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2008年1月17日 (木)

(宮台真司への)絶望から始めよう――「現代の理論」発刊に寄せて

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 EU労働法政策雑記帳:現代の理論
 西野坂学園時報:2008年巻頭言 日本経団連と新自由主義に裁きの鉄槌を
 女子リベ  安原宏美--編集者のブログ:「少年法の改正と児童福祉の課題」
 今日行く審議会@はてな:流されないこと

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 「現代の理論」(明石書店)平成20年新春号に、私の書いた文章「さらば宮台真司――脱「90年代」の思想」(pp.100-109)が掲載された。今回は、この文章について、著者自身による若干の解題を書いてみることとしたい。

 まず、この文章が掲載されたいきさつであるが、実をいうと件の論考は、編集部から頼まれて執筆したものではなく、自分で書いてみた文章を売り込んだものだ。というのも、平成19年8月、このブログにおいて「俗流若者論ケースファイル85・石原慎太郎&宮台真司」という文章を書いて、そもそも我が国の若者論にとって宮台とはいかなる存在であったか、ということを考えずにはいられなかったからだ。そこで私はかつて収集していた宮台の若者論を改めて読み直し、そして分析を加えてみた。そしてそれを様々な雑誌や知り合いの編集者に売り込んだのである。

 売り込む過程で、様々な人から様々なアドバイスをいただいた。また元の原稿を見せた編集者がまた別の編集者に読ませたりということもあった。そんな中、幸運にも、売り込んだ雑誌の一つであった、「現代の理論」の編集部の方から、文章を掲載させて欲しいとの連絡があり、私は早速それに応じた。まず、私のつたない論考を掲載することを認めてくださった編集部の方に、この場を借りてお礼を申し上げたい。

 さて、本題に入ろう。本稿のタイトルは、ずばり「さらば宮台真司」である。そもそも宮台は、平成6年の、いわゆる「ブルセラ論争」によって、若年層の「味方」、あるいは「理解者」「代弁者」としての地位を築いた。宮台は当時から、若年層における「道徳観の低下」という言説を批判し、若年層の道徳は壊れているように「見える」だけで、それはむしろ世間などの「大きな物語」が消えたからだ、という論陣を張っていた。

 そのような傾向は、平成7年、オウム真理教の事件より加速する。宮台は「終わりなき日常」を連呼していた。そこで比較されたのは、「オウム信者」、すなわち強迫観念的な「さまよえる良心」を持ち、その「良心」故に大事件を起こすようなものと、「女子高生」、すなわち「オウム信者」が抱えているような大変革への願望を持たず、「終わりなき日常」を「生き抜いている」ものであった。宮台は、前者を否定し、さらにオウム事件における評論家たちの言説をも否定し、後者を肯定した。

 このような論理が展開されているのは、「オウム完全克服マニュアル」という壮大なサブタイトルがつけられた、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)である。さらに、同書の文庫版あとがきには、宮台の「勝利」が宣言されていた。具体的にいえば、「女子高生」的なものが蔓延することによって、「オウム信者」的なものが生きづらくなり、その「救済」をしなければ大変なことになる、というものであった。

 事実宮台は、平成9年の「酒鬼薔薇聖斗」事件の直後、『まぼろしの郊外』(朝日文庫)や『透明な存在の不透明な悪意』(春秋社)、『学校を救済せよ』(尾木直樹との共著、雲母書房学陽書房)などで、「専業主婦廃止」などの「救済」プログラムを打ち出した。

 だが、宮台は、ここで若年層を見誤っていなかったか。例えば『終わりなき日常を生きろ』で採り上げられている事例も、実のところ実証性というものはなく、ただ自分の身の回りのインタヴューくらいでいろいろと妄想を構築しているものであったし、少年による凶悪犯罪も1960年代に比してはずっと少ないし、「酒鬼薔薇聖斗」事件が本当に宮台のいうような性質のものであったかということもわからない。この手の事件は、それ以降はほとんど起こっていないからだ。

 そればかりではない。宮台はのちに、平成8年頃より、いわゆる「援助交際」に関するフィールドワークを辞めた、と公言している(『制服少女たちの選択』(朝日文庫)文庫版あとがき)。宮台にとって平成8年頃は《「とてもポジティブな時代」》が《終わった》(宮台真司[2006]p.395)ものであり、さらにその時代以降の「援助交際」女子高生は《私にとってのエイリアン》(宮台真司[2006]p.397)であると公言してすらいる。

