖する「不審者情報」――個人情報保護法という呪縛」

 まず、こちらの記事を読んでいただきたい。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060617-00000213-yom-soci

「球技大会中止しろ、子供殺す」子供心配の女を逮捕

 徳島県吉野川市の市立小学校に、PTA主催の球技大会を中止しないと子どもを殺すなどと書いたはがきを送りつけたとして、県警捜査1課と吉野川署は17日、この小学校に通う児童の母親で、同市内の無職女(43)を威力業務妨害容疑で逮捕した。調べに対し、「子どもを狙った事件があちこちで起きている時に、球技大会なんかしている場合じゃないと思った」と供述しているという。

 調べでは、女は同小あてに今月8日、サインペンで「11日の球技大会を中止しないと子供を殺す」などと書いたはがきを送りつけ、同日に予定されていた球技大会と授業参観を中止させた疑い。
(読売新聞) - 6月17日21時8分更新

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 何とすばらしいホラーハウス社会であることか!!この「母親」は、子供を狙った事件が起きているから球技大会などやるべきではない、などという義憤に駆られ、このような愚行をしてしまったのだろうか。

 おそらくこの「母親」は本気ではないかと思う。しかし、果たしてこの「母親」は、自分の行為もまた「子供を狙った事件」として消化されることを考えていないのだろうか。そしてまた自らの行為が「世間」の「不安」をさらに助長させる、という結果になることを考えていないのだろうか。

 実際問題、統計データを見れば、子供が犠牲になるような事件は増えてはいない。しかしながら、平成16年の小林薫の事件以降、「子供が犠牲者になるかもしれない」という不安はものすごい勢いで増大している。

 そして今回ベストに採り上げる文章は、「犯罪と社会」の分野の研究で注目を集める社会学者と(芹沢一也『狂気と犯罪』『ホラーハウス社会』)、その著書に関して全面的に関わったフリー編集者による、「子供が犠牲になるかもしれない」という不安に駆られて共同体を「閉鎖」していく様を如実に描いた出色の論文である。

 我が国において犯罪は増加し(たように見え)、そしてその原因が「地域コミュニティの崩壊」に求められるようになった。そしてそのような「失われた地域コミュニティ」を「取り戻そう」と、様々な「自発的」活動が行なわれるようになった。そしてこれらの「自発的」活動が、住民の間の「一体感」を生み出し、新しい連帯を生み出すようになった。ちなみに私が「自発的」とカギ括弧付きで表現したのは、この活動が実のところ警察主導で行なわれているらしいからだ。

 しかし、このような形で行なわれるコミュニティの「再生」は、人々をさらに大きな不安に陥れるという事態を生じさせている。たとえば、ある住民は、パトロール隊の格好をしているとき以外は子供に不審者扱いされて声もかけられない、と嘆く。さらには、東京都内であるにもかかわらず、滋賀県で起こった事件に関して警戒を強化せよ、という「不審者情報」までもが流れてしまうのだ。そして子供を持つ親の携帯電話には、どこで「変質者」「不審者」が出現したか、というメールが飛び交う。そして誰かが「不審者」と見られる閾値は、たとえば《バイクを押して後ろをついてきた》位のレヴェルまで下がってしまう。

 訳がわからない。しかし、このように思えてしまうのは、ひとえに私が昼間は主として地域社会から外れた場所――大学や図書館――で生活しているからだろうか。あるいは、私が子供を持っていないからだろうか。

 さらに「個人情報」に対する不安の高まりもこのような傾向を加速させる。その中でも学校は生徒・児童の個人情報に極めて強く神経をとがらし、緊急連絡網も作れない、などという事態も起こっている。そこで情報管理ビジネスが発達するわけだが、この発達した情報管理ビジネスを通じて「不審者情報」が洪水のように発信されるわけである。

