2005年10月22日 (土)

トラックバック雑記文・05年10月22日

 トラックバック:「kitanoのアレ」/「成城トランスカレッジ!」/「カマヤンの虚業日記」/本田由紀/古鳥羽護/「フリーターが語る渡り奉公人事情」/保坂展人/茅原実里
 忙しくて更新する暇がないよ…。

 kitanoのアレ:ジェンダーフリーとは/暴走する国会/憲法調査会報告書
 成城トランスカレッジ! -人文系NEWS&COLUMN-:ageまショー。
 カマヤンの虚業日記:「霊感詐欺する権利」なんか存在しない

 グーグルで「ジェンダーフリー」を検索すると、自民党のプロジェクトだとか(統一教会の機関紙である)「世界日報」の記事とかが上のほうにヒットしてしまうそうです。で、それらの記事は、徒に「ジェンダーフリー」を危険視したり、あるいは陰謀論まで持ち出して的はずれの批判をしたり、というものが多いようです。私はこの手の言説を、産経新聞社の月刊誌「正論」でよく読むのですが、こういう言説を展開する人たちの歴史観を疑いたくなりますね。結局のところ「自分が理解できない奴らが増えたのは自分が判定している政治勢力の陰謀だ!!」って言いたいだけでしょ。こういう人たちは、酒場でのさばらせておく分には害はないのですが、実際の政治に関わっているのだから無視できない。

 そこで「成城トランスカレッジ!」の管理人が発足したプロジェクトが「ジェンダーフリーとは」というウェブサイトです。このサイトは、「ジェンダーフリー」に関する論点や、それの批判に対する反駁、また混同されることの多い「男女平等」と「ジェンダーフリー」の違いなどを説明した優れたサイトです。

 しかし、「kitanoのアレ」に貼られている、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(安倍晋三座長)のバナー広告を一部改変した広告が面白い。何せ《まさかと思う訴えが父母から寄せられています。自民党は責任を持って性感染症を増やします》ですからね。ただこのようなパロディは正当性があります。というのも、性感染症など、性行為にまつわる疫病・感染症を予防するためには、適切な処置をとらなければならない。従って、それに関する知識も必要になる。ところが自民党の推し進めている性教育とは、「性行為は害悪だ」「性行為はするな」の一点張りのようです。

 社会学者の宮台真司氏が、数ヶ月前の「サイゾー」で、宮崎哲弥氏との連載対談において、「「過激な性教育」が問題だというが、それで初交年齢が上昇したり、性感染症が阻止できたら問題はないのではないか」といっていた記憶がありますが、こういう認識に照らし合わせて自民党のプロジェクトを考えてみると、「たとえ自分たちが望む結果になったとしても(社会的問題が解決されたとしても)、自分の望む手段で解決されなければ嫌だ」ということになるのでしょうか。

 これに関してもう一つ。

 成城トランスカレッジ! -人文系NEWS&COLOMN-:名コンビ。
 この「反ジェンダーフリー」の旗手である、高崎経済大学助教授で「新しい歴史教科書をつくる会」現会長の八木秀次氏と、「つくる会」初代会長の西尾幹二氏の対談本『新・国民の油断』(PHP研究所)が書店に並んだとき、私は軽く読んでもうこの手の議論には付き合いたくないや、と思ったのですが、こんなに面白い俗流若者論の本だったとは。あとで読んでみようかなあ。

 ついでに、私のブログでも八木秀次氏に関して言及したことがありますので、参考までに。

 「俗流若者論ケースファイル25・八木秀次

 さらにこの「つくる会」や、自民党の右派系の国会議員が推し進めている教育基本法改正について言うと、東京大学助教授の広田照幸氏が最近『《愛国心》のゆくえ』(世織書房)という本で、その「改正」について批判的に検証しております。お勧め。

 まだまだ教育の話。

 もじれの日々:記事群(本田由紀氏:東京大学助教授)

