2006年・今年の1冊/10~12月の1冊
今年の「若者論な言葉」は、もう少しお待ち下さい。
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冬枯れの街:「「犯罪不安社会」~君、治安悪化言いたもうことなかれ~」
女子リベ 安原宏美--編集者のブログ:「犯罪不安社会 本日発売 編集後記のようなもの」
芹沢一也blog 社会と権力:「ブロガーの皆さん、ありがとうございます・2!」
今年の1冊:浜井浩一、芹沢一也『犯罪不安社会』光文社新書、2006年12月
本年は、藤原正彦『国家の品格』(新潮新書)と岡田尊司『脳内汚染』(文藝春秋)に始まり、魚住絹代『いまどき中学生白書』(講談社)、速水敏彦『他人を見下す若者たち』(講談社現代新書)、丸橋賢『退化する若者たち』(PHP新書)などといった、青少年に対して口悪く罵った本がたくさん世に出ては、話題をさらった。森昭雄や正高信男や三浦展や鳥居徹也などの「おなじみ」の面々も、今年もまた新刊を出した。
他方において、これらの如き通俗的な青少年言説に対して批判を提示するような本もまた、狭い世界においてではあるが話題をさらった。代表的なものに、浅野智彦(編)『検証・若者の変貌』(勁草書房)を採り上げることができるだろう。他にも、岡本薫『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、乾彰夫(編)『18歳の今を生きぬく』(青木書店)、久保大『治安はほんとうに悪化しているのか』(公人社)、などがある。城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書)はベストセラーになった。このブログの読者にも、読んでいる人は少なくないと思う(私も「2006年7~9月の1冊」において推薦した)。
今回紹介するのは、いわばそれらの本の決定版とでも言うべき本である。著者である浜井浩一氏は法務官僚として犯罪白書の執筆や刑務官の仕事に携わり、犯罪統計を多角的に検証して「正しい疑い方」を示した『犯罪統計入門』(日本評論社)や、きれい事ではすまされない刑務所の現状を描いた『刑務所の風景』(日本評論社)を上梓した。また、もう一人の著者である芹沢一也氏は、『ホラーハウス社会』(講談社+α新書)において、法を犯した「少年」や「異常者」に対する見方の変遷をたどった。この3冊もまた今年に出された本であるが、年末に、ついにこの2人の著者のコラボレーションが実現したのである。
もちろん、通俗的な青少年言説に反抗するような本は、今年も結構出ているし、「ただの若者論批判には興味はありません」という人も多いだろう。しかし本書は、そのような人に対しても十分に効果があるといえる。なぜなら、この2人の著者が力を合わせることによって、我々が今いる状況を把握し、またそこから抜け出すための鍵となっているからである。
第1章は浜井氏による、犯罪統計の読み方である。事件の発生件数と認知件数の違いを提示しつつ、なぜ認知件数がここ最近になって急増したか、ということのメカニズムを説き明かす。さらに、人口動態から子供を狙った殺人事件が急増している、ということが嘘であることを示し、少年犯罪も低年齢化どころか高年齢化している、ということを示す。これによって、今議論されている「厳罰化」だの、あるいは「心の教育」などといった青少年の「内面」に介入するための政策は否定される。
本書の最大の核は、芹沢氏による第2章だ。本書では、「宮崎勤事件」以降の少年や若年による凶悪犯罪の語られ方が検証される。「宮崎勤事件」の頃、そして「酒鬼薔薇聖斗事件」に際しても初期は、凶悪犯罪に対して、加害者に対して「共感」を覚えるような言説、事件に対して「興味」を持っているという言説、そして犯罪に対して「時代の病理」を「読み解く」ような言説が展開された。ところが、そのような言説は、まず平成10年における黒磯市の教師刺殺事件を契機に、「「普通の子」が突然キレる」などという言説が流布するようになり、青少年は急激に社会の驚異としての相貌を帯び始めた。そこに、犯罪被害者の「発見」――これ自体は非常にいいことであるが――が追い打ちをかけ、少年犯罪に対する社会の見方は一変した。詳しくは本書を読んで欲しいが、我が国には少年犯罪に対しては寛容だった時代があったのだ(大体、例えば「杉並切り裂きジャック事件」に代表されるような凶悪な殺人事件などいくらでもあったのに、そのような事件は今ではほぼ完全に忘れ去られているほどだ)。