 地域コミュニティが、情報管理ビジネスを通じ、洪水の如き「不審者情報」に流され、そして「安心」を得つつ外部に対しては閉じていく――。

 だが、ここでもっとも強く批判されているのは、警察でもなければ、セキュリティ企業でもない。「体感治安の悪化」なるカーニヴァルに盛り上がり、「地域社会の活性化」に血道を上げ、そしてそれが生み出す不安のスパイラルと「他社」の排除について快感すら覚えている「個人」である。カーニヴァル化する我が国のすばらしきホラーハウス社会にの中にあって、「社会参加」がそのまま「排除」になってしまう、そしてそのことを快く受け入れてしまう――そんな状況にこそ強く突きつけられる文章である。

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 ベター1:山田真一「「公」としての文化芸術活動を成功させる条件とは」
 「指定管理者制度」の実態に関するレポート。民間の力を活用してサーヴィスの質を上げるはずの制度だったが、実際には、管理者の間で、様々な亀裂が生じている。そもそも文化行政は無駄な建築物が先行しているような状況では成功しにくい。ソフトが先行することこそ成功の第一歩である。

 ソフトに関しては、菊地昭典『ヒトを呼ぶ市民の祭運営術』(学陽書房)あたりを参照してもらってもいいかな。こちらの本については、「市民活動」としての文化の創出に関して興味深い事例が書かれている……って地元じゃないですか!

 ベター2:五百旗頭真、小此木政夫、国分良成、山内昌之、李鍾元「大型座談会 日本外交を語り尽くす」
 日本外交の戦後史に関する座談会。日米同盟やアジア関係についての流れを俯瞰するにはちょうどいい。

 ベター3:茂利勝彦「GARRELY RONZA 出るか?起死回生の一発」
 後ろの犬に大爆笑させていただきました…。

 ベター4:信田さよ子「タイム・トリップの快感?――江原啓之と前世ブームが意味するもの」
 江原啓之氏の「スピリチュアリズム」が初戦は「自己責任論」に過ぎないことを証明してみせている。のみならず、江原氏独特のレトリックのおかしさや、メディア露出の効果など、江原氏の文章や言説に触れる前には是非とも読んでおきたいものである……と言いたいところだけれども、事実誤認もまた多い。本来この内容ならベター1に持ってきてもいいのだが、やはり無視できない。

 それは「アメリカン・ポップ・サイコロジーと自己責任」と小見出しのつけられた箇所における、フェミニズム・カウンセリングやいわゆる「アダルト・チルドレン」ブームに関する記述である。そもそも信田氏は、我が国における「アダルト・チルドレン」ブームの中心人物として活躍してきたはずであり、その点を矢幡洋氏は批判していた(まあ、今ではむしろ矢幡氏の要が信田氏よりもひどくなりつつあるけど…)。それと同時に、「アダルト・チルドレン」に関する誤った理解もまた広めている。この点に関してはどう説明するつもりだろう。

 ベター5:東浩紀「潮流06 情報漏洩とは共存するしかない?」
 「ウィニー」による情報漏出がなぜ今になって(そもそも平成15年には「ウィニー」を媒介したウィルスが報告され、そして改善された)注目されたのか。「情報流出」に関する倫理の構築を求めるという点において、なかなか興味深いものがある。

 ワースト:該当なし

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論壇私論:「論座」平成18年5月号

 ベスト:該当なし
 全体として面白い論考が多かったのだが、取り立ててベストに採り上げるようなものはなかった。

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 ベター1:岡本行夫「欧米知識人の間で高まる「靖国史観」への疑問と懸念」
 対中関係の言論に関して、「中道は」が出づらくなった、ということは、同じ号の宮崎哲弥氏と川端幹人氏の対談(「中吊り倶楽部 宮崎哲弥&川端幹人の週刊誌時評」)でも触れられている。このような認識は岡本氏も共有しているようだ。岡本氏は「是々非々」の立場を堅持する、というが、確かに昨今における日中関係の言説にはこのような立場も有効かもしれない。

 岡本氏の展開する話題は、それ以外にも「戦争責任」の取り方の日本とドイツの違いや、欧米の知識人の日中関係に関する日本への「助言」、いや、むしろ「批判」と呼べるような苦言の存在など、これから先の日中関係を見ていく上では参考になる発言も多く、興味深い。

 ただし…。54ページの最後から55ページのほうの、「広汎性発達障害」に関するアナロジーはどう見ても不適切であろうし、俗流若者論に結びつく可能性も高い。この点はもう少し考慮してほしかったかな。

