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2007年8月26日 (日)

俗流若者論ケースファイル85・石原慎太郎&宮台真司

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 世代論が権力を免責する、という構造を、私はこのシリーズの一つ前の回(「俗流若者論ケースファイル84・河野正一郎&常井健一&福井洋平」)で述べた。要するに、例えば若年層の労働環境をめぐる問題などに関して、非正規、派遣労働者の待遇や賃金の問題であるとか、あるいは学校から労働市場への参入の問題などが取り沙汰されるべきなのに、それをぼかして「日本人の働き方に関する見方が変わりつつある」と述べて、「根本的な」解決策や、「メタ的な」議論のほうが尊重されるという傾向は、まさにそれである。客観的に観測できるような問題を無視して、個々人の内面ばかりを問題視するというのは、根本的にもっとも残酷な日和見主義に過ぎない。

 さて、ブログ開設2年9ヶ月、「俗流若者論ケースファイル」シリーズ85回目にして、ついにこの人を批判することになろうとは思わなかった。首都大学東京教授、宮台真司である。今回検証するのは、宮台と石原慎太郎(東京都知事)による対談「「守るべき日本」とは何か」(「Voice」平成19年9月号)である。この対談は、どちらかといえば、東京都の青少年政策の宣伝という側面が強いが、それを推し進めるための前提として、現代の青少年が置かれている「現実」を語る、という趣旨のように見える。

 ところが、石原も宮台も、青少年問題についての基本的な認識が欠落しているとしかいいようがない代物なのだ。本書で取り扱われている青少年問題は、「ニート」についてと、「セカンドライフ」に付いてであるが、のっけから石原と宮台は、以下のようにいってしまう。

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石原 ニートがニートとして生まれた、いちばんのゆえんは何ですか。彼らはただの穀潰しだと思うね。要するに、抱えている家庭に余裕がなかったらあんな存在なんて成立しえないでしょう。

宮台 そのとおりです。でも、ひきこもりは人から「穀潰し」といわれ、自分でそう思っても前に踏み出せず、社会に復帰できません。彼らが「反社会的」であれば「穀潰し」の批判が有効ですが、「脱社会的」なのです。問われるべきは若い世代から大規模に社会性が脱落した理由です。(石原慎太郎、宮台真司[2007](以下、断りがなければ全てここからの引用)pp.80)

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 少なくとも私は、私と宮台と宮崎哲弥、そして内藤朝雄の対談において、宮台が「ニート」は疑似問題であり、むしろ「ニート」を、それこそ穀潰しであると批判している方こそ問題であると述べていたはずだ。以下、引用する。

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宮台 (略)僕から付け加えると、まず旧来の「今時の若者は」的攻撃に加えて、昨今目立つのは、流動性不安がもたらす「多様性フォビア」としての若者フォビアです。処方箋は流動性フォビアの手当て。次に、本家英国と違い「失業者を含まない」日本版ニート概念は初期のフリーター批判と同じく怠業批判ルーツで、「こいつらが日本を滅ぼす」と言いつつ馬鹿オヤジが10年後の年金を心配する俗情がある。(略)最後に、スキル上昇(フリーター対策)から動機づけ支援(ニート対策)に自立支援策を拡げ、ポストと予算を獲得した公務員がいる。(略)(宮台真司、宮崎哲弥[2007]pp.100-101)

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 このような分析に、少なくとも私は大筋で同意する。また、宮台も『「ニート」って言うな!』を読んだはずであれば、我が国において「ニート」と呼ばれている人たちのおよそ半分が、「非求職型」すなわち就労意欲はあるものであるということも御存知であるはずだし、昨今増加した「ニート」もこの層の増加が原因であるということも知っているはずだ。

 さらに宮台は、《ひきこもりは人から「穀潰し」といわれ、自分でそう思っても前に踏み出せず、社会に復帰できません。彼らが「反社会的」であれば「穀潰し」の批判が有効ですが、「脱社会的」なのです》と述べるが、少なくとも最近の井出草平の著書などに見られるように(井出草平[2007])、「ひきこもり」=「脱社会的」と安易に断じることはできない。井出は、むしろ規範に対して敏感であるからこそ不登校から「ひきこもり」に至った事例もある、ということを示している。