その事態を証明してみせる手腕も見事なのに、芹沢氏による第3章は、そのさらに先を見越している。「子供の安全」を目的とした「防犯パトロール」である。とりあえず、子供たちを狙った殺人事件が急増している、ということは存在しないことは既に本書において浜井氏に証明されているのだが、言説ばかりが高騰していく状況において、「防犯」というテーゼが最前線に出てくるようになった。そこからさらに「治安の回復」が取り沙汰されるようになった(「治安」という言葉に関しては、久保大氏の著書に詳しい)。そしてその「防犯活動」は、「コミュニティの再生」という意味を帯びるようになり、また、それを生き甲斐にするという人も出てきた。しかしそこは排除と不信に満ちた世界でもある。
そして第4章、浜井氏にバトンが戻る。ここで採り上げられるのは刑務所である。犯罪というのは、逮捕されて終わり、というものでもなく、そのあと、つまり刑務所という空間があるのだが、そこにおいてどのような状態となっているか。刑務所に入ってくるのは、その多くが外国人、障害者、高齢者と化している。刑務所はさながら「治安の守り手」ならぬ「福祉の守り手」と化し、刑務官はサーヴィスの向上を求められる。無期刑の仮釈放者も減少している。厳罰化の副作用は、刑務所という空間に及んできているのである。
本書によって明らかにされるのは、言説ばかりが専攻する「不安」がいかに虚構であり、いかにもたらされ、いかに我が国の社会に対して悪影響及ぼしているか、ということである。そして不安ばかりになった社会において何が行なわれているか。この2人の著者による絶妙なる共鳴により、その「不安」に満ちた社会の実像は暴かれる。そして本書を最後まで読み終えたとき、我々の目の前には違った光景が現れるはずだ。
「教育基本法を殺して若者たちの出方を見る」
それは、言うなれば「若者論の時代」とでもいうべきもので、世の中は全てが「若者論」によって動き、さらに言うなれば我が国は、いわば若者論による情報制御下にあり、我々は入ることはできても出ることはできない。そしてその情報をもたらすものはこの世界を意のままに操る――そして我々はその結果を目にしているのだ――教育基本法「改正」である。この「改正」をめぐる劇は、もはや専門家の意見すら無視し、高橋哲哉氏や市川昭午氏や藤田英典氏や広田照幸氏などによりささやかな抵抗が行なわれたとしても、それはあくまでも単なる雑音に過ぎない(ここで採り上げた皆様、ごめんなさい)。膠着状態を打破するため、若者論は教育基本法を殺して若年層の出方を見ようとしたのである。それこそが教育基本法「改正」なりき。
それだけではなく、「教育」の名の下に人を殺したようなものは軽い罰ですみ、刑期を終えて出所しても、何事もなかったかのようにメディア上で教育論を語ることができるという状況が存在する。追い詰められた末に家に火を放ったという事件に際しても、その犯人が父親の厳しい統制下に置かれ、テレビを見ることすらままならなかったことが報道によって明らかにされても、多くの論者は「ゲームの悪影響」「リセット症候群」「壊れる日本人」などという言質を振り回すという状況が存在する。有機生命体の新卒採用の概念が知らなくても、キャリア教育と称して全国を行脚できるものが存在する、しかも文部科学省のお墨付きで。統計データや実験もなければ、論理も穴だらけ、しかも自著の使い回しだらけの本が講談社ブルーバックスから出るという状況も存在する。
要するに、保守派・右派に属する政治家や言論人は、自らの自意識の発露としての「戦後の克服」なるものを実現するために、若い世代を叩き、そして現代がいかに危機的な状況であるかを喧伝した。左派もまた、若年層を「解離性人格障害」だの「複雑な議論を理解できなくなった」だのと理由をつけて、若年層を貶めた。今や右も左も若者論だ。忌々しき先の衆議院総選挙においては、誰が批判されたか。世耕弘成でも竹中平蔵でもない、若年層だった。
「うん、それ無理!だって、あたしは若い連中を堕落せしめたものに、本当に死んで欲しいんだもの」
