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2006年7月14日 (金)

俗流若者論ケースファイル81・梅崎正直&吉田清久&佐藤ゆかり&青山まり&岡田尊司

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 冬枯れの街:ゴーストハント~幽霊の正体見たり枯れ尾花~
 西野坂学園時報:愛国教育に少子化の解決策を求める愚

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 朝日新聞社の「論座」においては、平成17年10月号から、かつて宮崎哲弥氏(評論家)が平成12年5月号から平成15年3月号まで行なっていた週刊誌批評に、新たに川端幹人氏(元「噂の眞相」副編集長)を加えて、対談形式とした週刊誌批評の連載が始まっている。その連載において、宮崎氏も川端氏も、週刊誌の「アエラ化」をしきりに嘆いている。とはいえ、そのような傾向は、私の知っている限りでは――そして宮崎氏も川端氏も十分熟知しているであろう――既に前々から見られていた。

 特に「読売ウィークリー」においては、平成14年頃、有名人の顔が表紙を飾るのではなく、巻頭記事をイメージした絵や写真などが表紙に据えられるようになってから、果たしてこれは「AERA」なのかと疑ってしまうような記事が巻頭に来るようになった。「35歳未婚女」とか「ニート家庭「凄絶」白書」とかいった感じに。部数アップのためかどうかは知らないが、少なくともこういう記事を巻頭に持ってくることが、果たして新聞社の週刊誌がやることか?「AERA」だってもう少しまともな記事を巻頭に持ってくるだろう(ちなみに私は今年に入ってから「AERA」を毎号購読しているが、ざっと見た限りではここ3か月は就職やビジネスの記事が巻頭に据えられることが多い)。「AERA」だって、中森明夫氏が言うところの「アエラ問題」関係の記事は雑誌の中ほどにあることが多いのに、「読売ウィークリー」は堂々と最前面に出してくるのである。本家の「AERA」さえも凌駕してしまったのかと錯覚するほどだ。

 いっそ「アエラ問題」などという言い方はやめて「ヨミィ問題」と呼ぶことにしようか。そもそも「ヨミィ問題」は「アエラ問題」に比して青少年や若い親たちに対する憎悪とか偏見が強い(まあ青少年問題に関しては「アエラ問題」もほとんど同様かもしれないけど)。従って「アエラ問題」「ヨミィ問題」記事は必然的に俗流若者論が出てくる確率が高くなる(『「ニート」って言うな!』で私が採り上げた、「AERA」平成17年4月25日号の、石臥薫子「姉御負け犬と潜在ニート男」はその典型である)。

 そしてそこで出てくる俗流若者論は実に下らないものが多い。B級テイストが実にあふれている。しかしB級テイストがあふれる俗流若者論もまた、若者論コレクターたる私の興味をそそってしまい、結果として収集しては批判したくなってしまう…ああ、コレクターの哀しき定めよ。

 なんて痛い自分をさらけ出している時間ではないので、とっとと文章の検証にはいる。今回検証するのは、梅崎正直、吉田清久(「読売ウィークリー」編集部)、佐藤ゆかり(ライター。政治家ではない)、青山まり(ライター)の各氏による、「読売ウィークリー」平成18年7月23日号の巻頭記事「40歳のセックスレス事情 「女はいらない」男たち」である。

 いや、この記事って、本当に「アエラ問題」っていうか、「ヨミィ問題」っていうか、そのような記事が抱える独特のB級テイストにあふれているんですよね。たとえば最初の1ページで、我が国において40~44歳の男性の7.9%が童貞である、という調査結果に過剰に驚いていたりとか(「第2回男女の生活と意識に関する調査報告書」という統計がソースらしい)。そしてそれについてわざわざ「専門家」にお伺いを立ててみたりとか。そんなの個人の勝手だろう、というあたしの疑問は完全にスルーしますよと言わんばかりに「解説」をつけてみるわけさ。

 そこであたしは一抹の不安感を抱いたんだ。というのもその「専門家」の中には、なんと『脳内汚染』(文藝春秋)の著者である岡田尊司氏(精神科医)が出てきているんだよ!!そしてあたしの懸念はついに現実のものとなってしまうんだが…これに関しては後で述べることとしよう。

 気を取り直して記事の検証作業を続けることとする。まあ、セックスレス、晩婚化、非婚化を過剰に嘆いてみせては何の益体もない「解説」をつけるという前半部分に関しては、はいはい大きなお世話ですよ、以外の感想を持ち得ないのでスルーすることとする。また、アダルトビデオなどがあおるような女性を満足させなければいけない、というイメージがかえってプレッシャーとなっている、という指摘もある程度は的を得ていると思う。だが15ページの最後のほうに入って、雲行きが怪しくなってくる。亀山早苗氏(ノンフィクション作家)が出てくるあたりからである。

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 男女関係の諸相を取材してきたノンフィクション作家の亀山早苗さんは、こう話す。

 「40歳代よりもっとセックスに弱くなっているのは30歳代、20歳代だと思います。彼らと話していると、仕事や趣味優先で、デートやセックスの優先順位は低い。『セックスしなくて何がいけないの』と言い換えされてしまいます」

 亀山さんによれば、30歳代男性に多いのは、女性とのコミュニケーションをいとう傾向だ。女性とのデートは面倒くさい、何を話していいのかわからない――という男性も多い。仕事やパソコンに没頭しているほうが楽。ましてやセックスなど……。(梅崎正直、吉田清久、佐藤ゆかり、青山まり[2006]15ページ)

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 文脈を無視してなぜかパソコンが出てきてしまったのは、ここで一種の複線を引いているからだろう――すなわち、パソコンなどの「ヴァーチャル」に「没頭する」青少年の精神のあり方こそが問題なのだ、という論理に展開させるための。また、ここで都合よく論じる対象を40代から30代以下にシフトさせている。

 さあさあここでやって来ましたよ、伝説の『脳内汚染』の著者、岡田尊司氏のご託宣が。それでは岡田さん、歌っていただきましょう、想いを込めて!!