 もう一つ言うと、「ニート」や「ひきこもり」について宮台の言う、「彼らは「反社会的」ではなく「脱社会的」である」という物言いは(ついでに言うと、このような物言いは、芹沢一也が指摘するとおり(浜井浩一、芹沢一也[2006])、平成10年ごろから、宮台が少年犯罪を説明するために活発に使用していたものだ)、一見すると彼らに対して「理解」を示すようなそぶりを見せながら、実際には単なる説教(それこそ「穀潰し」批判みたいに)よりも実害が大きいと私は考えている。なぜなら、第一に、少年犯罪については、過去の事例を探せば「脱社会的」と言えそうなものなどいくらでも見つかる(例えば、昭和40年10月に起こった、中学2年生の少年が、異性に対する興味から近所の主婦を殺した、というもの。詳しくは赤塚行雄[1982]を参照されたし)。第二に、そのような「定義づけ」をさせることによって、例えば統計的な状況(少年犯罪は増えていない、など)を無視する口実として使われるからである。第三に、第二の理由を引き金として、根本的に間違った政策が構築されてしまう可能性があるからだ。

 現にそのような危険性は、以下の発言にも表れている。

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石原 ニートの悪いところはそういう依存性、甘ったれた考え方だよね。それは何が醸し出したんですか。

宮台 郊外化です。第一段階の郊外化が一九六〇年代の「団地化」。「地域の空洞化」を埋め合わせる「家族への内開化」が内実です。専業主婦の過剰負担ですね。第二段階の郊外化が八〇年代の「ニェータウン化」。「家族の空洞化」を埋め合わせる「市場化&行政化」が内実です。コンビニ化ですね。これに今世紀に拡大した「ネオリベ(新自由主義)化」が加わり「貧しくても楽しいわが家」どころか「豊かでないかぎりコミュニケーションから見放された環境で子供が育つ」。脱社会化の背景です。(pp.81)

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 少なくともそのような戯れに興じているのであれば、少なくとも多くの「ニート」論の多くが的外れであることを証明したほうがいいのではないか、と思うのだが。言うまでもなく、このような物言いは、例えば労働法をめぐる問題などを隠蔽する。

 同様の危険性は、以下のような発言にも表れる。

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宮台 それをどう呼ぶかは別にして、「世間の空洞化と母子カプセル化を背景に、親に抱え込まれ、社会を生きる力を失った存在」にどう規範や価値を伝えるかです。今期青少年問題協議会の冒頭、「ニート問題は規範や道徳の伝達の問題ではなく、伝達のベースになる台がなくなる『台なし』の問題だ」と申しあげました。

 友達や家族と一緒に映画を見て、周りが「ダメな映画だ」と語り合うのを聞き、映画が再解釈される経験が年少者によくあります。そこに注目したのがクラッパーの限定効果説。「子供がもつ素因が刺激の有害性を決める」という仮説と「子供の周囲の人間関係が刺激の有害性を決める」という仮説の複合です。刺激が素因を育てるのではないとします。

 要は情報は単独で有害無害を論じられず、情報をやりとりする「社会的基盤=台」によって意味や意義が変わります。穀潰しだと非難しても、ニートが「穀潰しですが、なにか?」と非難の意味を理解できない可能性があります。道徳や価値を伝える言葉一般にいえますが、自分も相手も同じ台の上に乗っていると感じられるからこそ説教を聞く。そうした台がない「台なし」では道徳的説教は無効です。(pp.83)

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 要するに宮台は、「ニート」については、例えば若年層の過酷な労働環境を解決したり、あるいは「ニート」を問題化する方を問題化するのではなく、まず《「世間の空洞化と母子カプセル化を背景に、親に抱え込まれ、社会を生きる力を失った存在」にどう規範や価値を伝えるか》どうかの問題として考えていると言うことか。私が聞いた発言と、どちらが本音なのだ。そもそも宮台が、「ニート」について《規範や道徳の伝達の問題》と《伝達のベースになる台がなくなる『台なし』の問題》を対立軸に置いているのが気になる。また、以下のような発言もある。