あくまでも我々は「そういう時代」に生きている、ということである。ならば鍵はそれを認識することなり。本書は、世界を崩壊させるための一つのプログラムに過ぎないのだが、それでも本書は読まれるべきである。鍵はないよりもあるほうがいい。若年層が殺されるのを座視したくなければ、本書を読め。私の見た限りでは、本書こそが一番効力のあるプログラムだ。本書が若者論による情報制御空間に、広くばらまかれることを望む。
「じゃあね!」
―――――
10~12月の1冊
1:浜井浩一、芹沢一也『犯罪不安社会』光文社新書、2006年12月
上記参照。
2:長谷部恭男、杉田敦『これが憲法だ!』朝日新書、2006年11月
書評:「これが護憲だ!」
この組み合わせでおもしろくないはずはなかろう。本書は「ただの9条護憲論には興味はありません。この中に、単なる精神論によらない現憲法の意義を論じた本、憲法9条とその他の条項の関わりを論じた本、憲法論や憲法学の問題点をところかまわず論じ尽くした本があったら、あたしの目にとまりなさい」という人に対してはまさにうってつけの本と言える。本書は新書という限られたサイズの中に、現憲法をいかに疑い、そしていかに擁護するか、ということが隅から隅まで書かれている。挑発的な提言も目立つが、むしろ割り引かないで読むことをおすすめしたい。
3:高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』洋泉社新書、2006年4月
サブタイトルにある「日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由」はあまり説明されていないような気もしないでもないけれども、ナショナリズムに関して巨視的な視座で捉えることのたたき台としては非常にうまくまとまっている。また、前半の労働や消費社会に関する言説を整理した部分は、これほどまでにまとまっているものはない。バブル時代的な消費社会へのノスタルジーに潤色された議論に対するアンチテーゼとしてどうぞ。
4:坂元章『テレビゲームと子どもの心』メタモル出版、2004年12月
テレビゲームの悪影響をめぐる議論に対して、専門家の立場から真摯に批判している本。あくまでも専門家として発言しているので、筆致が抑圧的であり、過激な議論を好む人にとっては口に合わないかもしれないが、テレビゲームをめぐる問題に少しでも興味があればぜひ読むべき。悪影響論の歴史にも触れられており、奥が深い。
5:浜井浩一『刑務所の風景』日本評論社、2006年10月
『犯罪不安社会』の第4章の元になった本であり、そこでの事象をさらに詳しく述べた本。実際の受刑者に対する調査やケースの紹介に触れられているほか、刑務所をめぐる様々な問題の教科書として押さえておきたいところ。
6:田中康夫『神戸震災日記』新潮文庫、1997年1月
卒業論文の関係で読んだもの。平成7年の兵庫県南部地震に際し、著者が原付にまたがって様々なところに物資を手渡しに行ったこと、そしてその後の神戸に関して記している。エッセイとして読み応えがあるだけでなく、いかに東京発のマスコミが役に立たないか、ということに関して怒りをストレートに表している部分は考えさせられる。また、被災地において若年層のヴォランティアがいかに動いたか、ということも一部記されている。
7:宮台真司、石原英樹、大塚明子『サブカルチャー神話解体』PARCO出版、1993年10月
8の小谷敏氏の本と合わせて読めば、少なくとも1990年代半ばあたりまでの若者論がサブカルチュア研究中心であったことがわかる。また本書は、最近朝日文庫で出た『制服少女たちの選択』と並んで、初期の宮台真司氏の言説がいかなるものであるか、ということもわかり、サブカルチュアのみならず、若者論の歴史を見てみたい人も押さえておいたほうがいい。
ちなみに黒磯市の事件以降の宮台氏に関しては、1の本において芹沢一也氏により批判されている。本書と言うよりも、平成10年以降の宮台氏の、特に青少年問題に関する記述を読む際には、この批判も読んでおくべきだろう。
8:小谷敏(編)『若者論を読む』世界思想社、1993年11月
1970年代以降の若者論を多角的に概説したもので、学生運動の時代からサブカルチュアの時代に移行していった時期に、若年層に関して何が語られてきたのか、ということがわかる。若者論を研究する際には外せない1冊である。
