1:イアン・ボーデン『スケートボーディング、空間、都市』齋藤雅子、中川美穂、矢部恒彦:訳、新曜社、2006年8月
ユース・カルチュアとしてのスケートボードが都市空間に及ぼす影響を考察した本。私はスケートボードのことに関しては人並み以上に明るくないけれども、本書における文化と都市・空間に関する考察は否応なしに意欲をかき立てられる。都市と空間を巡る一大叙事詩として、特に都市空間について興味のある人にはぜひ一読を勧める。
また、若者論オタクの私としては、本書によって、建築学(空間論)が青少年の行動の用語につながるのではないか、という妄想も同時に抱いた。関連書としてはアフォーダンスに関する本(例えば、佐々木正人『知性はどこに生まれるか』講談社現代新書)を。
2:鈴木透『性と暴力のアメリカ』中公新書、2006年9月
米国における「性」と「暴力」の問題を、米国建国以前の歴史から考察したもの。本書においては、米国における同性愛、「性革命」、暴力、さらには湾岸戦争からイラク戦争に至る孤立主義がいかなる思想に基づいているか、について書かれている。
特に本書の第2章は、だまされたと思って読んで欲しい。なぜなら、米国のみならず、「理解できない」存在や「排除すべき」存在に対する暴力がいかにして組織化されるか、ということが一種のリアリズムをもって書かれているからだ。社会学や哲学における暴力論よりも、権力と暴力のメカニズムが理解できることは間違いない。
3:スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー『ヤバい経済学』望月衛:訳、東洋経済新報社、2006年2006年5月
思わぬ方角から「インセンティブ」や「因果関係」に関する話題をわかりやすく解説する。例えば、なぜ米国で犯罪者が減ったか、あるいは、米国の学力テストにおける教師のインチキなど、話題に意外性がある上、翻訳やタイトルの付け方も秀逸であり、読み物として楽しむことができる。話題やノリが『反社会学講座』のような本と似ているため、同書で笑える人はぜひとも本書にも目を通しておくべき。
4:久保大『治安はほんとうに悪化しているのか』公人社、2006年6月
かつて東京都で治安対策担当部長として治安政策に関わっていた職員による、治安に関する概説書であり、かつ、当時の治安政策を「虚妄だ」と言えなかったことに関する懺悔の書。「治安は本当は悪化していないのではないか」という言説は、犯罪白書のデータの引用により多くの人によって論じられているけれども、本書はそこからさらに踏み込んでなぜ「防犯」から「治安」へと言葉が置き換わったのか、というところまで検証する。浜井浩一(編著)『犯罪統計入門』(日本評論社)はぜひとも併読すべき。監視社会化と厳罰化に抗うのであれば、まずこの2冊で基礎を押さえよう。
5:いしいひさいち『現代思想の遭難者たち 増補版』講談社、2006年6月
古典を読もうとして挫折した、という経験を持つ私だが、ここまで哲学書を読む気にさせてくれる本は正直言ってあまりない。基本的にはいしいひさいち氏による4コマ漫画と、注釈によって構成されている(構成が変わるページや、漫画だけのページもある)。近代思想に関して興味を持ちたい、という人にはお勧め。
6:萱野稔人『国家とはなにか』以文社、2005年4月
マックス・ヴェーバー、ミシェル・フーコー、ヴァルター・ベンヤミンなどによる国家論や権力論の整理だが、特に読み応えがあるのが暴力の組織化に関する問題と、「国民国家論」を虚妄であるとする立場に対する批判。特に国民国家批判の部分に関しては、他の小に比して分量は少ないものの、国家というものを考える上で重要なエッセンスが詰まっているし、暴力論がなぜ必要か、ということについても考えさせられる。
7:竹信三恵子『ワークシェアリングの実像』岩波書店、2002年3月
日本で行なわれている「ワークシェアリング」とは何か、そして言葉だけが一人歩きしてしまった我が国において、真に労働者のためになる「ワークシェアリング」とは何か、ということを、現場の取材によって問いかける。4年半ほど前に出版された本だが、決して本書の意義はなくなっていない。いや、今こそ読まれるべき本かもしれない。