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石原 やっぱり僕は親子三代で住まなくなったことが、日本の家族にとって致命的な欠陥になったと思うね。

宮台 柳田国男ですね。日本の農村では両親が生産労働に生活時間の大半を費やすので、爺ちゃん婆ちゃんが孫を育てることで社会性が伝承される、と。広田照幸のいうように、日本には親が子供を躾ける伝統がなく、世間の空洞化と母子カプセル化でむしろ躾は増大してきた。でも同時に窓意性(世間と関係ない親の勝手)も増大するから、親のいうことに従わなくなるか、従った結果かえって社会を生きられなくなる。先の依存的暴力にも関連する問題ですね。(pp.82)

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 とあるが、少なくとも広田照幸を引き合いに出すのであれば、「家庭の教育力の」低下という言説が虚構であることくらい知っていると思うのだが。

 この対談においては、宮台が石原に対して、青少年の「現実」を説明し、それを石原が解釈する、という形式で話が進んでいる。ただし、その宮台の「現実」の解釈が極めて恣意的というか、客観的、あるいは統計的な広がりや内容よりも、まず「現実」のヴィヴィッドさ、あるいは見た目の新奇性が優先するようで、それについては、以下に採り上げる「セカンドライフ」をめぐる言説にも現れている。少々長くなるが、引用しよう。

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宮台 はい。ソニーが「ホーム」という新しいメタヴァースを発表しました。こちらはユーザーの自由度が小さい配給制的空間です。こうした事例は公共性論として重大な問題を提起します。「この社会に意味があるか」にも関連します。要は「この現実が嫌なら『セカンドライフ』に出て行け」「『セカンドライフ』が嫌なら『ホーム』に出て行け」といえるのです。すると第一に、この現実を公正なものにすることや面白いものにすることへの需要が減ります。それでよいのか。第二に、そのぶんセカンドライフに「逃亡」する人が増えますが、今日の物差しでは「ひきこもり」に該当する彼らをどう評価すべきか。

 石原 感覚的にはわかるけれど、バーチャルゲームだけやっていて食べていけるの?

 宮台 彼らは「セカンドライフ」上では活動的なのです。生活保護を受けながら「セカンドライフ」で億万長者として暮らす者もいます。二十四時間中睡眠に五時間、食事に一時間使い、残りを「セカンドライフ」内の経済活動に充てて専用通貨を稼ぎ、換金してカップラーメンを買ってすするという生活です。

 石原 しかし、バーチャルな世界で味わう満足感は結局、いつか崩れて消えてしまうでしょう。

 宮台 それでもこれからはそういう人が増えます。そうした流れを認識することがニート問題に近づく一歩です。ニートには、「現実に怯えて前に踏み出せない者」と、「わざわざ訓練して社会に出ることに意味を認めない者」が含まれます。前者は、経験値を高める訓練で不安を克服すればOKです。後者は「自分が自分であるために社会や他者が必要」と感じないように育ち上がっており、簡単に引き戻せません。愛国教育や道徳教育が足りないのでもない。国にコミットする以前に、社会にコミットしないのですから。(pp.85)

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 ソースは忘却したが、少なくとも我が国の「セカンドライフ」についての評判は、広告や起業の盛り上がりばかりが先行しすぎて、我が国のユーザーはむしろ置いてけぼりにされている、という話が聞いたことがあるが、それはさておき、宮台は「セカンドライフ」を引き合いに出しておきながら、それをめぐる我が国の客観的な情報(加入率、評判など)を採り上げることは一切ない。

 いや、それは以下に挙げる問題に比べればたいした問題ではないのかもしれない。この言説における宮台の最大の問題点は、例えば《生活保護を受けながら「セカンドライフ」で億万長者として暮らす者》がいることは採り上げるけれども、そこから一気に跳躍して《それでもこれからはそういう人が増えます。そうした流れを認識することがニート問題に近づく一歩です》などと語ってしまうことだ。要するに、宮台の「社会分析」みたいなものに必要なのは、客観的、あるいは統計的なデータよりも、自分が見聞きした(見た目的に)新規な事例のほうが優るということか。内田樹とどこが違うのだ。「脱社会的存在」をめぐる言説と同様、底が知れた、というべきか。

