2006年2月24日 (金)

トラックバック雑記文・06年02月24日

 今回のトラックバック:加野瀬未友/安原宏美/本田由紀/木村剛/「アキバの王に俺はなる!」/「冬枯れの街」/大竹文雄/「ニート・ひきこもり・失業 ポータルネット」/小林美佐/保坂展人

 始めに、このブログの右の「参考サイト」に「ジェンダーフリーとは」と、「深夜のシマネコ」を、また「おすすめブログ」に「保坂展人のどこどこ日記」と「成城トランスカレッジ!」を追加しました。

 少々考えさせられる記事が。
 ARTIFACT@ハテナ系:[個人サイト]はあちゅう氏の発言にみる「ブロガーの病」(加野瀬未友氏:オタク文化研究家)
 自戒を込めてトラックバックしておきます。というのも、加野瀬氏の問題提起が、ネット上で文章を書いているものにとっては避けて通ることのできない問題だからです。

 加野瀬氏は、以前のエントリー([個人サイト][教育]美少女革命家はあちゅう)で触れたある文章(私も「はてなブックマーク」で呆れてみせましたが)における極めて世俗的な「憂国」的な物言いに関して、「発言したい欲望」という言葉を用いて以下のように表現しております。

はあちゅう氏の発言からは、「発言したい欲望」によって、ただ単に突き動かされ、私はよく知らないんだけど何か言わなといけない!という衝動にかられているのを感じる。これも「ブログ」という場所があるからこそ加速している訳で、「ブロガーの病」だろう。

 この文章を読んで、ジャーナリストの日垣隆氏の著書『使えるレファ本150選』(ちくま新書)の、カバーに書かれてある紹介文を思い出しました。

 メールやブログなど、今やだれも「書く」時代だ。せっかく書いても、それが事実に反していたり、何の新味もなかったりしたら、説得力を失うばかりか、大恥をかきかねない。

 文章を書く以上、少なくとも相手を説得するために様々な資料を用いたり、あるいは反論に耐えうるような論理を搾り出したりと、ある程度の努力はしないといけない。少なくとも、勝ち馬に乗るような言論は控えたほうがいいのかもしれません。そのためにも、まずは多くの本や雑誌やサイトを読み、様々な言説に触れたほうがいいのでしょう。私もまだまだ修行が足りません。

 もう一つ、加野瀬氏の文章で気になったところが。

興味深いのは、使っている言葉は「国民」とか「国家」とか大文字なのに、社会問題の発生をすべて個人の内面にしてしまうところだ。だから、その内面を変える方法として「教育」が出てくるのだろう。もちろん、教育も必要だが、雇用問題などはすべてすっとばされてしまう。

 これは私が現在やっている仕事と深く関わってくるのですが(あるテーマに関する共著の本。4月か5月ごろには出版予定?)、「国民」とか「国家」という(空疎な)大文字は、ある意味では自らを高みにおいて、相手をバッシングするための方便になりえているのではないか、ということを、主として保守論壇の若者論を読んで思うわけです。私は、単なる私憤を「国家」と結び付けて、(自分の理想としての)「国家」に同一化しないからお前たちみたいなバカになるんだ!などといった具合にバッシングしてしまう行為はできるだけ避けたい。また、俗流若者論は、私憤がそのまま国家論や社会論につながっている感じが強い。

 この点でもっとも繋がりが強いのはやはりこれか。
 女子リベ:少年犯罪には先進国中一番厳しい日本(安原宏美氏:フリー編集者)
 浜井浩一氏(龍谷大学教授。過去に犯罪白書の執筆経験あり)が行なった調査に関する安原氏の感想です。

 さらに少年犯罪が注目である。
 参加先進国中、少年犯罪には厳罰をもって処すべしという態度は、堂々の1位という結果である。
 ようするに、犯罪にあう確率は少ないのに、大げさで、とくに少年が罪を犯したら、「許さ~ん!」と過剰反応してしまう国となっているのである。
 浜井教授の分析についてはとても興味深いのが、そちらは本稿をあたっていただきたい。
 しかし少年になぜそこまで厳しいのかというと、やはり90年代後半からの「少年犯罪」大ブームが大きいだろう。こちらの考察分析については、わたしが編集として関わらせていただいた芹沢一也さんの「ホラーハウス社会」に詳しいのでぜひそちらを見ていただきたい。

 とりあえず、ここで採り上げられている芹沢一也氏(京都造形芸術大学非常勤講師)の最新刊『ホラーハウス社会』(講談社+α新書)は、芹沢氏の前著『狂気と犯罪』(講談社+α新書)とあわせて必読です。

