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2006年8月18日 (金)

2006年4~6月の1冊

 少々遅れてしまいまして申し訳ありませんでした。

 1:ミシェル・フーコー『(ミシェル・フーコー講義集成・5)異常者たち』慎改康之:訳、筑摩書房、2002年6月
 晩年のミシェル・フーコーの講義録。執筆現在は4・5・11巻が出ている。

 本書は「異常者たち」という問題に関する講義録である。精神科医やセクシュアリティの問題に始まり、法と犯罪、自慰などに関する話題が並び、権力やほうとは何か、ということに関して新たな視座を与えてくれる。芹沢一也『狂気と犯罪』『ホラーハウス社会』(ともに講談社+α新書)と議論が大きくかぶる部分も存在するが。

 2:岩田考、羽渕一代、菊池裕生、苫米地伸(編)『若者たちのコミュニケーション・サバイバル』恒星社厚生閣、2006年3月
 青少年のコミュニケーションを巡る考察。基本文献として最適である。青少年でコミュニケーション能力、というと、真っ先に携帯電話とかインターネットなどが槍玉に挙がり、しかも青少年のコミュニケーション能力は確実に「低下」しているものと見なされるが、本書はそのようなスタンスに積極的に立っているわけではない。生計や親子関係にまで議論が広がっているのも特徴の一つ。

 3:渋谷望『魂の労働』青土社、2003年12月
 これも権力に関する考察。基本的な視座は「労働」である。現代の、特に我が国における労働の問題を、ポストモダニズムやネオリベラリズムに対する批判、及び様々な権力論を引いて論じている。内容は少々難解なように思えるが、少なくとも学術書や哲学書を読むくらいの能力があれば本書はぜひとも目を通しておくべき。

 4:佐藤直樹『世間の目』光文社、2004年4月
 直接的には権力論ではないが、「権力」というものを考えるためにはこれも一読に値するだろう。我が国における医療、法、労働、教育、事件とマスメディアなどの関係を「世間学」という視座から読み解く画期的な試み。我が国において「世間」とは何か、そして情報化社会の進展によって「世間」はいかに変わる/変わらないか。ただ、第10章「ネット社会と「世間」」に関しては、いささか論じ尽くされた感があるような文章がかなり多く、さらに言えば小原信にも肩入れしているため少々物足りないこともあるけど。阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書)は併読しておくべき。

 5:貴戸理恵『不登校は終わらない』新曜社、2004年12月
 本書の内容はタイトルにつきる。すなわち「不登校は終わらない」のである。不登校を巡る言説は、「脱却できればそれでよし」などというような「幻想」がつきまとい、そこから「こうすれば不登校は治る!」「これが不登校解決の決定打だ!」といった具合の言説が雨後の竹の子の如く繁殖しているという現状があるが、本書はそのような言説に加え、さらに「不登校は既存の学校社会に対する対抗である」などという具合に不登校を肯定する言説を検討する。さらに、不登校の「当事者」はどのように不登校から脱却し、その後をいかに過ごし、また不登校に関する言説を消化したか、ということを検証する。

 ただ第4章に関しては他の章に比べて少々物足りない気がしたけれども、政策的な提言を含んでいる以上、現状と何とか妥協して最大限の成果を生み出したものと見ればよくできている。

 6:白波瀬佐和子(編)『変化する社会の不平等』東京大学出版会、2006年1月
 様々な「不平等」を巡る考察。書き手も佐藤俊樹氏や苅谷剛彦氏などといった強力なメンバーが並んでいる。教育、医療、中年無業者、さらには「不平等感」の増大まで、「不平等」に関する話題に触れるにあたってはかゆいところまで手が届く一冊といえるだろう。

 ちなみに玄田有史氏も寄稿している。内容は中年無業者で、内容としてはよくできている。それにしても玄田氏は、このような専門的な本などではかなり優れたことを書くのに、一般的な本や雑誌などになるとどうしてかなりレヴェルが落ちてしまうのだろう?