 宮台の語る、「「ひきこもり」などに代表されるような「脱社会的」な人たちが、現実での承認に嫌気がさして「セカンドライフ」や「ホーム」に逃げ込む」という言説は、例えば香山リカの「精神的にも肉体的にも劣化した存在が、「セカンドライフ」に逃げ込む」などといった言説と同様に、利用者の社会的な属性などと照らし合わせて検証される必要がある(なお、既存のインターネット・コミュニティに関する研究については、例えば池田謙一[2005]や、宮田加久子[2005]がある)。佐藤俊樹だっただろうか、情報社会に関する未来予測というのは、それがいまだに実現していない未来を語っている故、未来に託して結局のところは自分の思想を語っているに過ぎない、という言説を述べていた人がいたが、宮台の「セカンドライフ」論はまさにそういうものだ。

 ところで、この対談の終盤において、石原は以下のように語っている。

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石原 やはり、日本文化の独自性、個性をどうやって抹消させずに維持するかという問題に繋がってくると思う。人間というのは、精神や感性、情念のある不思議な動物だから、それぞれ違った風土や文化を生み出し、それが時間と空間に撫でられることで文明がかたちづくられたわけだけれど、結局、文化までもが個性を喪失すれば、その国はキンタマを抜かれた男みたいな存在にしかならない。(pp.88)

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 このような認識は宮台にも共有されているようで、この直後に、

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宮台 三島由紀夫がそんな状況を「博物館的文化主義」と呼びました。歌舞伎や能を残しても、魂を残さなければ意味がない。魂とは入れ替え不可能性であり、大英博物館に陳列できるような文物が魂であるはずがないというわけです。統治権力としての国家はクーデターや敗戦で簡単にひっくり返る程度の存在です。国家に連なる者でなく、国家によって守られるべき「何か」に敏感な者だけが国士です。「何か」とは日本人なら思わずミメーシス(感染)してしまうもの。だから国士に不可欠な要素は「感染力」です。

 都内のホテルで石原都知事とご面会したあと一緒に歩いていたら、おばさんたちが「慎太郎知事だ!」と黄色い声で騒いでいました。私なぞに目もくれず(笑)。これぞポピュリズムと揶揄されるものとは別次元の「感染力」だと思います。そんな「感染力」をもつ人が昔は身近にたくさんいました。勉学動機も、自称保守が推奨する競争動機や、自称左翼が推奨するわかる喜びだけでなく、あの人みたいになりたいと感染して箸の上げ下ろしまで真似する感染動機こそ重要でした。そうしたコモンセンスの継承に鈍感な輩が保守を名乗る昨今は笑止です。彼らが文化から「感染力」を奪っています。「凄い奴」に感染して自分も「凄い奴」になる。これがミメーシスです。テクノロジーのネガティブ面を指摘しましたが、あえてポジティブ面をいえば「凄い奴」の数が減るなかでメディアが「凄い奴」を媒介する可能性ですね。(pp.88)

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 と述べている。この対談におけるコンセンサスとは、昨今の青少年問題が、我が国が国家としての「感染力」を喪失したことと、そのような状況に真剣に向きあおうとしないものたちの問題である、ということだろう(ついでに言うと、先の都知事選において、石原が当選したとはいえ前回よりも大幅に得票数及び得票率を減らしたのはどういう理由によるのでしょうね?)。然るに、冒頭でも述べたように、このような物言いなど、権力を免責するものでしかなく、大規模な文化的状況を語っているように見えて、実は何も語っていないに等しいのである。

 それにしても象徴的というか衝撃的なのは、かつて宮台は、例えば「援助交際」をめぐる言説において、そのような行動をとる少女は一部だが特別ではない、という理由で、新しい状況がきている、と言って、上の世代に退場を促していたのだ。そして、この対談においては、同様のロジックが、権力にすり寄るための口実として使われている。これは宮台の得意とする戦略的な立ち位置の転換によるものなのか、あるいは単に首都大学東京のポストが恋しいだけなのか、またあるいは権力者として政治を動かす立場になりたいのか、それとも天然なのか、それは判断しかねる。しかし、このような宮台の「転向」(?)について、宮台をカリスマとして崇め奉っていた人たち――かつての私もその一人であったことは否めないが――は、いかにして宮台を捉えるつもりなのだろうか。