8:城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』光文社新書、2006年9月
若年層の離職に関する問題は、概して若年層の精神に帰して語られやすいものだけれども、タイトルとは裏腹に、本書は決してそのような結論を採らない。本書は、政策を構築する側が、依然として旧来型の「終身雇用」にこだわっていたら永久に問題は解決しない、ということを教えてくれる。ただ「希望を持たせる」ために付け加えられた最終章はどう見てもエクスキューズの感じがするなあ。7の竹信三恵子氏の本と併読されたし。
9:ミシェル・フーコー『フーコー・コレクション・4 権力・監禁』小林康夫、石田英敬、松浦寿輝:編、ちくま学芸文庫、2006年8月
1971年、フーコーは、GIP(監獄情報グループ)なる団体を設立し、監獄の実態を是正するための活動を始める。フーコーはなぜ政治活動に力を注いだのか。また、権力や監獄のシステムを支えるメカニズムとは何か。そして知識人の問題とは何か。当時の知識人に関する問題は、現代にも通じるところがある。
10:渡部真『現代青少年の社会学』社会思想社、2006年9月
現代の青少年問題に関する極上の概説書。本書は自殺、青少年の問題行動、学力、教育、高校生文化の変遷、格差まで、実に幅広い問題を取り扱うけれども、変な先見を廃して、公正に判断していこうというところに書き手の学者としての誠意が見える(ちなみに本書の記述は仮想対談形式)。本書を元にした漫画が描かれるとなおいいのだが。
11:保坂展人、岩瀬達哉、大川豊『官の錬金術』WAVE出版、2005年11月
質問の多さで知られる国会議員と年金問題に詳しいジャーナリストによる、「失業保険」のカラクリ。雇用保険はどのような用途に使われているか(=いかに無駄遣いされているか)、そしてなぜ利権が増殖するか、などの、衝撃のレポート。第二のグリーンピアはいつ出てきてもおかしくない。
12:矢部史郎、山の手緑『愛と暴力の現代思想』青土社、2006年5月
なんか最近、この記事でも少しワーストで採り上げているけれども、「売れっ子」の左派論壇人によるやけに緩い「社会時評」本が売れてきているけれども、本書はかなり強烈で腰の入った社会批判の本である。最初のほうはやや俗流若者論の臭いがするところもあるけれども、そんなものはどうでもいいほどの迫力が漂っている。毒にも薬にもならぬ、昨今の左派言説に飽きた人に。
13:ジョゼフ・E・スティグリッツ『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』鈴木主税:訳、徳間書店、2002年5月
IMFとアメリカの財務省に対する糾弾の書。いかに米国主導のグローバリズムが世界の経済を歪めてきたか、また、いかにそれが世界を不幸にしてきたか、ということを、ふんだんな実例でもって語る。そして、我が国の掲げてきた「改革」「行革」がいかに間違った順序で改革を行なってきているか、ということに関しても攻撃する。毒にも薬にもならぬ、昨今の左派言説に飽きた人に(2回目)。
14:斎藤貴男『分断される日本』角川書店、2006年6月
斎藤貴男氏は、青少年が絡んできて教育が絡んでこない分野に関しては俗流若者論が目立つ書き手であるけれども、本書は斎藤氏のいい部分がふんだんに詰まっている。特に著者自身の怒っている態度が見えてくるのが本書の魅力。力が入っている。毒にも薬にもならぬ、昨今の左派言説に飽きた人に(3回目)。
15:ロバート・パーク『わたしたちはなぜ科学にだまされるのか』栗木さつき:訳、主婦の友社、2001年4月
米国における疑似科学の横行を批判した書(こういう本って、結構出ているけど)。本書においては、ホメオパシー(同種療法)や医学的効果のわからない怪しげな薬がいかにでたらめであるか、ということが糾弾されており、おもしろい。けど、批判のトーンが後半になると陳腐化してきている、という気がしないでもない…。同種の本(マーティン・ガードナー『奇妙な論理』(1・2巻、ハヤカワ文庫)、カール・セーガン『人はなぜエセ科学に騙されるのか 上巻』(上下巻、新潮文庫)、マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』(1・2巻、ハヤカワ文庫))も読んでおくことを薦める。