 7:岩波明『狂気の偽装』新潮社、2006年4月
 精神科医による臨床報告。心理学が安易に取り扱われるようになり、精神科医という仕事も「心の専門家」として変な羨望の視線を向けられるようになっているが、本書においては他人の心の病に真剣に向き合わなければならない精神科医の苦悩が描かれている。

 本書において強く批判されているのは、近年蔓延する「心理学主義」的論説や、さらに踏み込んだ「脳」還元主義的な言説である。本書においては曲学阿世の徒・森昭雄の「ゲーム脳」論まで批判の対象になっているほか、「PTSD」などの心理学的言説を安易に広めたがる人たちの無責任さにも批判を惜しまない。しかし実際の病者に対する視線は暖かい。

 8:堀井憲一郎『若者殺しの時代』講談社現代新書、2006年4月
 1980年代の消費社会論。バブル時代における経済や文化を支えるものがいかなるものであるか、ということを自らの経験に即して活写する。クリスマスやディズニーランドに代表される消費文化、及びそれとマスメディアの関係、あるいはサブカルチュアに対する視線、宮崎勤などといった80年代に関する記述はおもしろい。「若者」という存在が消費の主役としてさんざん煽られ続けた時代の風景は、その後、簡単に言えば「若者」という記号が消費されるようになった時代=現在を省察する上でも実に有益。

 ただし第5章以降はいけない。特に第5章後半から第6章までは、ほとんど俗流若者論といってもいい代物だ。故にランクをかなり下げている。特にパソコンや携帯電話に関する記述の陳腐さはもはや絶望的である。さらに最後のほうで「伝統的身体」まで称揚するかのような展開になっており、腰が抜けた。前半のよさがこちらでは完全に弱点として表出している。

 9:佐々木俊尚『グーグル』文春新書、2006年2月
 最近、グーグルに関する解説書がとみに増えてきたような気がするけれども、気のせいか?本書は決してグーグルの使い方に関する解説書ではない。それどころかインターネットの未来像に関して大きな問題提起を突きつける本である。グーグルによって何が起こっているのか、そして(会社としての)グーグルはいったい何を考えているのか、そしてインターネットの将来は本当にバラ色なのか。グーグルを使わないような人(私はグーグルよりもヤフーを使っている)にとってもグーグルは関係のないものではないのだ。

 10:大竹文雄『日本の不平等』日本経済新聞社、2005年5月
 様々な賞を受賞している大著。本書第1章冒頭における「ジニ係数(不平等度を測る指標の一つ)は近年になって急増した、というわけではない」という主張をもって、本書は不平等を否定しているととらえる向きも一部にはあるが、それは断じて違う。特に「成果主義的賃金制度と労働意欲」に関して述べた第9章は必読だ。とはいえ、数式が多く用いられている章もあるため、基本的な数学の素養がないと読みこなすのは少々難しいかもしれない。ただし「不平等」に関する問題を考えるにあたっては読んでおいて損はない。特に「不平等」が俗流若者論と結びつけられて大安売りされている現状にあっては。6の白波瀬佐和子氏の本と併せて読みたい。

 11:上野成利『暴力』岩波書店、2006年3月
 これも権力論。ハンナ・アレントやヴァルター・ベンヤミンの暴力論=権力論の概説書。「暴力」を中心に「秩序」や「法」などの概念をとらえ直していく試み。

 12:鈴木邦男『愛国者は信用できるか』講談社現代新書、2005年5月
 三島由紀夫は「愛国心」という言葉を不快に思った。なぜか。我が国においては左右を問わず「愛国心は持って当然」というような議論が溢れているが(左派における「愛国心は強制するものではない、自然と生まれるものだ」という議論もまた、結局のところ「愛国心」を持つことそのものに対して否定しているわけではない、当然視しているきらいすらある)、そもそも「愛国者」が大量にはびこる現状は果たして喜ばしきものか。歴史、右翼、そして天皇制からの問い。

 ワースト:丸橋賢『退化する若者たち』PHP新書、2006年5月
 関連:「『退化する若者たち』著者・丸橋賢氏への公開質問状」「『退化する若者たち』著者・丸橋賢氏からの回答
 どう見ても差別主義の産物です、本当にありがとうございました。本書は歯科医による俗流若者論である。で、その主張が「今時の若者は戦後の食生活によって歯並びが悪くなっており、さらに戦後民主主義教育によって「型」を教えられていないから堕落したのだ」という内容。この手の議論の現状認識における誤謬や、このような議論が引き起こす差別主義の罠は既に関連記事において論じているので、今更繰り返す必要はない。