 少年犯罪の「凶悪化」が云々されるようになってから、そのような議論の高まりに比例して少年犯罪は本当は凶悪化していないのではないか、という議論も生まれました(例えば、広田照幸「メディアと「青少年凶悪化」幻想」(平成12年8月24日付朝日新聞/広田『教育には何ができないか』(春秋社)に収録)、宮崎哲弥、藤井誠二『少年の「罪と罰」論』(春秋社)、パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』(イースト・プレス)、小笠原喜康『議論のウソ』(講談社現代新書)、など)。ただ、いまだにマスコミにおいては「少年犯罪凶悪化論」が大手を振っており、「少年犯罪凶悪化幻想論」は、マスコミではせいぜいエクスキューズ程度に使われるか、あるいは専門的な雑誌や論壇誌に掲載される程度。新書でもいくらか出ているが、それらの本がベストセラーになったという声は余り聞かない(せいぜい『反社会学講座』くらい?)。「凶悪化論」が今なお平然とまかり通っているのは、「少年は自分の世代(中高年世代)よりも凶悪であって欲しい」という世論があるからではないか、とうがった見方をしてしまいたくなる。

 浜井氏に関しては、『犯罪統計入門』(日本評論社)という本が出ているので、こちらもチェックしてみる必要がありそうです。

もじれの日々:若者バッシングに抗う本(本田由紀氏:東京大学助教授)
 本田氏が採り上げている、社会学者の浅野智彦氏らによる『検証・若者の変貌』(勁草書房)という本は、平成4年と平成14年に若年層に行なったアンケートから、昨今の若年層バッシング――例えば、礼儀を知らない、とか、携帯電話に依存することで関係性が希薄化しているとか――は本当に正しいのか、ということを検証した良書です。できるだけ多くの人に買って読んで欲しいのですが、いかんせん値段が高い(税込み2520円)。ただし、買っておいて、更に座右に置いておいて決して損のない本です。
 また、最近買った本に関しては、政策研究大学院大学教授の岡本薫氏の『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)もお勧め。本書は、我が国における教育言説の海外との比較から、なぜわが国において「教育改革」が失敗したか、ということを検証した良書です。こちらは新書なので、値段も手頃(税込み756円)。

 更に、念願だった、赤塚行雄『青少年非行・犯罪史資料』全3巻(刊々堂出版社、1・2巻昭和57年、3巻昭和58年)もやっと手に入りました。問題は収納するスペースか…。
 とはいえ、今月の講談社現代新書の新刊で『他人を見下す若者たち』なる本が出ているからなぁ…。立ち読みでチェックした限りでは、とっとと浅野氏の本を読んで出直して来い、という代物だった。本格的にチェックしてみるか…。

 以前、ある人から、「このブログはテレビのことを採り上げない」と指摘されたことがありました。理由としては、私はテレビのニュースをあまり見ない、ということがあるのですが。

 週刊!木村剛:[ゴーログ]ニュースは作られているのか?(木村剛氏:エコノミスト)

 このエントリーを読んで、次のエントリーを思い出した。

 アキバの王に俺はなる!:子供、若者は大人の敵といったような番組を見て
 冬枯れの街:緊急大激論SP2006!“子供たちが危ない”って危ないのはあなたたちの妄想ですから!

 今月15日にTBS系列で放送された番組「緊急大激論SP2006!“子供たちが危ない”こんな日本に誰がした!?全国民に“喝”!! あなたは怒れますか?キレる子供…守れますか?こわれる子供」(つくづく長えタイトルだな)に関しては、上の2つのエントリーのほか、「2ちゃんねる」の大谷昭宏スレッド(私が2chで唯一覗いているスレッドで、現在は事実上オタクバッシング批判スレッド)と「DAIのゲーマーズルーム」を読んだのですが、いずれも評価は最悪だったなあ。私はとりあえずヴィデオに撮ってあるので、あまり乗り気ではないのですが、近いうちにチェックします。余りにひどいなら雑誌に抗議文を投稿するか。

 ただ、ジャーナリストの草薙厚子氏が、テレビで堂々と「ゲーム脳」を言った(らしい)ことにはやはり戦慄した。草薙氏に関しては、私の「子育て言説は「脅迫」であるべきなのか ~草薙厚子『子どもが壊れる家』が壊しているもの」をご参照あれ。

 新たなる問題発言登場…なのかな。

 大竹文雄のブログ:待ち組(大竹文雄氏:大阪大学教授)