 近年においては、例えば浅野智彦や本田由紀などに代表されるように、今までステレオタイプに捉えられてきた事象――例えば、若年層の道徳・規範意識や、自意識、あるいは就業、逸脱などの行動――について、できるだけ客観的に捉え、またその上でいかに若年層を社会学的に考えるか、という研究や著作が蓄積されている。そのような状況にあって、宮台などが行なってきた、何らかの新奇な「概念」をでっち上げて、そこから大上段から「現実」を語る、という行為が以下に相対化されていくのか、あるいはされるべきか、ということを考える必要があるのではないか、と思う。

 まあ、とりあえず、このエントリーで言いたいことは、以下の一言に尽きるわけで。

 「絶望した!宮台真司に絶望した!!」

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 宮台がらみで、もう一つ、おもしろい発言があったので、紹介しよう。平成17年に行なわれたという、宮台と田口ランディとの対談だという。

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 宮台 殺したいと思えば殺せるし、犯そうと思えば犯せるのに、それだけは絶対にしたくないと思う「脱社会的存在」がいるのは、なぜでしょうか。これは解かれなければいけない問題です。〈世界〉の根源的未規定性を受け入れ可能にする機能をもつ「宗教的なるもの」の真髄に関わる問題でしょう。

 (http://www.miyadai.com/index.php?itemid=541

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 《殺したいと思えば殺せるし、犯そうと思えば犯せるのに、それだけは絶対にしたくないと思う「脱社会的存在」がいるのは、なぜでしょうか》とは…。単に「脱社会的存在」なる定義付けが間違っていた、という考えには至らないのだろうか?

 文献・資料
 浜井浩一、芹沢一也『犯罪不安社会』光文社新書、2006年12月
 井出草平『ひきこもりの社会学』世界思想社、2007年8月
 池田謙一(編著)『インターネット・コミュニティと日常世界』誠信書房、2005年10月
 石原慎太郎、宮台真司「「守るべき日本」とは何か」、「Voice」2007年9月号、pp.80-89、PHP研究所、2007年8月
 宮台真司、宮崎哲弥『M2 ナショナリズムの作法』インフォバーン、2007年3月
 宮田加久子『きずなをつなぐメディア』NTT出版、2005年3月

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コメント

ざっと読みましたが、これはひどいwww
どう見ても、宮台のいう「脱社会的存在」って、完全に普通の「社会的存在」ですよね。
みんな「終わりなき日常」を生きたいと考えているし、実存を得たいと考えている。
それをなんかモンスターに置き換えたいだけだから、「ニートって言うな!」という言葉が宮台には届かない。彼の言説にはモンスターが必要なんだから。
だから、同じく「ごくつぶし」という正体不明のモンスターを欲する石原と、話が通じるのでしょう。

投稿: 赤木智弘 | 2007年8月26日 (日) 08時04分

初めてコメントさせていただきます。この対談は宮台氏のブログに氏の発言のみがアップされていましたので前もって読んではおりましたが…こうして改めて読みますと何だかとてもショックですねぇ。氏の書物は好きで読んでいただけに…

宮台よ、お前もか!というのが私の率直な感想であります。

しかしこの変わり様は一体何なのか。彼がよく言う「ネタ」でやっているのか、それともやはり変容してしまったのか、それとも劣化、いや老化してしまったのか、私にはその真相は分かりませんが、何とも言えない気持ちです。

投稿: ガイチ | 2007年8月27日 (月) 02時39分

私も宮台さんは好きなのですが、こじつけでは?と以前からちょくちょく思うことがありました。正確な統計や検証は大切だと思います。
後藤さんがしっかり指摘下さっているので有り難いですね。

援助交際については既存の文脈で批判することができないので、認めるしかない、という立場だったと思います(でも、やっている子にはやめたほうがいいとも言っていたようです。認めながらも)。