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 前出の岡田さんは、「しない男性」が増える遠因として意外な指摘をする。「テレビ」だ。

 前出の日本家族計画協会調査の未経験率は、40~44歳男性が7.9%だったのに対し、すぐ上の45~39歳男はゼロだった。

 「両世代間の育ち方の何が違うのかを考えると、そこにテレビがある。40~44歳は、生まれたときから家庭にテレビがあった最初の世代なのです。家族の団欒も、皆がテレビの方を向くようになり、正面から視線を交わして話をすることが少なくなった。そのことが、対女性関係に影響しているのではないでしょうか」

 そして現代の環境に目を向けると……本誌のセックスレス男性アンケートでは、「セックスよりも楽しいこと」に、未既婚者とも「仕事」「パソコン」を多く挙げていた(18ページの囲み記事参照)。

 「パソコンの操作環境、つまり自分の意志通りに対象を操作できる環境に慣れた人は、相手に主導権を持たれると不安、不快になる。恋愛やセックスのような相互的関係は苦手で、不自由に思う傾向があります。また、仕事でストレスが大きくなると、体内でステロイドホルモンが分泌され、性欲低下の原因になります」(岡田さん)

 パソコンと仕事依存。30~40歳代の男性の生活環境に、ごく当たり前にあるものだろう。これがセックスレスを産むのか、逆に、女性と向き合うことを回避するために仕事やパソコンに向かうのか――「ニワトリと卵」のスパイラルの中で、オトコたちの性は衰え、そしてニッポンの少子化は静かに進んでいく。(梅崎ほか、前掲、16ページ)

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 うーん、いいねえ。特に最後における、「オトコ」「ニッポン」というカタカナ表記がすばらしい。このように表記することによって、本来「あるべき姿」である「男」「日本」ではなく、現状が本来「あるべき姿」からは「退化」した「オトコ」「ニッポン」であると嘆くことができ、さらに少子化の原因を全部昨今のそれこそ「オトコ」「ニッポン」のせいにすることができるのだから。

 これは俗流若者論が作るネバーランドである。要するに、経済的原因とか、あるいは脅迫的子育て言説と俗流若者論の蔓延(あたしは特にこの2つが少子化にもたらす影響を無視してはならないと思ってるんだけどね)の検証をスルーし、青少年の「内面」こそが問題であるとすることができるのだから。俺たち大人は悪くない!悪いのはみんな「あいつら」なんだ!という駄々っ子の如き叫びが聞こえてきそうだ。「大人」という無謬の殻に閉じこもる限り、「大人」たちはイノセンスの殻にこもることができる。そして現在、この無謬の殻の役割を果たしているのが、単純に言えば高度経済成長期的な価値観である。これはこの記事に限らず、たとえば「下流社会」論や「かまやつ女」論にも強く見られるものである(って、両方とも三浦展じゃん)。

 岡田氏もまた、これほどまでに単純なメディア悪影響論を信奉しているという姿がまた滑稽である。そもそもこれが精神科医の「分析」なのか、と私は疑ってしまう。そんなことはそこらの俗流保守論壇人にもいえることだ。

 それにしても岡田氏の単純すぎるパソコンに対する理解はどうにかならないものか、このインターネットやネットゲーム全盛の時代に。私はネットゲームはやったことはないけれども、ネットゲームの普及がこれまでのゲームのあり方を変えることは誰にでもわかる話だろう。

 記事の書き手の名誉のために付け加えておくと、19ページには赤川学氏(東京大学助教授)のインタヴューが掲載されており、タイトルの「恋愛至上主義こそ元凶だ!」という内容の通り、むしろ「コミュニケーション能力」重視の傾向こそが問題だ、という良心的な内容になってはいる。しかしこのインタヴューが記事の中でコラムとして引き合いに出されるのではなく、最後の最後で、しかも(統計的に極めて怪しい)セックスレス男性に対する「調査」のあとに書かれているのだから、おそらく読む人はそれほど多くはないかもしれない。第一、この記事自体が「恋愛至上主義」に染まっているし。結局のところ、「どう見てもエクスキューズです、本当にありがとうございました」としか言いようがないのである。赤川氏が気の毒である。

 いや、ここまでねちっこく批判したけれども、私がこの記事の書き手に対してもっとも言いたいことは次の一言に尽きる。

 で、あんたらはこの記事で何が言いたかったの?

 参考文献・資料
 本田透『電波男』三才ブックス、2005年3月
 堀井憲一郎『若者殺しの時代』講談社現代新書、2006年4月
 梅崎正直、吉田清久、佐藤ゆかり、青山まり「40歳のセックスレス事情 「女はいらない」男たち」(「読売ウィークリー」2006年7月23日号、読売新聞社)

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「超少子化……危機に立つ日本社会」 (鈴木りえこ、集英社、2000) 本来この本は、日本に根強く残る愚かしい性別役割分業思想や、女性に出産か労働かの事実上の二択を迫る企業社会の欠陥を鋭く突き、日本的労働慣行の転換や北欧型高福祉型社会への離陸を図ることを目指すことを説く好書……になるはずでした。しかしラスト10ページで「日本国民の愛国心の欠如を是正し、学校教育で愛国教育を復活させることこそが少子化の解決策である」などという珍説をぶち上げてしまったがために、せっかくの精緻な分析が台無しになってし... [続きを読む]

受信: 2006年7月26日 (水) 08時46分

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