 ニート・ひきこもり・失業 ポータルネット:待ち組?なんだそりゃ。
 ずいぶん前の話になってしまうのですが、小泉純一郎首相やら猪口邦子氏やらが「待ち組」なる変な言葉使ったことが批判されています。私は基本的に、大竹氏の以下の記述に賛成。

 でも、フリーターやニートの中には好んでそうなっている人もいるのも事実だが、大多数の人たちは、学校卒業時点の就職活動でうまく行かなかった人たちか、うまく行きそうにないとあきらめた人たちだ。あまりにも可能性が低かったり、何度も失敗が続くとやる気を失うのは自然ではないだろうか。就職氷河期に卒業した人たちは努力不足や挑戦しなかったというよりも、運が悪かったというべきだ。そういう人たちに「反省しろ」というのは酷ではないか。

 とりあえず、フリーターや若年無業者に対する、小泉首相や猪口氏の認識の甘さは批判されて然るべきでしょう。このような認識は、所詮はマスコミが面白がって取り上げたがるような、それこそ「働いたら負けかなと思ってる」(笑)に代表されるような「ベタ」な「ニート」像でしかないわけで。責任のある立場の人なのですから、もう少し勉強してください。

 オリンピック開催中ですが。
 ☆こばみ~だす~☆:☆おめでとう☆(小林美佐氏:声優)
 トリノ五輪で、日本勢の初めてのメダルとなったフィギュアスケートの荒川静香選手ですが、私の家で購読している読売新聞の宮城県版では、地方面で荒川氏の特集や荒川氏への応援メッセージが掲載されていたことがある。なぜなのか、と考えていたところ、どうやら荒川氏は東北高校の出身らしい。仙台のメディアが沸き立つのも無理はないか。

 この問題も見逃してはならない。
 保坂展人のどこどこ日記:共謀罪、ふたたび攻防が始まった(保坂展人氏:衆議院議員・社民党)

 今のところ我が国の政治は所謂「偽造メール」事件で紛糾中です。もちろんこの問題も悪くないのですが、共謀罪とか、少年法の改正とかにも、もう少し興味を持ってもいいのではないか、と思います。

 これからの予告ですが、少々忙しくて更新が停滞していたので、雑誌が大量にたまっております。そのため、「論座」平成18年3月号、「諸君!」平成18年3月号、「世界」平成18年3月号、「中央公論」平成18年2月号と3月号、「ユリイカ」平成18年2月号の「論壇私論」をこれから逐次公開していく予定です。

 最後に、平成18年2月24日付で「この「反若者論」がすごい!02・河北新報社説」に投稿されたコメントが、明らかに荒らしだったので削除しました。

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2005年4月21日 (木)

俗流若者論ケースファイル14・大谷昭宏

 ここ3回の「俗流若者論ケースファイル」は、検証した相手が東京都知事神奈川県知事、そして国会議員、と続いたので、少々肩に力が入りすぎてしまった。なので、今回は、少々肩の力を抜いて検証したい。

 今回採り上げるのは、このシリーズの第1回でも検証した、ジャーナリストの大谷昭宏氏である。大谷氏といったら、昨年暮れに起こった奈良県女子児童誘拐殺人事件において、犯人を「フィギュア萌え族」とプロファイリングをして、このような犯罪を犯す輩はたくさんいる、と不安をあおった。しかし、そのプロファイリングは間違いだった。それでも大谷氏はオタクの危険性をこれでもかこれでもかと煽りまくり、マスコミもまたオタク批判の論客として重用した。その結果、大谷氏の言動はますます暴走の度を増し、冷静な発言はついに見られなくなってしまったようだ。

 また、この事件に関する大谷氏の一連の発言は、大谷氏が現代の若年層に対して以下に歪んだ認識を持っているか、ということを証明する形となった。今回検証する文章もまた、大谷氏の若年層に対する狭隘な認識と、論理矛盾が目立つ文章である。その文章とは、大谷氏が連載を持っている「日刊スポーツ」の大阪版平成17年4月12日号に掲載された、「野球は子どもにいろんなことを教えてくれる」である。私は野球は嫌いではない。しかし、野球だけを特別視するのはどうか、と思う。