 ベター2:山田真一「「指定管理者制度」の盲点」
 「指定管理者制度」とは、公的施設(病院、福祉施設、文化施設、さらには公園や道路、下水道まで)の管理・運営に関して、民間のノウハウを取り入れるなどして効率化し、またコスト削減にも役立てようというもの。しかしこの制度の導入に関して、理想とは逆の方向に向かっているというのが現状である。たくさんの企業が視察に来たにもかかわらず実際に管理者の公募に応募してきた会社はたった4社だったり、選定過程の不透明さに議会が紛糾したり、応募条件から「運営実績」を外したり。問題だらけのこの制度、まずなすべきことは情報公開である。

 ベター3:飯尾潤「潮流06 ポスト小泉「若さ」の実質を問おう」
 《若いというだけで評価されるのは、「敵の敵だから、味方だ」といった具合で、打ち倒すべき旧来型政治から離れているから評価されているに過ぎない》至言。そして《若さを支えるチームワークにもっと過信が向けられてもよい》というのもまた至言。単純な「若さ」礼賛と、その裏返しに過ぎぬ「若さ故の未熟さ」批判の繰り返しでは、何も生み出さないのである。

 ベター4:高木浩光「あまりにも情報流出のリスクが大きい」
 「ウィニー問題」に関する基本的な認識を得るためには打ってつけ。新聞の下手な解説記事よりわかりやすい。

 ベター5:松本健一「「アジアン・コモン・ハウス」の可能性」
 現代のナショナリズムは、まず、軍事力を主体とする「テリトリー・ゲーム」で、戦後になると経済力を主体とする「ウェルス・ゲーム」となり、現在はグローバル化する社会の中で自らの存在感を示すための「アイデンティティー・ゲーム」となった。その中においていかに「アジア的価値観」を見いだしていくか。そのためには先の大戦の反省に裏打ちされた歴史認識を持つとともに、「自分の国は自分で守る」気概を表明するために憲法を改正する必要がある、という。

 「東アジア共同体」に関していうと、名著である『中村屋のボース』(白水社)を書いた中島岳志氏(日本学術振興会特別研究員)もまた、歴史と向き合うことの重要性を主張するとともに、「思想としてのアジア」というか第二正面から向き合う必要がある、と訴えている(「その先の東アジア共同体へ」(「論座」平成18年3月号))。また中島氏はインドに関しても警鐘を鳴らしているが(http://indo.sub.jp/nakajima/?itemid=572)、松本氏はインドについてはいかなる考えを持っているのだろうか。

 ワースト1:戸矢理衣奈「潮流06 リセット力」
 戸矢氏2回目の「下流社会」論。前回(「論座」平成18年2月号)での問題点が克服されていないどころか、さらに戸矢氏の青少年に対する認識が狭隘になっているのは痛い。浅野智彦(編)『検証・若者の変貌』(勁草書房)、本田由紀、他『「ニート」って言うな!』(光文社新書)でも読んで出直していただきたい。

 ワースト2:山口二郎「右派論壇の不毛を問う」
 論旨にほとんど異論はないのだけれども、最後のほうで、速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書)なる若年層バッシング本を絶賛しているのはどうよ?山口氏によれば――まあいわゆる左派が若年層を批判する場合でも同様のレトリックが用いられるけれども――、主としてネット上に右派的言論がはびこる理由は、国際的なわが国の地位の相対的な低下で失われる自己肯定感を得たいからだとさ。はっきり言う、そういうことはまず若者論に言ってくれ!

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2006年6月 6日 (火)

『退化する若者たち』著者・丸橋賢氏からの回答

 このブログの記事「『退化する若者たち』著者・丸橋賢氏への公開質問状」について、丸橋賢氏から返答をいただきました。特に非公開にしてほしい、という要請はありませんでしたので、画像として全文を公開することとします。

 丸橋様、並びに周囲の方々には、大変ご迷惑をおかけしました。今後、丸橋氏に関しましては、この回答の内容など、著書の内容から外れたところで批判することは控えたいと思います。

Kaitou

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