 思えばこの時期あたりから、宮台の言説は実証性をかなぐり捨て、若年層に対する突飛なイメージをひたすら煽り続けるようなものに変貌していた、といえるかも知れない。宮台が教育政策などとの忖度をろくに行なわずに、簡単に「救済」などと述べるようになったのも、宮台にとって若年層が「理解可能」な存在でなくなったことが原因といわざるを得ない。もちろん、変わったのは若年層というよりも、宮台の若年層に対する見方である。

 そうなれば、宮台が平成10年頃より連呼するようになる「脱社会的存在」なるテーゼも理解できようというもの。宮台が安易な「社会防衛」に走ったのも、結局のところ宮台が若年層をモンスターとしてしか捉えていなかったことの証左なのである。なお、「現代の理論」文中ではスペースの都合上で触れられなかったが、この部分は芹沢一也の『犯罪不安社会』(浜井浩一との共著、光文社新書)での分析に大いに触発されている。ただ私の視点が芹沢と違うのは、芹沢が少年犯罪に対して寛容さを失っていく社会を掘り下げていくのに対し、私はその後の宮台の言説がいかに実証性に欠けているものであるか、ということを証明している。

 例えば、平成19年3月に出された鼎談本である『幸福論』(鈴木弘輝、堀内進之介との共著、NHKブックス)の以下の記述を見てみよう。

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 ところがどうしたことか(笑)、偏差値七〇以上の大学でも学力はどんどん落ちているし、「人間力」にいたるとベキ乗くらいの速度で落ちている。分かりやすく言えば、「こいつはすごい」と思う人間に出会う可能性が十分の一以下に減った。それは間違いありません。(宮台真司、鈴木弘輝、堀内進之介[2007]p.35)

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 ギャグでいっているのだろうか。そもそも宮台はこのようなことを示すデータを一つも示していない。それどころか「人間力」などという(客観的な評価が不可能故に判断基準にするには極めて問題の多い)言葉を安易に用いているのだから、その言説のレヴェルはたかが知れているところだろう。結局のところ宮台のいっていることはいわゆる「ニセ科学」に他ならない。「ニセ科学」というと自然科学系のものを我々は想起しがちだが、宮台のような社会科学系のものにも注意を支払う必要がある。

 それにしても宮台の最新のインタヴューである「出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題」(「現代」平成20年2月号にも掲載されている)を読むと、いかに宮台が自らのやっていたことについて反省していないかということがわかる。例えば、

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 全体性を知らないエキスパートからは「善意のマッドサイエンティスト」が多数生まれます。自分が開発したものが社会的文脈が変わったときにどう機能し得るかに鈍感なエキスパートが、条件次第では社会に否定的な帰結をもたらす技術をどんどん開発していきます。(以下、断りがないなら全て「出でよ、新しき知識人  「KY」が突きつける日本的課題」からの引用)

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 私の見る限りでは、これは明らかに宮台のことである。なぜなら宮台は、平成9年頃、それこそ全体性など無視して若年層の「救済」「サルベージ」などを語り、舌の根の乾かぬうちに「脱社会的存在」などと不安を煽ったからだ。

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 不安はマスメディアにとっての最大のエサです。潜在的な不安があれば、不安を煽って視聴率を増やす戦略をとります。その結果、犯罪が増えていなくても、人々の不安だけが膨らむことになります。その延長線上に重罰化や監視カメラを要求する世論が盛り上がります。

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 「冬枯れの街」のエントリー「恐怖、この思念凝結兵器さえあればこの先千年を経てもなお統べる事ができよう!内在する恐怖によって~宮台転向記念碑~」でも突っ込まれているとおり、平成10年頃から若年層に対する不安を散々煽ってきたのも宮台である。

 嗤うべきところは他にも多数あるので省略するけれども、我々は、宮台こそが若年層に対する不安を煽り続け、そして統計やデータ、及び科学的な検証によらない青少年言説を発信し続けてきた、ということを正しく認識すべきではないだろうか。そしてそのような言説が許されてきた「90年代」という時代の若者論についても、はっきりとノーを突きつけなければならないだろう。