 ついでに言うと、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの言葉をもじって言えば、大谷氏の文章は「巨人は国家なり」ということになろうか。この文章を読んでいる限りでは、どうも野球の魅力は巨人しか持っていない、と大谷氏は考えているのだろうか、と首をひねってしまう。
 大谷氏は冒頭で、《先々週のサンデープロジェクト(テレビ朝日系)で「プロ野球を救う道とは…巨人代表に直撃」をやらせていただいたのだが、そのプロ野球改革元年のわりには、人気がどうもよくない》(大谷昭宏[2005]、以下、断りがないなら同様)と書くのだが、その証左として大谷氏が提示するのは、《今年から改革の一環として、いまさらながら各球場の観客数を実数か実数に近い数字で出すようになった。甲子園は相変わらず、すごいなと思うけど、例えば4月6日の巨人-横浜戦の横浜スタジアムは観客わずか1万3046人。この日のパリーグの日ハム-楽天、オリックス-ソフトバンクさえ下回っているのだ》ということなのだ。何だ、阪神戦やパ・リーグは結構人気があるではないか。どうやら大谷氏は、巨人の人気がプロ野球の人気だと思っているらしい。しかし、最近のプロ野球は、むしろ他球団が頑張っている感じがある。加えて、昨年の巨人は、前オーナーの渡邉恒雄氏に対する嫌悪感もつのったので、巨人戦の動員数や視聴率が落ちるのもある意味では当然であろう。しかし、この文章に対する批判は、これだけでいいだろう。本当に問題があるのは次の段落の文章だ。

 大谷氏曰く、《巨人のことばかり言っているのではない。少年の暗い事件ばかり取材して、子どもたちをテレビゲームからスポーツに引っ張り出せと言っている私としては、この現実が悲しいのだ。中でもやっぱり野球というスポーツの魅力を子どもたちに知ってほしい》と。これには笑ってしまった。大谷氏は《少年の暗い事件ばかり取材して、子どもたちをテレビゲームからスポーツに引っ張り出せと言っている私としては》と言っているのだが、結局のところ一連の不安扇動はスポーツの振興のためだったらしい。しかし、後で述べるけれども、スポーツの振興は、むしろ地域一体型で行なわれるべきで、ゲームばかりやってると犯罪者になるがスポーツがそれを救ってくれる、という妄想の下子供たちを無理やり引っ張り出す、ということは、かえってスポーツの魅力を減衰させることになりはしまいか。必要なのは環境の整備である。

 さて、先ほど環境の整備と言ったが、最近になってそれは急速に絶望的になりつつある。なぜなら、今年3月、宮城県(!)で、キャッチボールをしていた小学生が、誤って暴投をして関係ない別の小学生に当たってしまい、しかも不幸にも息絶えてしまった、ということに関して、仙台地裁が小学生は自分のボールが他の人に当たってその人が息絶えることは十分予測できたはずだ、という判決を下し、さらには親に子供の監視責任を強調した。これでは、子供がキャッチボールすらできなくなる判決だ、と言っても仕方ないではないか。そうでなくとも、最近の公園には、多くの禁止事項が設定されており、子供たちが自由に遊べる自由を「安全」の大義の下に奪っているのである。しかも、例えば横浜市長の中田宏氏や、それに追従した神奈川県知事の松沢成文氏のように、子供の行為に関する全責任を親に負わせる、という倒錯した青少年政策が注目を集める昨今において、子供の真に健全なる育成を願うのが無理だというものだろう。

 それにしても、大谷氏はどうしてゲームを無条件に「悪」と仕立て上げるのだろうか。結局のところ、現在のように《少年の暗い事件》ばかり起こるのはゲームのせいだ、と一足飛びに考えているからだろう。ちなみに、ゲームの登場以前に起こった、現在の少年犯罪に比べて極度に残酷な事件は枚挙に暇がない。

 大谷氏は、《当然、この夜(筆者注:4月2日、中日が5対4で広島を逆転で破った試合)のヒーローは高橋(筆者注:中日の高橋光信選手。高橋氏はこの日の試合に大だとして出場して、逆転のホームランを打った)だ。だけど、代走に英智を送った監督、その期待に応えて、大魔神をゆさぶってまっすぐしか放れないように追い込んだ英智。そんな陰の力があってこその高橋のホームランなのだ。こんな裏方ががんばるチームプレーを子どもたちに知ってほしい》と言っているけれども、他のスポーツ、例えばサッカーではどうして駄目なのだろうか。同様のドラマティックな状況は、サッカー他のスポーツでもでも十分に考えられる。余談になるが、《こんな裏方ががんばるチームプレー》に関しては、昨年のアテネ五輪の際には、かなり報じられた記憶がある(例えばレスリングの浜口京子選手とか)。結局のところ、大谷氏が野球に強い思い入れがあるからこそ、野球を選んだのであろう。