宮台さんは「転向」?したように私も感じますが、これも宮台さんの戦略の一つなのかもしれません。
今の私が嫌なら嫌でよろしい、それがどうしたんだ?といった気持ちではないでしょうか。

権力に擦り寄っていると指摘されても、本気で社会を変えようと思えば、汚い取引きに手を染めたり、政治的に何らかの形で関与しないといけないだろう?とも言っていた気がします。

宮台さんが目指す目標にたどり着くまでのプロセスの中で戦略を修正したり、立ち位置を変える。プロセス上はそう見受けられても、目指しているところは変わらないのかもしれません。
今のところそう私は思っています。

>赤木さん

>それとも劣化、いや老化してしまったのか

私は逆に進化していると思います。
いよいよ宮台さんが本格的に何かしら動きだす気がします。
あまり期待するのもよくないと思いますが・・・笑

投稿: 照れさ | 2007年8月27日 (月) 10時21分

おはようございます。トラバありがとうございました、私も便乗してトラバ遅らせていただきましたどうぞお納めください。

まさに「宮台真司への絶望からはじめよう」を通り越して、もはや哀れみの対象に落ちぶれましたという内容ですね。「セカンドライフ」で生活できる人間がそんなにごろごろ現れないことぐらい、普通にリアルマネーに転換できる仕組みをもっている「ネトゲー」に当て嵌めれば想像できそうなものなのに貧しい現実認識 (´;ω;`)カワイソス…

投稿: 遊鬱 | 2007年8月28日 (火) 10時27分

初めまして。
宮台氏の真意がどこにあるのか分かりかねますが、現在も氏の言説に示唆を受けている者としてはwややショックな内容でした。

ただ実際的に都政に影響を与える立場にいようとした場合、絶大な権力者である石原氏に迎合的な発言があったとしても仕方ないのではないかと思ったりもします。(石原氏がリベラルな言説に理解を示すとは思えませんし)私が宮台氏に思想的な整合性よりも政治的にアクチュアルなもの(ロビー活動等)を求めてるからかもしれませんが。

投稿: 根雪 | 2007年8月28日 (火) 21時49分

今回、宮台氏の変節にはがっかりしましたが、その反面、いつもの戦法か?とも思いました。
と言った感じです。
何故なら、まともだった頃でも宮台氏は「今の若者は問題である。」と前提では俗流若者論者に迎合しながらも、結論部分では、「今の若者をここまで追いやったのは社会や大人たちに問題と責任があり、彼らの責任にするのはお門違い」と俗流若者論者に対し批判的でした。
今回、相手が石原慎太郎だったので、前提部分では石原に迎合しながらも、結論部分で、批判的になったのかとも思いました。只、今回、結論部分に相当する部分が見えないので何とも言えませんが。
只、短絡的に変節したのか、それとも、宮台氏の前述のような高等戦術なのか、これだけでは判断できかねますのでもう少し様子を見ます。
後藤さんも、単なる「変節」なのか「高等戦術」なのか見極めるという視点で見ることをお勧めします。

投稿: シグマ | 2007年9月 1日 (土) 10時46分

近年の転向ぶりはあんまりです。結局我われ世代(70年代後半以降生まれ)を踏み台にして自分の社会的地位を確立しようとした、と後世評価されてしまうのではないのでしょうか?意味から離脱した生き方の翼賛は近年氏が賞賛している身分制階級社会の確立のためのネタだったのですか?自分で煽っといて他人事のように侮蔑するのは氏が非難していた「オヤジ」と変わりないじゃないですか・・・いややっぱり「オヤジ」は凄かったのですか?