 そもそも90年代の若者論とは、青少年「問題」の肥大化と、青少年をめぐる解釈合戦によってその「問題」をバブルの如く大きくしていたような議論に他ならない。その中心にいた一人が、間違いなく宮台であった。今はそのような不安を鎮静させるのが先決でないか。そうしなければ、それこそ教育基本法の「改正」や、教育再生会議、あるいは種々の青少年「対策」のような、根拠のない不安に裏付けられた政治の動きを止めることはできないだろう。

 ところで宮台は、こうも述べている。

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 ちなみに、文脈を参照して内容を割り引くことを「批判」と言います。批判というと日本では攻撃と勘違いされがちですが、違います。批判とは、隠されていた前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営みのことを言うのです。

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 私の論考が、宮台の《前提を明るみに出し、前提を取り替えると成り立たなくなることを証明して見せる営み》となれば、著者としてうれしいことこの上ない(苦笑)。

 引用文献:
 宮台真司『制服少女たちの選択』朝日文庫、2006年12月
 宮台真司、鈴木弘輝、堀内進之介『幸福論』NHKブックス、2007年3月

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コメント

塩川伸明「読書ノート」
ソーカル、ブリクモン『知の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/sokal.htm
> 著者たちは次のようにいうのだが、これはいかにも安易な印象を受ける。
> 
>「二つのタイプの難しさを見分けるために役立つ判断基準はいくつかあるようにみえる。第一に、もし難しさが本物ならば、その理論がどのような現象を扱っていて、主要な結果が何であって、それを支える最良の論拠は何かといった点を、ある程度初等的なレベルでわかりやすい言葉を使って説明できるのが普通である。〔中略〕。第二に、難しさが本物ならば、そのテーマについてより深い知識を身につけるためのはっきりとした道が――長い道のりかもしれないが――用意されている」(二四七‐二四八頁)。
> 
> 前の方の文章の末尾にある「普通である」という言葉はくせ者である。あるいは、自然科学では――そしてまた社会科学でも、一部の分野で「科学化」が進んでいる場合には――それが「普通」なのかもしれない。つまり、ディシプリンが確立していて、クーン流にいえば「通常科学」の土俵の上で「パズル解き」がなされているときには、その「パズル」がいくら難問であっても、そのテーマ・論点・結果・論拠等々については共通了解があり、それを明確に説明することが可能だろう。だが、ディシプリンそのものが未確立だったり、動揺したりしている場合(同じことだが、パラダイムが未確立だったり、動揺したりしている場合)、「どのような現象を扱って」いるのかということを明らかにすること自体が難しい――何をとりあげ、それをどのような現象と捉えるかということ自体が争点であり、論争当事者間で共通了解がないために、言葉もなかなか通じない――ということが珍しくない。第二の、「そのテーマについてより深い知識を身につけるためのはっきりとした道が用意されている」というのも、既に確立した学問分野において、「初等編」「中等編」「高等編」といった教科書があるような場合には当てはまるが、その分野そのものが開拓途上の場合には、そうした「道」は決して「用意されて」などいない。むしろ、「道なき道」を自ら切り拓きながら――ということは、どこかで泥沼に足を取られて、完全に方向を見失ってしまうという危険性をも敢えて冒しながら――進むほかないという場合もあるのである。

投稿: kikulog-ne | 2008年1月18日 (金) 15時10分

・(社会)科学を装う
・(社会)科学でない
ものを、「ニセ(社会)科学」と呼んだってかまわない

by apj at 2008/01/17 12:18:38
さすがに呆れ果てた :: 事象の地平線::---Event Horizon---#com7472
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7467#com7472

投稿: TAKESANE | 2008年1月18日 (金) 16時10分

後藤さんが用いた「ニセ科学」という語、用法は妥当か否か。
その内、議論になるかも知れません。

投稿 TAKESAN | 2008年1月18日 (金) 15:48
Interdisciplinary: 分けて考えてみる
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_866e.html#comment-22342226

投稿: FMAP | 2008年1月18日 (金) 17時21分

 お久しぶりです。
 宮台真司は確かに過去は秀逸な論考を出していました。ただ、その頃から妙に排他的ではありましたが。
 私が思うに、彼は相当に優れた頭脳の持ち主です。CPUの性能が高いとでも言いますか。ただ、インストールされているソフトがイマイチな感じがします。どんな科学でもそうですが、人文科学や社会科学などの文系の学術の場合は特に地道な観測や調査こぞが重要で、ひらめきや観点はその次に来るものだと私は思うんです(文系学問は実験が効かないのでデータ集めは資料や足で稼ぐことになる)。が、どうも宮台氏は自分のCPU性能に頼り過ぎるキライがあるんじゃないかと。