16:ヘンリー・ペトロスキー『もっと長い橋、もっと丈夫なビル』松浦俊輔:訳、朝日選書、2006年8月
世界中の橋や、土木・建築の他に様々な技術について、いかにそれが技術革新を生み出しているか、ということについて述べる。強度と芸術性の関係や、いかに設計すべきか、という問題について、様々な橋の実例を通じて詳しく書かれている。橋を設計したい人のみならず、技術革新に関心のある人にも。
17:アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン『〈知〉の欺瞞』田崎晴明、大野克嗣、堀茂樹:訳、岩波書店、2000年5月
「ポストモダニズム」に属している思想家が、いかに物理学や数学の分野に関して間違ったアナロジーを用いているか、ということを糾弾、というよりも嘲笑した本。ただし批判が若干単調である、という気もしなくないけど。
ところで現在の我が国、特に若者論に照らし合わせてみると、主として脳科学や行動学、心理学に関して間違ったアナロジーが使われていることもあるけれども、思想家や作家のみならず、理系の専門家までがこのような〈知〉の欺瞞を犯しているんだよな…。なんでだろう。
18:谷村智康『CM化するニッポン』WAVE出版、2005年12月
いかに我が国のテレビが「見えない広告」に満ちあふれているか、ということを解説した本。私はドラマに関してはちっとも明るくないけれども(というか全く見ない)、ドラマも「見えない広告」の巣窟となっているとは。そしてNHKまで。ただ、最後のほうのアニメに関する記述が少々不満を持った。「コンテンツビジネス」という言葉もあることだし、宣伝とわかって評価したり買っている人もいるのではないかな?
19:山下悦子『女を幸せにしない「男女共同参画社会」』洋泉社新書、2006年7月
昨年の9月末にこのブログで私が行なった、短期集中連載「三浦展研究」の内容に共感できるなら、あるいはそれでも三浦氏の問題点がわからないのであれば、本書の三浦展批判はぜひとも読むべき。このためだけに本書を買ってもいいくらい。三浦氏を批判した言説はあまたあれど(ほとんどネットが中心だけど)、書籍において三浦展の言っていることは単なる自己責任論だ!と言っているのは少ない。
とはいえ、本書におけるフェミニズム(特に「行政フェミニズム」)に関する記述は、疑問を持たざるを得ない部分が多い。特に本書の「負け犬」批判は、極めてみっともない。俗流若者論とほとんど同じだ。
20:福田誠治『競争やめたら学力世界一』朝日選書、2006年5月
フィンランドの教育に関するリポート。おもしろいけれども、フィンランドを少々称揚しすぎている気がする。もう一つ言えば、この人の「ニート」認識ははっきり言ってお粗末。この人のせいでフィンランドに誤った「ニート」概念が輸入されたら、はっきり言って怖いぞ。
ワースト1:正高信男『他人を許せないサル』講談社ブルーバックス、2006年8月
関連記事:「正高信男という零落」
どう見ても思考が劣化しています、本当にありがとうございました。3年ほど前には見られた驚くべき疑似科学やとんでもない論理、あるいはどう考えてもおかしいアナロジーは消え、完全に思考停止の愚痴だらけが詰まった本になってしまった。もはや疑似科学書と呼ぶことすらためらわれるし、若者論オタク的にもちっとも楽しくない。まさにワースト1を飾るにふさわしい本。
ちなみに同書にはさまっていた講談社の広告においては、本書が「気鋭のサル学者による新しい世間論」などと紹介されていた。嗤うべし。こんな本を読むくらいなら、佐藤直樹『世間の目』(光文社)を読むべきである。というよりも、本書の執筆動機って、阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書、こちらは名著)を読んで、単純に「世間」という言葉が使いたくなっただけじゃないの?