投稿: usaX | 2007年9月 2日 (日) 07時33分

『「ニートって言うな!!」を拝読させていただきましたが、その中に出てくる「育て上げネット」についての私の所感を述べさせていただきます。育て上げネットをやってらっしゃる工藤啓さんは人を育て上げるといっているのだから、さぞかし、御立派な経歴と職歴を持ち人生経験も豊富なんでしょうが、これは、まったくわかりません。
ろくな経歴、職歴、人生経験もないくせに、ただ単にお父様の事業を暖簾分けしてもらい、地盤を継いだだけだとしたら、若造の癖に人を育て上げるなど、まったくもって生意気以外のなにものでもなく、ただヒキコモリ及びニートを食い物にして、自らの私腹を肥やすために悪銭を稼いでいる悪党、親のスネかじり以外のなにものでもなく笑止千万です。
後藤先生の御感想をお聞きしたいです。』

投稿: 日野徹康 | 2007年9月 3日 (月) 20時04分

私は2005年9月1より11月30日まで若者自立塾「静活館」に入塾しておりました日野徹康と申すものです。
はっきり申し上げますが「静活館」は言ってることとやってることがまったく逆なインチキNPOです。
ホームページにはPC事務講座だのホームヘルパー講座だの書いていますが、まったくやっていません。インチキです。
「静活館」での生活は、月曜日から土曜日まで単純肉体労働の毎日で、しかも自給は200円足らずです(これは労働基準法に違反しています)
しかも危険な現場(大型トラクターのある農家など、私などその大型トラクターにものせられました)に労働に行かせるのに、保険の一つも掛かっていません。もし、大ケガでもしたらどうするんでしょう。
○○君という当時20歳の男もいましたが、彼なぞ風邪を引いて熱を出しても、風邪薬一つ置いてなかったです。(もちろん病院に連れて行くわけでもなく、森岡君は自分で歩いて薬局まで行き、自分のお金で薬を買いました)
さらに名前は忘れましたが、宮崎の都城から来た男はスタッフに睨み付けられて精神崩壊し、精神病院送りにされました。
また入塾生も二人に一人は一週間足らずで失望しやめていきます。
卒塾後のサポートも何もありません。入塾した当時、私と相部屋だった鹿児島の出水から来た○○さん(当時の南日本新聞コラム南風録の人です)という方は半年の季節労働の口が終わってしまったら後は何もなく結局、実家に帰ってしまいました。(その後、彼が何をやっているかは不明です)
宮崎から来た○○という男も実家に帰りそれっきりです。鹿児島の鹿屋から来た○○という男も卒塾後実家に帰り今も何もやっていません。
さらにホームレスの○○さんという人をニートという名目で入寮させ、結局追い出して彼はまた元のホームレスに戻ってしまいました。
熊本から来た○○さんという人も卒塾後実家に戻り今もひきこもったままです。
さらに塾長の竹田氏は共産党の機関紙「赤旗」を購読しており、特定の左翼イデオロギーを塾生にアジテーションしていました。
さらに塾生に強要して公文書の偽造もさせていました。
このような偏った団体をNPO法人として認め、若者自立塾として認定するとは社会経済生産性本部の見識を疑います。
この団体はもう1度きちんと社会経済生産性本部から視察に行き、若者自立塾としての資格があるのかどうか考え直すべきです。
大体、若者自立塾などという施策が本当に若者の就職につながるのかどうか甚だ疑問です。もっとはっきり言えば税金の無駄遣いであり今すぐやめるべきです。
私は今現在、社会復帰を目指して毎日、職業訓練校(ITスキルアップ科)と夜は週三日、日商簿記2級講座に通っていますが、一切「静活館」とは何も関係ありません。
くまもと若者サポートステーションには相談に行っていますが責任者の福原さんはじめスタッフの方々もとてもしっかりしていて「静活館」とは雲泥の差です。
最後にもう1度言います。「静活館」は社会経済生産性本部の責任者自らが、監察に行き、若者自立塾としての資格があるのかどうかを考え直し、場合によってはNPO法人の資格も剥奪すべきです。

投稿: 日野徹康 | 2007年9月 3日 (月) 20時28分

>後藤さん
後藤さんがこれほどに宮台に期待していらっしゃったと知り、驚いています。
彼にも生活というものがあり、大学教育も一労働者である以上、雇用者側に対して弱い立場にあるのは当たり前ではないでしょうか。
そもそも、知識人というのはそういう立場の職種なのではありますまいか。

>日野徹康
大事な報告をしていただき、ありがとうございました。
やはり引きこもり・ニート支援業の一部は、ブラック企業またはタコ部屋化しているのですね。
労災隠しにあったりする前にとっとと辞めていらっしゃること、正解だと思います。