投稿: shira | 2008年1月18日 (金) 23時36分

はじめまして。

わたしは宮台をほとんど知らないのですが、先日「ミランカ」で宮台が出演していた動画を見て、ものすごく胡散臭い人間だなと感じていたときに、このエントリに出会い、非常に共感したので書き込まさせてもらいました。
https://miranca.com/entry/article6#021954

彼は動画で「今の学生は馬鹿だ。大学で教鞭をとっていてもひどい」みたいな発言をしています。
その一方で、宮台は自分が推進したゆとり教育は間違っていないと言うのです。
しかし、宮台が馬鹿だというその世代こそ、まさにゆとり教育で育った世代なのです。
教育が間違っていないのだとしたら、彼は今の学生が馬鹿な理由は何だと思っているのでしょうか?

また、宮台が馬鹿だと言う今の若者は本当に馬鹿なのか?
宮台が今の若者を馬鹿だと感じるのは、宮台と今の若者との間にある世代の断絶が大きすぎて、宮台には理解できないだけなのかもしれません。
自分が理解できない世代の価値観や言語体系を「馬鹿」と言って切り捨てているだけなのかしれません。
つまり、宮台が「労害」であるということです。

宮台がテレビやラジオに出演していたのは90年代ということですが、それ以降の世代は私も含めて、宮台真司なんて知らないわけですよ。宮台が90年代に語っていた「若者」は、もうすでに「若者ではない」のですが、未だに宮台はそのときと同じ視点で、今の若者を見ているのかもしれません。
それ以前に、宮台が語っていた90年代の若者論でさえ正しかったのか?

とにかく、ミランカで動画を見ていて、「俺は天才なんだから、俺の言っていることは正しいんだよ!」とでも言わんばかりの宮台の姿に、強い痛々しさと胡散臭さを感じました。

投稿: ようこ | 2008年1月20日 (日) 11時09分

上記の書き込みですが、漢字の誤字がありました。
訂正します。

×「労害」
○「老害」

投稿: ようこ | 2008年1月20日 (日) 13時22分

『学校を救済せよ』の版元名に「雲母書房」とあるのは「学陽書房」の誤りです。

投稿: shina | 2008年2月 6日 (水) 18時09分

宮台さんが「今の日本は豊かな社会。貧困問題などなくなった中、動機不明の少年犯罪が増えている。一方で、女子高生がたやすく稼ぐことも出来る。」などとのたもうていたころ。
わたしたちはグッドウィルやフルキャストで酷使され、搾取されていました、あるいは入りたくても職が無い苦悩とフリーター差別、さらにその隠蔽としての俗流若者論に苦しめられてきました。

はじめは、脱学校という一点において支持してもいいか。
テレビなど大手マスコミに出ている論者のなかではまあいいほうかな? くらいに思っていました。

けれど、その後の言論を見ると、めちゃくちゃになってきたと思う。
脱社会なんて話は、社会的排除を隠蔽するために財界や石原に媚びているようにも見える。
藤井誠二・高岡健らといっしょになって「孤独を恐れるな!」なんてカッコつけたようなこと煽っているけれど、グッドウイルユニオンの事務所の前でそれを大声で叫んでほしいと思いますね。あるいは、自分が流れの職人でもして、日本の下層民の酸いも甘いもかぎわけてから言ってほしかったですね。


それから、彼の言説に何の戦略もなくだまされたいわゆる宮台信者、または宮台派ともいうべき連中の言論は悲惨です。R・D・レインの「引き裂かれた自己」みたいな状態になっています。
たとえば、あるブロガーは、宮台のヴィデオニュースでの広告につられてアジア主義を唱えます。
しかし、それが玄洋社・黒龍会などの極右・ヤクザ勢力にいおる旧満州・朝鮮での要人暗殺やスパイ活動と密接にリンクしていることには触れません。
宮台以外の情報源をシャトアウトしているのでこうなるわけです。