 本田氏が引いている調査について。

*「幼児の就寝時間早まる 積み木・泥遊び増/「遊び相手は母親」8割 首都圏対象のベネッセ調査」
 これはたぶん、ハイパー・メリトクラシー(「人間力」みたいなもん重視)下における家庭教育指南言説の蔓延の影響だ(近刊拙著第1章・第5章参照)。それにしても平日に一緒に遊ぶ人が、「きょうだい」「友達」が10年間に10%減った代わりに「母親」が55%から81%まで急増しているのはすごい。子供の「人間力」(私の言葉では「ポスト近代型能力」)育成エージェントとしての重圧を母親=女性が一身に引き受け、「パーフェクト・マザー」責任を果たそうとしているのだ。しんどいことだ。

 本田氏のコメントは、至極正鵠を衝いているものだと思います。青少年問題をめぐる言説については、どうも最近になっても依然として「本人の責任」「親の責任」を強調するのが多い。こういう「責任」、特に「親の責任」を強調するものについては、過剰に親に求めすぎるようになり、親が社会的な支援、第三者による支援を受けるチャンスを奪ってしまう。

 最近は「健全な規制の下に健全な精神が育つ」みたいな意見がはびこっていますからね。子供が「健全」に育つためには、国家や親によって適切に「指導」されなければならない、と。若年無業者対策にしても、最近なぜか強調されるのは職業能力ではなく「適切な職業観」ですからね。精神こそが大事である、という考え方には一理あるとは思いますが、それが行き過ぎると過度の教育主義にならざるを得ない。

 ついでに言うと、本田氏の言うところの《「パーフェクト・マザー」責任》については、広田照幸氏が分かりやすくまとめておりますが(広田『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書)、最近は「「パーフェクト・ファザー」責任」みたいなものも出てきているようで怖い(例えば「父親の育児参加」議論の一部とか)。

 もう少し教育の話を。

 フィギュア萌え族(仮)犯行説問題ブログ版:10月13日「どうやってゲームを規制するのか?」と、中立性を欠いたNHKの報道(古鳥羽護氏)
 この手の報道にはもう飽き飽きしました。マスコミは、早く最近のメディア規制論が政策的判断ではなく「「世間」の身勝手」「為政者の身勝手」によって推し進められていることを理解したほうがいい。

 明日の宮城県知事選挙にも、松沢“ゲーム規制”成文氏と中田“行動規制”宏氏が推薦を表明している人が出馬しているからなあ(ちなみに新仙台市長の梅原克彦氏はこの人を推薦しております)。対抗馬は現在の浅野史郎知事の路線を継承、そのほか片山善博氏なども推薦し、民主党と社民党の推薦を受ける人。ただ、浅野知事もどうやらゲーム規制には前向きのようで、いくら民主党と社民党が推薦しているとはいえ注視しなければならない。あとは共産党推薦の人。共産党もメディア規制に関しては怪しいところが多いからなあ。今回は投票はあまり乗り気ではない。まあ行きますけどね。一応私は民主党(もう少し詳しく言えば民主党左派、あるいはメディア規制反対派)支持だし(ただ党幹部に枝野幸男氏が入らなかったのが残念だけど)。

 あと、このエントリーで気になったのがコメント。ちなみにこのコメントは「フリーターが語る渡り奉公人事情」の管理人によるもの。

上の世代のなかでメデイア・リテラシーの低い人たちは、ひきこもりとニートとフリーターの区別もつかずに勝手に人をバケモノにしたてあげ、取り乱したり、攻撃したり、他人の権利を不当に制限したがったりしています。若者の自立を支援する団体のなかには、大学生の不登校まで治療の対象とみなすところもあるくらいです。

わたしが、以前マスコミ報道にかつがれて連絡した団体も、大学生不登校とフリーターと引きこもりとニートの区別もつかないまま、いまどきの若者全般が反社会的で未熟でだらしないとの前提にたって、道徳的な説教をしていました。なんと、それらは反革命だという政治的弾圧さえしていました。