9:小谷敏(編)『子ども論を読む』世界思想社、2003年6月
「山びこ学校」に関する記述の解読、早期教育に関する言説の検討、少年犯罪報道や、本田和子氏など、8の同じ編者による本以降の、特に子供を中心とする青少年言説の検討。おもしろいし、資料的価値も高いと思うが、8のように、若者論の歴史を知るために必読、ともあまり言えない気がする。渡部真『現代青少年の社会学』(世界思想社)と併読するとなおよい。
ちなみに、8と9の本の編者である小谷敏氏の、『若者たちの変貌』(世界思想社)という単著もあるけれども、これはあまりおすすめできない。『若者論を読む』を読めば十分に対応できる内容だし、90年代後半の青少年に対する記述は――他の青少年言説の語り手とほぼ同様に――悲観的すぎると思う。
10-1:五十嵐太郎『美しい都市・醜い都市』中公新書ラクレ、2006年10月
10-2:五十嵐太郎『現代建築に関する16章』講談社現代新書、2006年11月
いずれも、現代の景観や建築空間を考える上で参考にしておきたい著作。前者は、「論座」平成18年4月号に著者が掲載した、「日本橋の首都高」批判に対する疑念を拡大し、景観とは何か、ということを問い直したもの。また後者は、いくつかのキーワードを元に、現代の建築のあり方を問い直すもの。興味がある人は手を取ってみるといい。
11:阿部真大『搾取される若者たち』集英社新書、2006年10月
バイク便ライダーの姿から見える、「好きを仕事に」という言説に惹かれた人がはまる「職能の罠」を解き明かしたもの。職業に対する「自信」がいかに働く人たちを追い詰めていくか、ということを追っていく過程は非常におもしろいのだけれども、読みやすさを狙うあまり、文章が散漫というか、どうも媚びているような気がしてならない。その点が残念だった。
12:門倉貴史『ワーキングプア』宝島社新書、2006年11月
良くも悪くも、エコノミストが「現代の貧困」について記した本と言える。いいところは、まずデータが豊富であり、資料的価値は高い。また、データを元にした分析も正確だと思うし、下手に貧困層や青少年を叩くということもしない。さらに政策提言まで語られているところがいい。逆に悪いところは、所々にはさまれるインタヴューが生かしきれていないところ。本文とインタヴューの、どこに接点があるかは不明瞭であった。
13:苅谷剛彦、増田ユリヤ『欲ばり過ぎるニッポンの教育』講談社現代新書、2006年11月
NHKの記者として我が国やフィンランドの教育事情を取材してきた増田氏が、気鋭の教育社会学者である苅谷氏に聞く、というスタイルを採った本。そのような形式故に、問題を深く論じた本というよりは、どちらかといえば現代の教育問題に関する概説書という色が強い。ただし我が国の教育に関して、安易な外国の礼賛に陥ることなく、認めるべきところは認める、というスタイルは極めて貴重なものである。フィンランドの教育を評価しているような本(例えば、福田誠治『競争やめたら学力世界一』(朝日選書))などを読んで違和感を持った人には特にお勧め。
14:スティーブン・ジョンソン『ダメなものは、タメになる』山形浩生、守岡桜:訳、乙部一郎:監修、翔泳社、2006年10月
テレビ番組野営が、及びテレビゲームは複雑化しており、それが脳によい影響を与えるのではないか、と主張する本。ゲーム擁護論にまた違った視点を与えてくれる本である。我が国では今なお、ゲームはデジタルだから、白か黒かの単純な志向しかできなくなる、という、学力低下(もちろん皮肉)の象徴みたいな人までもいるからなあ…。
15:宮崎哲弥『新書365冊』朝日新書、2006年10月
書評:「新書を媒体とした時評集、しかし索引が使いづらい」
「諸君!」(文藝春秋)に連載されていた、「解体「新書」」と「今月の新書完全読破」を書籍化したもの。読むべき本の一つの指針としてはちょうどいいが、索引が極めて使いづらい。
ワースト1:香山リカ『就職がこわい』講談社、2004年2月