また別の宮台派の人間は、学歴社会はないと丸まんま宮台の受け売りをしています。
しかし、以前本田由紀さんのブログの議論の発端になったので覚えている方もいらっしゃると思いますが、
偏差値階層の明確に違ういくつかの大学の名前をエントリーシートに記入すると、案の定、大学の位階ごとに次の段階にすすめる度合いが明確に違っていたとする研究報告もあります。
なお、彼は学歴インフレという概念をあげたわたしに対して、ミクシー上で「デムパ」だと言っています。
彼は労働問題について書いているライターなのですが、貧困問題と精神科医の問題が関わっていることについてこれほど認識が欠落しているのも珍しいことです。


投稿: ワタリ | 2008年2月28日 (木) 07時29分

宮台が若者の恐怖を煽ってきたとは思えませんが、実際にブルセラ世代がいたわけだし。宮台の90年代の若者論は今現在有効だとは思いませんが、それはとりわけ00年代になってからの格差社会の進行が原因でしょう。
まったりする余裕がなくなってきたからですよ!
実際青少年健全育成条例等に反対してきたし、彼の言動が結果として若者への規制を強めてしまったことは本人も反省してるじゃないですか?00年代に入ってからの若者に対する規制はグローバリゼーションの反作用が主因だと思いますよ。
若者の擁護は理解できるんですが的外れな批判はおやめになった方がいいですね、そもそもそういった行為自体が『自意識の肥大化した若者』という現在の宮台の発言を裏付けてしまっているんだから。

投稿: ジョアン | 2008年3月18日 (火) 22時42分

ブルセラ世代自体が宮台真司によって捏造された面もあるんじゃないでしょうか。それに、宮台真司以上に自意識が肥大した若者なんているんでしょうかね。

宮台は、オウム世代のことをしつこく掘り下げたほうがよかったんじゃないかな。自分に近い世代だから誤差が見えてきても修正しやすかったのではないでしょうか。

女子高生の置かれている状況というのは、昔も今もそんなに変わっていないと思う。宮台みたいなのに都合よく利用されてしまう面も含めてね。
宮台氏と奥さんの年齢差は、宮﨑勤と彼が殺した女の子との年齢差と同じですよね。
そのへんを言語化できれば宮台も大したものになれるんじゃないかな。

投稿: nessko | 2008年3月23日 (日) 10時40分

ブルセラを肯定的に考えてくれる大人だったんだから、
その結果責任を取るべきだ。

作られてしまった価値観を変えることはたやすくはない。
そしてその価値観が日本の将来を作るということを、
宮台は考えるべきだった。

彼は知っている風な口を利くがまったく分からなかったのではないか。

単なるマーケティング屋が社会学者を名乗るとどうなるのか。

僕はその将来に大きな懸念を抱いている。

与えられた価値観に苦しむのは、無知な子供だからである。
たやすく回復できる傷ではない。

投稿: K | 2008年4月10日 (木) 02時26分

大学教員として20年近く有名大学の学生と多数接してきて、帰納的に「学力が落ちている」という蓋然性を引き出すことのどこがギャグなのか。
「人間力」という単語の定義が曖昧だからといって、宮台の言説は信用できない、と結論づけているのも突飛だ。似非科学はどちらか。

投稿: たなべ | 2008年5月31日 (土) 01時14分

たなべさん
>大学教員として20年近く有名大学の学生と多数接してきて、帰納的に「学力が落ちている」という蓋然性を引き出すことのどこがギャグなのか。

どう考えてもギャグでしょう。

投稿: スープ | 2008年6月18日 (水) 01時24分

宮台さんのことはそんなに嫌いではない。
なぜかというとまあやはりそれなりに頭は良いと思うからだ。
そこは充分に認めたいところだが、いかんせん精神が頭の良さに似つかわしくなく幼いと思う。

宮台さんは青少年を本当に擁護したいのであれば、青少年をただ擁護するだけではなく、大人を変えて行く提案をもっとすべきだったとおもう。
この国では 学生 というだけで社会から隔離された存在にされてしまう。 声なき存在にされてしまう。
だからダイレクトに大人や社会に影響を受けるだろう。

そこで乱れた行動をとった子供たちを擁護したところでなにも変わらない。

そういう逸脱した行動をとった子供たちの中に宮台さんの逸脱した部分を重ねあわせ、子供という隠れみのを使って自分を擁護しているようにしかわたしにはうつらなかった。

投稿: co | 2008年12月11日 (木) 17時54分

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