 で、この書き手自身のブログにおけるエントリーが次のとおり。

 フリーターが語る渡り奉公人事情:反革命ばんざい!
 このブログの管理人が間違って参加してしまったあるセクトについての話なのですが、この文章を読んでいる限り、少なくともこのセクトは運動によって社会を変革することを目的としている、というよりも運動が自己目的化している、と言ったほうがいいでしょう。要するに、仲間と一緒につるんで運動することによって「感動」を得ることこそが究極の目的である、と。この団体に関して、重要なのはむしろ「感情を共有できる人」であり「共同幻想」である。この団体が、「ひきこもり」の人たちを過剰に排撃するのは「共同幻想」を共有できないから、ということで説明できるのではないでしょうか。

 それにしても、この「共同幻想」論、もう少し論理の展開の余地があるような気がするなあ。例えばつい最近短期集中連載という形で批判した民間コンサルタントの三浦展氏の著書『「かまやつ女」の時代』(牧野出版)や『下流社会』(光文社新書)の問題点もこれで説明できるような気がする。要するに、三浦氏の理想とする「高額のものを消費するための自己実現(としての就労)」みたいな流れにそぐわない人はみんな「下流」とか「かまやつ女」みたいに罵倒されてしまう、という感じ。

 ついでにフリーターや若年無業問題に関わる本の書評ですが、最近忙しいので、11月中ごろになってしまう予定です。一応、前回(10月12日)からの進行状況は次のとおり。

 読了し、書評も脱稿したもの:丸山俊『フリーター亡国論』ダイヤモンド社
 読了したが書評を書いていないもの:浅井宏純、森本和子『自分の子どもをニートにさせない方法』宝島社、小島貴子『我が子をニートから救う本』すばる舎、澤井繁男『「ニートな子」を持つ親へ贈る本』PHP研究所

 あと、予定していた、小林道雄『「個性」なんかいらない!』(講談社+α新書)の検証ももう少し遅れます。最近だと、「週刊文春」などで「ゲーム脳」の宣伝に努めている、ジャーナリストの草薙厚子氏が『子どもを壊す家』(文春新書)という新刊を出したそうで。こちらもチェックしておく必要がありそうです。

 保坂展人のどこどこ日記:止まれ、共謀罪(保坂展人氏:衆議院議員・社民党)
 カマヤンの虚業日記:[宣伝]「『不健全』でなにが悪い! 心の東京『反革命』」
 どうも最近、きな臭いことが多いなあ(共謀罪とか、メディア規制とか)。「心の東京「反革命」」に関しては、米沢嘉博氏(コミックマーケット準備会代表、漫画評論家)と長岡義幸氏(ジャーナリスト)が発言するそうなので、参加したいのですが、いかんせん金がない。私は仙台在住なので。

 こんなときは、河原みたいなどこか人気の少ないところに行って夕陽でも眺めながら何も考えずに座っていたい。

 minorhythm:どこまでも…(茅原実里氏:声優)
 《あまりにも綺麗で、ほんの少しだけ切なくなって…ほんの少しだけ優しい気持ちになって。》とは茅原氏の言葉。こういう感動を味わうことのできる場所があればいいのですが、最近の青少年政策を見ていると、青少年からこういう場所を奪ってしまうのだろうなあと憂鬱になる。家庭も親と青少年言説による監視の眼が日々強くなっている。青少年言説の支配する社会とは、子供から全ての逃げ場を奪い「適切な」監視の下で「適切な」道徳が育っているかのごとき幻想を「善良な」大人たちに抱かせるものに他ならないのです。で、少年犯罪やら何やらが起こると「まだまだ監視が足りない!」と言い出す。今のままの青少年政策はループです。

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2005年2月 2日 (水)