どう見ても大学の就職担当者の愚痴です、本当にありがとうございました。本書は言うなれば、自分の大学で担当している学生を指さして、「どうだい、この若者たち。めがっさ解離的だから就職ということにリアリティがない、だからフリーターになるのは当然と思わないっかなあ。どうにょろ?」と連呼しているような本である。著者が勝手に今世紀を読み解くキーワードであると設定している「解離」という言葉も当然の如く出てくるし、(まともだった頃の)玄田有史氏はおろか、長山靖生氏にも、社会の責任ばかり追及して、若年層自身の責任を追及しない、と憤っているわ、さらには戦後民主主義教育批判まで出てくる始末。
そもそもこの著者、出てきたばかりの頃は「リカちゃん精神科医」として、ライトな「精神分析」で活躍した人だが、『インターネット・マザー』(マガジンハウス)で「解離」を時代を読み解くキーワードであるかの如く設定したら、単にベタな、いやそれ以上にたちの悪い「評論家」と化してしまった。本書はその一つの結末と言っていい気がする。大体、初期の頃と変わらないペンネームでここまで「本気で」若年層バッシングをやっている本書を読んだら、「あはははは、そんなペンネームで言われてもなあ!あははは」とでも言いたくなる。とにかく、俺が今まで読んだ本の中で5本の指に入るくらいひどい本でした!
ワースト2:樋口康彦『「準」ひきこ森』講談社+α新書、2006年10月
どう見ても罵詈雑言集です、本当にありがとうございました。少なくとも「社会的ひきこもり」だの「スチューデント・アパシー」だのを引き合いに出すなら、斎藤環氏や笠原嘉氏の名前くらい出してくれ。そもそもこの著者、少しくらいコミュニケーションが苦手な人はだれでも「準ひきこもり」と名付けているし、提言といっても完全に精神論、もういい加減にしてよ。
「一つだけ聞いていいですか?何が「準ひきこもり」でないか教えてください」
「禁則事項です」
ワースト3:井上敏明『朝が来ない子どもたち』第三文明社、2006年7月
どう見ても医療倫理崩壊の現場を見ているようです、本当にありがとうございました。たとい自分の心が元気がないのは脳が異常だからであるという立場を認めるにしても、この著者の暴走は明らかに異常。人々はコミュニケーション能力が低下しているから、身体的コミュニケーションたる疾患(蕁麻疹など)が増えているだの、「ニート」は生活のリズムが乱れているだの、というけれども、いっておくがそれを客観的に示しているデータくらい提示してくれ。あと、これは丸橋賢などにも癒えることだが、自分の相談した事例を勝手に若年層、さらには現代社会全体の普遍的な姿だと錯覚している。倫理はこういう人こそが身につけるべきなのだが。
ワースト4-1:宮台真司、香山リカ『少年たちはなぜ人を殺すのか』創出版、2001年1月
ワースト4-2:宮台真司、藤井誠二『「脱社会化」と少年犯罪』創出版、2001年7月
どう見ても芹沢一也氏の批判は正当です、本当にありがとうございました。本書は、少年に対する犯罪が統計的には減少していることは認めつつも、犯罪の質が変化している、と述べているが、「虫を殺すように人を殺す青少年が増えた」という事実をいかに証明しているのか、開示を望む。
ワースト5:安川佳美『東大脳の作り方』平凡社新書、2006年9月
どう見ても自画自賛です、本当にありがとうございました。本書に対して、子育てもしたことのない人が子育て論を書くな、という批判があるが、そのような批判はみっともないと思う。しかしながら、この本の最大の問題点は、自らの発言の政治性に気がついていないことだ。いくらなんでも、「まえがき」で「ニート」をやる気のない存在であると見なして、さも自分のように生きれば、あるいは「育てられれば」大丈夫、という論調になっているのはどうか。著者があまりにもポジティヴであることが、逆に本書の欠点として現れている。本田由紀氏や渋谷望氏の言説でも読んで、再考を促す。
さらにいえば、本書において主張されている「育て方」を実践できるような親は、ごく限られているのではないか。具体的にいえば経済的、あるいは時間的に余裕のある層である。次に本を出す際には、そのような点も考慮してください。
ワースト6:荒川龍『レンタルお姉さん』東洋経済新報社、2006年5月
ワーストとして仰々しく糾弾するほどひどい本ではないが、明らかに「ひきこもり」と「ニート」を混同していないか。ニュースタート事務局の本ということで楽しみにしていたのだが、がっかりだよ!