 私は、ここで大谷氏が野球を特別視していることを問題視したいわけではない。むしろ大谷氏の、保守反動的でハードランディング的な青少年観を問いたいのである。この文章などまだ可愛いほうで、このシリーズの第1回でも採り上げたオタクに対する強硬論は言わずもがな、例えば「ネット心中」に関しても、それに手を貸した者も厳罰に処せ、と、青少年問題「だけ」に関しては大谷氏は過激な発言が目立つのである(ちなみに、大谷氏の青少年問題に関する発言は、大谷氏のジャーナリズム観に真っ向から相反するものもある)。

 筑紫哲也氏を批判したときにも触れたが、大谷氏のように反骨で腕を鳴らしてきたジャーナリストでさえも、俗流若者論によって「右」と「左」が糾合されてしまう、という倒錯した言論状況が、我が国にはある。彼らは共通して、ゲームだとか携帯電話だとかインターネットだとか、あるいは「今風の」子育てだとかいったものが子供たちの「内面」を破壊し、それによって少年犯罪や「問題行動」が発生する、と主張する。しかし、青少年の「内面」を敵視する言説は、結局のところその「内面」を「正す」ための施策、例えば「正しい」子育てを行政が規定して、それに合わないものを「危険だ」と喧伝することなどを正当化する。これらの俗流若者論に対抗する言説は、青少年問題を「内面」だとか「心」の問題としてとらえることの危うさを指摘することであろう。

 このような「酒場の愚痴」レヴェルの記事を書いて、何になるのであろう。大谷氏に求められているのは、この程度の言論ではないはずだ。

 ちなみにスポーツの振興策についても言っておく。スポーツ、特にプロ野球の振興策として最も適切なのは、地域との関係を強めることだろう。私がその手段の一つとして考えていることは、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークス、そして東北楽天ゴールデンイーグルスに関しては、通常なら「日本ハム」「ロッテ」「ソフトバンク」「楽天」と表記するところを、「北海道」「千葉」「福岡」「東北」と表記することである。というのも、これらの4チームに関しては、1つの都市に1つしか球団がないからである(ちなみに広島東洋カープと中日ドラゴンズも同様だが、これらの球団に関しては「広島」「中日」という表記が定着しているのでこのままでいい)。スポーツジャーナリストの二宮清純氏は、エコノミストの木村剛氏との対談で、《横浜大洋ホエールズが買収された当初、マルハベイスターズで行こうという案もありました。ところがマルハのオーナーが偉かったのは「マルハと言っても通じないが、横浜というブランドは世界の人がみんな知っている」と言って、横浜ベイスターズにしたのです。……横浜ベイスターズだから、みんなが盛り上がれた。西武ライオンズだって、もし「埼玉ライオンズ」にしたら観客は倍入りますよ》(この段落に関しては全て、木村剛、二宮清純[2004])と話しているが、それとやり方は違うが同じ考え方である。二宮氏は《お客さんが入りやすい環境を整えることは経営者の仕事のはずです》と述べているけれども、私はそれと同時にマスコミの仕事でもあると思う。

 いずれにせよ、スポーツを「市民の祭り」にすることこそ、スポーツ振興策の最大の手段であろう。ここで「市民の祭り」と表記したのは、そのスポーツチームの存在意義を企業の資金よりも市民の信頼に重点を置かせるべきだ、と考えているからである。市民の信頼が高まれば、企業、特に地元企業も出資しやすいだろう。子供たちにスポーツの魅力を感じさせるのも、市民の信頼があればこそである。必要なのは環境の整備だ。青少年「対策」としてのスポーツは、その「内面」への働きかけを強調するあまり、技能の鍛錬とは別のところで大きな問題が起こる可能性がある(例えば、学校生活を息苦しいものにさせてしまったりとか)。

 スポーツを青少年「対策」から自由にさせるべき。そこから、スポーツの魅力を子供たちに感じさせることは始まる。

 参考文献・資料
 大谷昭宏[2005]
 大谷昭宏「野球は子どもたちにいろんなことを教えてくれる」=「日刊スポーツ」大阪版2005年4月12日号、日刊スポーツ新聞社
 木村剛、二宮清純[2004]
 木村剛、二宮清純「プロ野球は面白くて、儲かるビジネスだ」=木村剛『月刊!木村剛Vol.3』Kfi、2004年12月

 日垣隆『世間のウソ』新潮新書、2005年1月
 広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社現代新書、1999年4月

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