トラックバック雑記文・05年02月02日

 *☆.Rina Diary.☆*:焼き焼き!(佐藤利奈氏:声優)
 佐藤氏と、声優仲間の木村まどか氏、山川琴美氏によるお好み焼きパーティーに関する文章です。
 私事になりますが、私は、先月(05年1月)28日、平成17年仙台市成人式実行委員会の打ち上げに行ってきました。実を言うとこの打ち上げは私にとって、生まれてはじめて仲間と酒を酌み交わした体験でありました。私は酒に慣れていないので赤ワインをワイングラス3杯ほど飲んだのですが、ほかの人はもう出来上がっているのではないかと思うぐらいはしゃいでいました。実行委員の榎森早紀氏や小野寺洋美氏、市教委の齋藤浩一氏や鈴木一彦氏などと語り合い、罵り合い(笑)、楽しい時間はあっという間に過ぎていました。こういうのもいいものです。またやりたいですね。
 この打ち上げには2次会もありました。2次会は打ち上げをやった焼肉屋のすぐ上にあるカラオケ屋に行ってカラオケをしました。私は、声優の千葉紗子氏と南里侑香氏のユニット「tiaraway」の「Your Shade」を熱唱してしまいました。まあ、この曲は私以外知らなかったのですが。でも、皆様知らないなりに盛り上がってくれました。
 成人式実行委員会の皆様、また会えるといいですね。

 だいちゃんぜよ:去りゆくドンたち(橋本大二郎氏:高知県知事)
 そういえば橋本大二郎氏は、もともとはNHKの記者でした。このたび、海老沢勝二氏が辞任したわけですけれども、橋本氏が現役の記者のとき、橋本氏の目に海老沢氏がどう映っていたか、そして今の海老沢氏は、という思い出話をつづったエッセイです。海老沢氏以外にも、堤義明氏や鈴木宗男氏にも触れられていますが、これらの人はさまざまな分野でドンとして君臨しつつ、そして散っていった人たちでした。橋本氏の

 面識のある方々が表舞台から姿を消すことに、いちまつのさみしさを感じます。

 という言葉には、橋本氏の想いが詰まっているように思えます。

 週刊!木村剛:[木村剛のコラム]並大抵の覚悟では日本は再建されない(木村剛氏:エコノミスト)
 MIYADAI.com:戦略なき対米協調で足元を見られる日本──三層の知恵で巻き直せ(宮台真司氏:社会学者)
 国家戦略を語ることは、まず徹底したリアリズムと、歴史的な深み、そしてできるだけ感情的にならずに、説得的になるようにすることが求められていると思います。そこらの自称「右翼」「保守」の人たちが、感情に任せて教条主義的に同じような台詞を発しているような駄文は「国家論」たりえるのでしょうか。また、自称「左翼」「リベラル」の人たちは、「国家」について語ること自体がナショナリズムだといっています。嗤うべしですよ。彼らの振りかざす「空想的平和主義」も、十分に国家戦略的なことを語っているのですから(でも「国家論」とは言えないなあ)。
 いずれ中国も台頭するでしょうし、中国を除くアジア諸国も中国に対抗すべく日本に同盟を求めているくらいですから、政治にしろ経済にしろアジア戦略の軸となるのはまず中国、そして北朝鮮なのかもしれません。米国に対する戦略を考えるにしても、対米追従を批判するならばそれに関する対案、それも感情的な対米追従論よりも説得的な対案を提案するべきだと思います。そのためにも、まず考えること。できるだけ他人の主張の受け売りを避けるようにしなければならないと思います。
 国内問題にしても、たかが「今時の若者」の「問題行動」に右往左往して、そこから「国家意識の喪失」だとか「偏狭なナショナリズムに踊らされる若者の激増」なんて罵倒してる場合じゃないのよ。ここで明らかにしておきますけれども、たとえば教育基本法の改正論や、宗教教育の是非に関して、熱心な賛成派と熱心な反対派の「青少年観」は驚くほど接近しているのですね。賛成派の論理は「「今時の若者」は国家意識や宗教観を喪失しているから、「問題行動」を起こす。これを阻止するためには国家意識や宗教観を涵養しなければならない」、反対派の論理は「「今時の若者」に国家意識や宗教観を涵養させる教育をすると、「問題行動」が激化し、偏狭なナショナリズムにつながる」。似てるでしょ。少なくとも「今時の若者」に関する偏った見方、という点においては。こんな「内戦」に反対する論理は、「今時の若者」という虚構それ自体を批判する問い方にしなければならないと思います。

 ン・ジュンマ(呉準磨)の備忘録:ローレンス・レッシグ「CODE」を読もうと思う(まだ読んでなかったのか!?)
 面白そうな団体のリンクがはってありました。今後の動向が注目されます。
 新政策機構「チームニッポン」
 代表は長野県知事の田中康夫氏だそうです。