ワースト7:姜尚中『愛国の作法』朝日新書、2006年10月
書評:「逃避行」
これもワーストとして糾弾するくらいひどい本でもないけれども、著者の議論は明らかに高原基彰氏のナショナリズム論や萱野稔人氏などの国家論に大きな後れをとっている。要するに結局のところ、香山リカを読んで若年層の「右傾化」なるものを理解したつもりになって、三浦展を読んで「階層化」を理解したつもりになった通俗的左翼に向けての「癒し」路線を狙った本でしかない。
ワースト8:マガジン9条『みんなの9条』集英社新書、2006年11月
ただの9条護憲論。よくこんなので商売が成り立つね。しかも香山リカ。この期に及んで俗流若者論ですか。
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コメント
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「ただの書評には興味ありません!宇宙人…」いつものことながら本当に丁寧で分かりやすい書評ですね。「犯罪不安社会」は治安悪化、子どもを守るという御旗の下にいいようにやられている領域を守りたい、興味ある人間にとって必読(それも読むと簡明なためこんなこと知っている(た)よと錯覚を覚える人もいるだろうほどに)の一冊ですよね。まさに日本人の新たな教養の基盤足りうる新書にとって、これほどタイムリーでかつ歴史的な深みもあり、今後の新たな視座(統計だけでも)を提供している本はないと思います。
新書のそのような力について明確に宣言した(そして今その力が失われつつあると嘆きも附した)宮崎哲弥氏「新書365」をベストの末席に連ねていますが、その指針として後藤さんご自身について書かれている部分についてノーコメントとは奥床しいにもほどがあります!ネットの可能性とは「電車男」のようなものではなく、こつこつと既存のマスゴミにできないこと(きちんと調査し、一度関心をもった対象を継続してウォッチし続けその変遷を追う…)をしている「若者」がでてきたこととして、後藤さんをもって激賞しているのですから(だからもっと一心不乱のブログ更新を!)。
左右のだめさかげんが、「犯罪不安社会」で分析されいてるように子どもを守るためという絶対善の元に問答無用で改革に推し進められていく様を来年は教育分野で拝むことになるのでしょうかね…。まさに「やれやれ」というところでしょうね。
本年(も)、まことにお世話(楽しませていただきましたとすべきか)になりました。来年もそのご活躍を本当に祈っています。
よいお年を♪
投稿: 遊鬱 | 2006年12月31日 (日) 09時12分
はじめまして。いつも読ませてもらっています。「ベスト」はまったく読んでいませんが(機会があったら、読もう)、ワーストを三冊読んだ限りでは(1と2と6)、私も同意見です。
投稿: 清高 | 2006年12月31日 (日) 09時55分
ブログではお久しぶりです、管理人さん。
ベストの3はわたしも読みました。とてもよかった。
ワーストのほうは、2と5を立ち読み。共に最低! だった。
2は今時の若者は大学生でもその他でもおかしい、と言っているだけ。
大学勤務の著者が就職状況を知らないフリをしているとしか思えない。
ワースト5は、、フリーターを楽をして稼ぐ稼業としてみなしている前書きにウンザリ。大阪地裁では25歳のアルナバイト男性に過労死判定が出された事実を無視しないでほしい。
人の命や人権を蹂躙するような本を出して、何が「天才」なんだか。明らかに誇大広告でしょう。
正直、いちフリーターとして読んで傷つけられたし、ふざけているとしか思えなかった。
後藤さんご指摘の政治性だけではなく経済性についても自覚がない。
とはいっても日本は偏差値階層ごと、業界・会社ごとの社会的隔離が歯強い。
彼女にそのすべての責任があるわけではないけれど、世間知らずの頭でっかちが天下国家を論じるとここまでおかしな話が組めるものかとあきれてしまう。
来年はわたしもこれまでブログにぼつぼつ書き散らしたものをいいかげんにまとめて、できれば紙にしたいと考えています。
後藤さんは大学とかいう別の世界の人とは思えないほどスゴイと思います。大学と言うのは、この程度の自由ならばあるのかな、と驚いてしまいます。
自分はそういうところに行きたくないので行かない権利を行使させてもらっていますが、大学の中にも信用できる人はいるんだなと驚かされます。
投稿: ワタリ | 2006年12月31日 (日) 10時35分
先の衆院選で批判されたのは郵政民営化に反対した「古い自民党」と、
彼らに拍手を送るだけだった民主党でしょう。
若者論と結びつけるのは、論理の飛躍ではないでしょうか?