 しかしながら私が残念に思うのは、このような「科学的」俗流若者論が、主としてこの本の著者の如く医学的分野によって担われていることだ。脳科学にしろ、あるいは心理学にしろ同じである。このような議論が、それこそ本書の如く残酷な差別主義を生むことに関して、左派に属する論壇人はもっと自覚的であるべきだ。今左派に求められているのはこのような「医の乱調」に対する批判的視座なのである。

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コメント

 こんにちはー。「異常者たち」おもしろかったですね。
 私海外出張の飛行機の中で読んでたんですが、あまりにおもしろいので行き一睡もせず(笑)。「インサイド・マン」と「ミッションインポシッブル」観ようと思ったのにぃ。
 で、すっかり本の世界にはまり、仕事してたのがポルトガル、リスボンの旧市街。町の入り口の立派な城壁の門があって、その前が広場で、コーディネーターさん「昔ここにギロチン台があったんですよー」私「そういうものって町の入り口にあるんですよねー日本もそうですから・・・(えんえんと語る)」「・・・・安原さんって変わってますね」とすっかり変な人になってました。
 フーコーって引用してくる事件とかもおもしろいしんですよね。「おなか減ったんで自分の子供を食べてる母親」とかね。でも不況だったから世間納得してるみたいなのとかね。オイオイみたいな。
 その本は講義禄だし難しい言葉あまりないので、初心者の方でも楽しめると思います。

投稿: 安原 | 2006年8月20日 (日) 20時24分

後藤君の場合、仮に本人にリベラル方向への
志向性があったとしても、広く君の言説が
世に受容されていくと、特に同世代人の中では
ネオリベ向きの人間の支持の方が多くなっちゃいそうだね。
今後の社会の課題となりそうなことと合わせて
考えると、ある意味保守反動的存在の役割を負うのかもしれないね。

投稿: ン・ジュンマ(呉準磨) | 2006年9月 7日 (木) 13時10分

はじめまして。春頃から拝読しています。
すでに古い情報となり、ご存知かとは思いますが、書かずにいられない気分ですので…。

先々週の日曜朝、寝床でラジオを聴いていると、「世相ホットライン ハイ!竹村健一です」という番組に、丸橋賢氏がゲスト出演していました。
こちらで批判なさっていた相手だなと思っていると案の定、歯や「退化」の話が始まりました…。

「この頃の若者が変な行動をするのは歯が原因」だというのは氏のスタンスだとしても、
「直接会えば、アゴ・かみ合わせのズレとそれが原因となっている症状(肩こりとか腰痛とか)は一発でわかる」ので「ズレを矯正するもの(マウスピースのようなもの?)をその人に合わせて作り、噛ませれば簡単に治せる」と言い、
しかも「100%ではないが、(『変』になっている人に)アゴのずれを補正するものを噛むと正気に戻る」「自殺を何度も繰り返した人にかませたらそれ以後、二度と自殺を考えなくなった」と豪語しているのは???でした。
(竹村氏はもちろん、「それなら厚生労働省にでも何にでも言って、それを全国で実施すればいい」と真に受けていました。)

…本来ならきちんと聴いて議論の対象にするべきなのでしょうけれど、気持ち悪くなるばかりのようだったので、朝食の準備ができたという呼び声を機に離脱してしまいました(汗)。

かみ合わせ矯正だけで万事解決でめでたしめでたしとはいかないことは、ほんとうに実施されれば明白になるでしょうけれど、それはそれで壮大なムダですし、聴いた時のイヤな思いが未だに気持ちの中に残っています。
長文たいへん失礼しました。

投稿: もとい | 2006年9月17日 (日) 12時08分

お久しぶりです。

貴戸理恵さんの「不登校は終わらない」は、事実誤認があり、またフリースクールに関する表層的な理解に基づいた、雑なつくりの本だったとわたしは思います。

投稿: ワタリ | 2006年9月18日 (月) 23時27分

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