 弁護士山口貴士大いに語る:ネット有害情報を阻止 都が青少年条例改正へ(弁護士:山口貴士氏)
 りゅうちゃんの日記:日本版ミーガン法をすぐには賛成できない理由
 先日(04年1月21日)のトラックバック雑記文において、私はメーガン法の制定に反対の立場を示しました。理由は、この事件は警察の初動が早かったか、あるいは犯罪者の更生システムが充実していれば十分に防げたから、と思っているからです。
 メーガン法を求める人も、メーガン法に反対しつつポルノメディア規制を求める人も、国家あるいは社会が強い態度で臨まなければ凶悪犯罪は防げない、というハードランディング的な考え方で共通しています。ならば、凶悪犯罪対策のソフトランディングとは何なのか、といえば、私は更生システムの充実化、そして社会政策の充実化だと思います。凶悪犯罪者が逮捕されて、その生い立ちを執拗に求めるのは、確かに必要かもしれませんが、たいていは枝葉末節をつくようなものでしかないのです。しかも、その「物語」構築において求められる「物語」が、今回の奈良女子児童誘拐殺人事件の如く「ロリコン」「フィギュア萌え族」(蛇足だが、小林薫容疑者が「オタク」だったという証拠、少なくとも秋葉原に出入りしていたという証拠はまったくない!)という、「あいつは俺たちとは違うんだ」というシナリオ、そうでなければ究極の呪文「心の闇」に傾きがちになるのですから、このように構築された「物語」が信用に足るものではない、ということは想像がつくでしょう。
 凶悪な性犯罪を防ぐための「第3の道」はソフトランディング的な主張になるべきでしょう。そのために、まず、更生システムの見直し(その文脈で厳罰化が議論されるのであればそれもかまわない)、警察の初動が早くなるような警察機構改革を私は求めます。
 そういえば、奈良女児誘拐殺人事件における、マスコミのオタクバッシングまとめサイトが、私の知らない間にずいぶん増えています。やはりオタクバッシングの中心となったのは大谷昭宏氏なのですね。
 しかし大谷氏の問題発言が見られるのは、何もオタクバッシングだけではありません。たとえば、最近公開した「成人式論は信用できるか・01」で、「通販生活」2005年1月号の成人式特集における大谷氏の発言を採り上げたのですが、ひどすぎます。そもそもこのような大谷氏の「若者論」における「歪み」に気づいたのが、「日本の論点2004」(文藝春秋)の「データファイル」で、「ネット心中」について採り上げられた部分において、大谷氏の主張が「強硬派」の主張として紹介されていましたが、その主張の骨子は「自殺系サイトを法規制しろ」というものでした。
 あれ?大谷氏は、黒田清(作家・故人)、本田靖春(作家・故人)両氏につながる、読売新聞OBのリベラル系ジャーナリストとして有名な人ではありませんでしたっけ?そんな大谷氏が、なんで「若者論」のときは国家に擦り寄って強硬派的な主張をするんだ?私のなぞは深まるばかりです。先日、「大谷昭宏は信用できるか」という文章を入稿しました。公開は今月末になると思います。

 蛇足。

 拙者、ギター侍じゃ…
 俺は大谷昭宏。メーガン法には反対だ。なぜなら…

 だけどみなさん、よく考えてみてくれませんか。性犯罪者の所在公表ということであれば、いまの日本でまず、まっ先にやらなければならないことは、この1月1日に社会復帰した神戸・須磨の連続児童殺傷事件の少年Aの住所氏名の公開ではないのか。
 いまの日本でそんなことをしたらどうなるか。近くに住む子どもを持つ親たちはパニックになるはずだ。近隣の幼稚園や保育園は間違いなく閉鎖になってしまう。
 あのオウム真理教(アーレフに改称)事件のときを思い出してほしい。直接、事件と関係ない幹部の娘が小学校に入学手続きをするというだけで地元はどんな騒ぎになったか。オウム信者らしい若者がマンションを借りたというだけで、地元の人は不寝番まで置いたではないか。
 いま少年Aの所在が公表されたら、おそらくこの男性の転入届けを受け付けた市長はリコールに発展するはずである。そんな日本の土壌、風土を考えたとき、やれ、メーガン法だなんて訴えるのがいかに空論かわかるというものである。
(日刊スポーツ・大阪エリア版「大谷昭宏フラッシュアップ」平成17年1月18日掲載)