また、教育基本法改正の主目的は、
文部科学省や教育委員会が持つ教育行政権への日教組の介入を排除することです。
「若者たちの出方を見よう」なんて、誰も考えていないのではないでしょうか?
改正論議の最中に改正反対の行動を起こしていたのも日教組ばかりで、
若者たちが行動を起こしたということはほとんどなかったと思います。
投稿: 匿名希望 | 2006年12月31日 (日) 18時28分
後藤さま
あけましておめでとうございます。
&年末に嬉しいTBをありがとうございました。
詳しく読んでいただき、心から御礼申し上げます。
後藤さんが書いているとおり、少年犯罪の凶悪化、急増化言説の
外側の「体感治安悪化」の言説分析と実証分析を
多角的にしております。
教育改革、表現規制の
その根本原因のひとつに「犯罪不安」が必ずあると思います。
上で遊鬱さんが書いてくださってますが、
「不送致余罪」なんて
私はぜんぜん知りませんでした。
「知ってるよ」ではなくて読んでいただける幸いです。
分析内容としては新しい話が多くあると思いますので
そのあたりを読者のみなさんには読んでいただけると
いいなあと思います。
紙幅の関係からな削った分が多々あり、ブログで
フォローしていければと思っております。
とくに「外国人犯罪」かなと思っています。
投稿: 安原 | 2007年1月 1日 (月) 02時32分
こういうまともなお話が聞けるだけでもネットの意義があると考えます。私は今はまだ上手く言ってませんが、どうしても特に90年代後期から2000代初期への若者バッシングとそれに乗っかった議論の再生産が気になって仕方ありません。そしてマスコミや現状のジャーナリズムにはそれを検証する能力が感じられません。
このサイトの意義に感謝します。
メルアドは適当ですごめんなさいm(_ _)m
投稿: mame | 2007年1月 3日 (水) 00時10分
私的には、浜井氏の『刑務所の風景』がベストでした。そこには、日本の厚生労働行政の貧困がこれでもかというほど、描かれています。ところが、現在の行政は労働ビッグバンとか称して、労働市場において弱者(障害者、高齢者、母子家庭の母親、日本語のリテラシーがない外国人等)を追い詰めようとしています。(障害者自立支援法なんかはその極みです)治安を悪化させるような原因を行政がつくり、その対策をまた行政が行うというマッチポンプ状態になっています。これが「美しい国」なんですね。
投稿: たけ | 2007年1月 5日 (金) 08時48分
後藤君自身の著作への評価を、「サイゾー」から引用しておこう。
「だから保守オヤジたちはけしからん」と勧善懲悪物語として読んでしまうと、早晩、本書が批判する者たちと同じ過ちを犯す。」
後藤君は、既にその「同じ過ち」を犯してると思いますね。
結局、世代間ギャップを指摘し、知的優劣を断じる者は、その差異を
いかに止揚し克服するか提案しなければ、自分の側の方が優れてると
は言えないわけなのでしょう。それが、「同じ過ち」の意味するところだと思う。
投稿: ン・ジュンマ(呉準磨) | 2007年1月 6日 (土) 00時31分
ン・ジュンマ。
あんた馬鹿?
投稿: Lenazo | 2007年1月11日 (木) 00時58分