阿部謹也氏のご冥福をお祈りします。
ワースト2:幕内秀夫『勉強以前の「頭の良い子ども」をつくる基本食』講談社、2006年8月
どう見ても電波ゆんゆん出まくってます、本当にありがとうございました。基本的に本書は「戦後の食生活が青少年・若年層をだめにした」という論調なのだけれども、著者自身の熱意が空回りしまくっていて、とにかく笑えるのだ。と言うよりも、何でそこまで砂糖やパン、そして戦後の栄養学が支配した食卓を憎むことができるの?本書は極上の電波本であり、若者論のオタクであれば本書で笑わなければならないだろう(PISAの学力テストで本当に子供たちの「学力低下」を断言できるのか、ということに関しては、20の福田誠治氏の著書を参照されたし)。食欲減退の折にはぜひ。
ワースト3:鳥居徹也『親が子に語る「働く」意味』WAVE出版、2006年7月
どう見てもギャグです、本当にありがとうございました。まず、最初の「大卒フリーター問題」に関する記述が、少しでも我が国の労働環境についてかじったことのある人なら確実に笑える。鳥居氏の言説を真に受けてしまった人は、とりあえず「新卒採用」という言葉を頭に入れておくように。あと、厚生労働省『世界の厚生労働2006』(TKC出版)も読んでおくように。
前半はとにかく笑えるのだが、後半になるとほとんど自己啓発書のノリで、教条主義的であり、笑える部分が少ない。でも、若者論で笑いたい人は、前半だけでも十分に元は取れるぞ。
ワースト4:小宮信夫(監修)『徹底検証!子どもは「この場所」で犠牲になった』宝島社、2006年7月
どう見ても不安を煽りすぎです、本当にありがとうございました。どう見たって日本全国で見られる風景だろう、と思ってしまう場所を「危険な場所」として紹介している部分があったり、あるいは子供を狙った事件はここ数十年では一貫して減っている、と言うことが紹介されていなかったりするけれども、それ以上に背筋が凍り付いたのは本書の最後のほうに収録されている童話。「子供」をめぐるワードポリティクスの現状を知りたい人は読んでおくべきかもしれない。また、4の久保大氏の本や、浜井浩一氏の『犯罪統計入門』、及び、芹沢一也、安原宏美「増殖する「不審者情報」――個人情報保護法という呪縛」(「論座」平成18年7月号)は、本書を読む前に絶対読んでおくこと。
ワースト5:速水由紀子『「つながり」という危ない快楽』筑摩書房、2006年7月
どう見ても宮台真司氏の10年ほど前の言説を流用しているだけです、本当にありがとうございました。そもそも「格差」について語るのであれば、経済的な問題は無視することはできないはずだし、また労働環境の問題も、統計や他の人の本からの引用でもいいから触れるべきだろう。しかし本書においては、青少年のコミュニケーション環境の変化が「格差」問題を生む、としている。
格差論をコミュニケーション論、あるいは「若者文化論」としてとらえる傾向に、私は危機感を禁じ得ない。あと、本書における「オタク」に関する説明はほとんど一貫性を保っていない。三浦展を批判しているけれども、本書の議論はかなり三浦と重なっている。
ワースト6:香山リカ、佐高信『チルドレンな日本』七つ森書館、2006年7月
どう見ても愚痴を言っているだけです、本当にありがとうございました。というよりも、本書に流れる独特の、不愉快な「緩さ」に耐えられない。自分たちの言説の人気がないことを嘆いていたりとか、あるいは単に内容のない放言をしているならまだしも、本当に腹が立つのが、本書で時折挿入される著者2人のあきらめたような笑顔。
はっきり言って、本書は左派論壇における「政治」的位置を確認するための、もっと酷く言えば、古くからの読み手に媚びている本にしか見えない。
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