 …って、言うじゃな~い…。

 でもアンタ、《そんな日本の土壌、風土》を乱用・悪用してオタクへの敵愾心を煽りまくりましたから!残念!!
 「青少年社会環境対策基本法は青少年を救わずメディアを殺す」斬り!!

 上のリンク先は、ジャーナリスト・坂本衛氏のサイトですから…。切腹!!!

 お知らせ。オンライン書店「bk1」で私の新作書評が公開されています。
 山室信一『キメラ 満洲国の肖像 増補版』(中公新書・2004年7月)
 title:建国のロマンと挫折
 宮台真司、宮崎哲弥『エイリアンズ』(インフォバーン・2004年11月)
 title:「よそ者」であるということ

 このサイトの右側の表示しております「参考サイト」に「奈良女児誘拐殺人事件における、マスコミのオタクバッシングまとめサイト」を追加しました。

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2004年12月31日 (金)

トラックバック雑記文・04年12月31日

 今年も残りわずかとなりました。ここで私の今年最後の雑記文です。

 私が朝起きたら、「やじうまプラス号外版」というテレビ番組(テレビ朝日系列。私の住んでいる地域では東日本放送)で、少年犯罪に関して、出席している「知識人」たちが侃々諤々の議論をしていたのですが、結局、そこらの「若者報道」を超える結論が出なかった。ま、所詮こんなもんでしょう、と思いましたが。少し古い記事になりますが、
 歯車党日記:ネットについていけないマスコミの姿を露呈する佐世保・小学生殺傷事件(石黒直樹氏:ライター)
 は、一読に値すると思います。とりあえず、「インターネット」とか「少年犯罪」に関する安易なイメージに逃げない、という努力が、マスコミには欠けているような気がします。無論、ここから逃げない人もいますけれども(「良識派」ですね)、このような人の文章になかなかお目にかかることができない、というのがわが国の少年犯罪報道、さらには若者報道の悲しいところであると思います。
 若者報道がらみで言ったら、社会学者の北田暁大氏の「試行空間」に掲載された、渋井哲也「大人が知らない小学生のどっぷり「ネット生活」」(「中央公論」2005年1月号)に関する評価も参考になります。あと、香山リカ、森健『ネット王子とケータイ姫』(中公新書ラクレ)も必読でしょう。

 少年犯罪報道で、常套句として使われる言葉の一つに「子供は大人社会の鏡である」という表現があります。木村剛氏のブログにもこのような記事があります。
 週刊!木村剛:子供は大人を映す鏡である(木村剛氏:エコノミスト)
 残念ながら、私はこのような言葉が大嫌いなのです。なぜかというと、このように「納得」してしまうことは、少年犯罪その他を「消費」する考えでしかないからです。また、これを言い換えれば、「子供」をスケープゴートにすることによって「社会」を糾弾する、というあまりにも反動的な策動が見え隠れします。
 木村氏がそうだとは言いませんが、このような言葉を平気で振りかざす人は「子供」のことにかんしてかなり歪んだ幻想を持っているように思えます。同時に、「子供は大人社会の鏡である」と言う人々は、なぜ社会のいいところが子供達に反映されないのでしょうか。無論、良いところは見えづらい、ということはあります。しかし、よいところも評価しないと、公平な評価、とはいえないのではないのでしょうか。
 これは新聞の投書欄にも見出すことができます。たとえば、一部の若年が不逞な態度を取ると「現代の若者の側面を垣間見た」だとか「こういうことが全国で起こっていると思うと恐ろしい」とかいった言葉がさも「お約束」の如く振りかざされます。逆にいいことがあると「こういう人は少ないが、…」「この殺伐とした時代に…」という言葉が必ず出てくる。このネガティヴさはいったいなんなのでしょうか。このような「大人」たちの思考態度も問題視すべきではないかと思います。
 蛇足ですが、「2004年・今年の1冊」でも採り上げた、東京大学大学院助教授の広田照幸氏の著書『教育』(岩波書店/思考のフロンティア・2004年5月)の文章を引用します。