投稿: ワタリ | 2007年9月 3日 (月) 22時16分

若者自立塾「静活館」塾長 竹田寿昭の本性
ひきこもり及びニート支援「社会貢献」という建前で国や地方の税金を毟り取る事で 金儲けができる甘い汁を吸えると言う事実を知ってしまった。
国や地方の税金におんぶにだっこで、庶民を見下しながら、そいつらに説教をすることで、自己実現が図れるような 働き方をしていきたい。

投稿: 日野徹康 | 2007年9月 5日 (水) 10時37分

すみません、追記です。
>後藤さん

知識人なんてそもそもそんな職種、とはいえ、批判は必要です。
よくぞ書かれたとも思います。
いろんな表現法がありますが、どーせダメだから、と諦めている場合じゃないですから。

>日野さん
あなたへのレスに敬称が抜けてしまいました。失礼をお許しください。
勇気ある内部告発に敬意を示したく思います。

実は、知り合いにひきこもり支援のグループをやっている男がいます。
あるとき、別のジャーナリストから紹介されて、そこに取材に行くと、何もしていないのに人を侮辱したり、わたしの話も聞かない、取材拒否、約束の電話連絡からも逃げてばかり、18歳以上の人を幼児扱いなど問題だらけです。周囲の活動家もそれを批判せず、批判しようとする人たちをおさえにまわっています。

別の交通調査の会社の社長は、ひきこもり支援のグループのリーダーです。彼はフリーターとひきこもりの区別もつかずないまま、寮に入って革命をやれと人に押し付けようとしています。要するにカルト/セクトの世界の人間です。
そこの人が開いたシンポジウムに行ったことのある知り合いのから聞いたのですが、リーダーの周囲にヤクザっぽい人間が取り囲んでおり、威圧的な雰囲気を作っていて怖かったとのことです。

投稿: ワタリ | 2007年9月 7日 (金) 23時38分

宮台氏が相手によって立つポジションを変えるのは良くあることですよ
というか我々も相手の話を聞くためにはそう言うことをやると思います。

宮台氏は社会学者であって、若者の立場の代弁をやりたいわけではないと思いますし。

投稿: 共産趣味 | 2007年10月19日 (金) 19時37分

よく分かりません。
スタンスがどちらにぶれようと、私にはいつもの宮台氏にしか見えません。
スタンスによって評価が変わるというのもおかしな話でしょう、

彼が何かしらの問題について、正面から向き合って分析したことなどは一度でもあったのですか?

極めて限定的なフィールドワーク(要するに自分の見聞きしたもの)と、自身のイデオロギーと、聞こえの良い造語があっただけではないのですか。

投稿: すうぷ | 2007年10月23日 (火) 06時13分

『創』最新号に佐高信氏の宮台批判が載っていたので、立ち読みしてみました。コアは宮台の近著「日本の難点」への批判なのですが、「日本の難点」が広く受け入れられている背景として「保守の味」があると指摘したことに本エントリと通底するものを感じます。

確かに「俗流」って物言い、日本人の多数派が(その真偽に関わらず)抱いている感覚と言うことからして「保守の味」と言えちゃうんですよ。このエントリがアップされて既に2年近くが経過してますけど、ようやく「宮台氏の難点」が俎上に上がる様になったかと感慨深げです。今にして思えば、援助交際の女子高生を取り上げたのもタダのオヤジ趣味の延長だったのか(笑

投稿: 杉山真大 | 2009年7月 9日 (木) 20時10分

宮台真司さんへの批判を大変興味深く読みました。ずいぶん後からのコメントですが。
確かに彼のお話には印象論や見聞きしたことに基づいた内容が目立ちます。しかし、彼はそのことに自覚的なのではないでしょうか。

むしろ私にとってもやもやするのは、彼のよく引き合いに出す「システム理論」というものです。なんなのでしょう、あれは。ミルズが誇大理論と批判したものに近いような印象を受けます(私も印象論ですけど)。

投稿: にしむらひろし | 2011年7月19日 (火) 23時16分

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受信: 2007年8月28日 (火) 00時18分

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