 青少年の道徳教育をめぐる言説や制度は、「正しい人間」「より道徳的に価値の高い生き方」を社会的に定義する機能を果たす。それは成人を対象にした一般行政におけるよりもはるかに踏み込んで、人の生き方の序列付けを行うことになる。……青少年の道徳の問題に仮託してなされる議論は、むしろ社会全体における道徳的基準を再定立(略)する機能を果たす(それゆえ、「子供に道徳を押し付ける前に、まず大人が襟を正せ」という議論は、提示されている道徳的基準をそのまま社会全体で受け入れる危うさを持っている)。(74~75頁)

 少年犯罪に関する言論であれば、「ン・ジュンマ(呉準磨)の備忘録」に掲載された「やはり日本が「歴史の終わり」の先駆?」という文章のほうがかなり説得力があります。

 今年もいろいろありましたね。私が気になったことに関してほかのブログなどからの記事を集めてみました。
 天皇制をめぐる問題
 千人印の歩行器:天皇萌えの世紀?(栗山光司氏)
 MIYADAI.COM:「開かれた皇室」論者は自分が何を言っているのか分かっているのか(宮台真司氏:社会学者)
 「自己責任」バッシング(これに関する私の見解は、「統計学の常識、やってTRY!」に記されております)
 MIYADAI.COM:右翼思想からみた、自己責任バッシングの国辱ぶり
 性教育の問題
 試行空間:荒川から考える1(北田暁大氏:社会学者)

 評論家の福田和也氏が、著書『晴れ時々戦争いつも読書とシネマ』(新潮社)の中で、「年の終わりに往く人、来る人」なる文章を書いていたことがあります。「往く人」は「往ってほしい人」で、「来る人」は「来てほしい人」です。福田氏の文章では、「往く人」にスペースを使いすぎて、「来る人」を書くスペースがなくなってしまった、というオチでしたが、私なりに2004年の「往く人・来る人」のトップ3をあげてみるとこうなります。
 「往く人」第3位:海老沢勝二氏(NHK会長)
 海老沢“エビジョンイル”勝二氏はいかにして進退を決めるのでしょうか。
 第2位:荷宮和子氏(ライター)
 『なぜフェミニズムは没落したのか』(中公新書ラクレ)も、「相変わらず」でした。
 第1位:正高信男氏(京都大学霊長類研究所教授)
 この人の暴走を誰か止めてやれ…

 「来る人」第3位:イチロー氏(メジャーリーガー)
 第2位:田臥勇太氏(NBA選手)
 わが国のスポーツ界にも革命をもたらしそうですね。田臥氏は今後の活躍が期待されます。
 第1位:小沢一郎氏(元・民主党代表代行)
 やはり、民主党には小沢氏がいなくちゃ。

 11月に始まったこのブログで、今年私が書いた文章は以下の通りです(お知らせと、トラックバック雑記分を除く)。
 正高信男という病 -正高信男『ケータイを持ったサル』の誤りを糾す-
 「生物学的決定論」が蔓延する病理と、その病理を広めるマスコミについての断片的考察
 統計学の常識、やってTRY!
 正高信男という堕落
 2004年・今年の1冊
 2004年・今年の1曲
 私の今後の方向性としましては、現在「正高信男という頽廃」「再論・正高信男という病」「センセイ!荷宮和子はおやつに入りますか!?」「カウンセリングが俗流若者論と結託するとき~江原啓之という病」を執筆中です。また、来年の初めのほうには、なぜ私が「子供は社会の鏡である」という言葉が嫌いか、ということを論じた文章を掲載します。来年は、今年よりももっと若者報道に対するアンテナを立てていこうと思いますので、どうぞごひいきに。
 それでは、よいお年を!

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