2005年12月31日 (土)

2005年・今年の1曲

 筆者が2005年に買ったCDの中でもとりわけ私の印象に残った曲を紹介します。今回は、
 FictionJunction YUUKA「暁の車」作詞・作曲:梶浦由記
 FictionJunction YUUKA「焔の扉」作詞・作曲:梶浦由記
 以上を推薦します。
 なお、「2005年下半期の1曲」は、もう少しお待ちください。

――――――――――――――――――――

 「暁の車」は、私が「俗流若者論ケースファイル」という連載を始める直前に買ったCDであり、当初は梶浦由記氏(作曲家)が南里侑香氏(声優)をプロデュースする「FictionJunction YUUKA」の曲であるということと、またCDの売上が高かったことから買ったものである。そして、この曲を聴いてから、この曲は、私が若者論批判を書くときに最初に聞く曲となっている。なぜなら、この曲の持っているイメージが、俗流若者論の奈落へ落ちていく者たちに捧げる挽歌として、私のイメージと合致するからである。

 「暁の車」の世界観は、どこかへ――おそらく戦地であろう――赴く人を、おそらくその人と付き合いのある女性や子供が必死で引き止めるが、それがかなわぬ夢である、ということである。また、タイトルに「暁」という文字が入っていたり、あるいは「オレンジの花びら」とか「燃えさかる車輪」などという表現が使われている通り、時間帯は日暮れ時であろう。しかし、この日暮れという時間設定と、歌詞の持つ悲壮感、そして南里氏のヴォーカルが、この曲に壮大なイメージを与えて、感慨深い味わいを持たせている。

 この曲を俗流若者論の奈落へ落ちていくものたちに捧げる挽歌として私の活動と重ね合わせたのも、基本的には良心的な書き手ですら、いざ若者論となると急に偏狭な認識をあらわにして、暴論を振りかざすことが往々にしてあったからである。私にとって、そのような行為は、書き手の信頼性を失わせるものであると考えているし、そうなってしまうことは極めて悲しいことだからである。

 「焔の扉」は、こちらは希望の失われた大地から、新しい希望を手に入れるために旅立つという曲であり、始まりを予見させる曲である。「暁の車」が葬送の曲であるなら、「焔の扉」は旅立ちの曲であるかもしれない。しかし「焔の扉」からも、旅立つ者の決意と同時に不安を感じさせるイメージが惹起される。例えば「悲しみよ今は静かに/私を見守って」や「嘆きの大地に赤い雨は降り注ぐ」という部分がそれにあたる。しかしそれを必死になって拭い去ろうという気概もまた垣間見える。

 いずれも、極めて壮大な世界観を歌いきった曲である。是非聞いて欲しい。それにしても、アルバムが欲しい。予算の都合で買えなかった…。

――――――――――――――――――――

 2005年・アルバム15枚
 1:tiaraway「TWO:LEAF」サイトロンディスク、2005年1月

 2:岡崎律子「Love & Life -private works 1999-2001-」ユニバーサルミュージック、2005年5月

 3:KOTOKO「硝子の靡風」ジェネオンエンターテインメント、2005年6月

 4:皆川純子「アイコトバ」キングレコード、2005年4月

 5:小森まなみ「Ride on Wave」インターチャネル、2005年7月

 6:折笠富美子「Flower」ジェネオンエンターテインメント、2005年9月

 7:高橋直純「scene ~残したい風景~」リアライズレコード、2005年8月

 8:金月真美「たからもの」コナミメディアエンターテインメント、2004年12月

 9:國府田マリ子「メトロノーム」キングレコード、2005年2月

 10:笠原弘子「H.K」ジェネオンエンターテインメント、2005年9月

 11:佐藤利奈「空色のリボン」フロンティアワークス、2005年3月

 12:浅野真澄「happyend」コロムビアミュージックエンターテインメント、2005年8月

 13:野川さくら「Cherries」ランティス、2005年8月

 14:桑島法子「純色brilliant」ビクターエンターテインメント、2005年12月

 15:田村ゆかり「琥珀の詩、ひとひら」コナミメディアエンターテインメント、2005年3月

 2005年・シングル収録曲15曲(上記のアルバムに収録されている曲は除く)
 1:FictionJunction YUUKA「暁の車」作詞・作曲:梶浦由記/FictionJunction YUUKA「暁の車」ビクターエンターテインメント、2004年9月
 ※アニメ「機動戦士ガンダムSEED」挿入歌

 2:水樹奈々「ETERNAL BLAZE」作詞:水樹奈々、作曲:上松範康/水樹奈々「ETERNAL BLAZE」キングレコード、2005年10月
 ※アニメ「魔法少女リリカルなのはA's」オープニングテーマ

 3:FictionJunction YUUKA「焔の扉」作詞・作曲:梶浦由記/FiceionJunction YUUKA「焔の扉」ビクターエンターテインメント、2005年9月
 ※アニメ「機動戦士ガンダムSEED Destiny」挿入歌

 4:angela「YOU GET TO BURNING」作詞:有森聡美、作曲:大森俊之/angela「YOU GET TO BURNING」キングレコード、2005年9月
 ※アニメ「機動戦艦ナデシコ」オープニングテーマのカヴァー

 5:angela「DEAD SET」作詞:atsuko、作曲:KATSU、atsuko/angela「DEAD SET」キングレコード、2005年8月
 ※アニメ「蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT」イメージソング

 6:angela「Peace of mind」作詞:atsuko、作曲:KATSU、atsuko/angela「Peace of mind」キングレコード、2005年12月
 ※アニメ「蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT」テーマソング

 7:米倉千尋「僕のスピードで」作詞・作曲:米倉千尋/米倉千尋「僕のスピードで」キングレコード、2005年2月
 「2005年上半期の1曲」参照。
 ※アニメ「まほらば ~Heartful days~」エンディングテーマ

 8:メロキュア「ホーム&アウェイ」作詞・作曲:日向めぐみ/メロキュア/井上喜久子「ホーム&アウェイ」コロムビアミュージックエンターテインメント、2005年7月
 ※アニメ「奥さまは魔法少女」オープニングテーマ

 9:angela「未来とゆう名の答え」作詞:atsuko、作曲:KATSU、atsuko/angela「未来とゆう名の答え」キングレコード、2005年1月
 ※アニメ「JINKI:EXTEND」エンディングテーマ

 10:水樹奈々「WILD EYES」作詞:水樹奈々、作曲:飯田高広/水樹奈々「WILD EYES」キングレコード、2005年5月
 ※アニメ「バジリスク ~甲賀忍法帖~」エンディングテーマ

 11:愛内里菜、石田燿子、近江知永、奥井雅美、影山ヒロノブ、can/goo、栗林みな実、下川みくに、JAM Project、鈴木達央、高橋直純、水樹奈々、unicorn table、米倉千尋「ONENESS」作詞・作曲:奥井雅美/愛内里菜、他「ONENESS」ワンネスプロジェクト、2005年5月
 ※「Animelo Summer Live 2005 -THE BRIDGE-」テーマソング/アニメイト限定発売

 12:田村ゆかり「Spiritual Garden」作詞:三井ゆきこ、作曲:太田雅友/田村ゆかり「Spiritual  Garden」コナミメディアエンターテインメント、2005年10月
 ※アニメ「魔法少女リリカルなのはA's」エンディングテーマ

 13:折笠富美子、他「黄色いバカンス featuring 片桐姫子」作詞:斉藤謙策、作曲:河合英嗣/折笠富美子、他「黄色いバカンス」2005年8月、キングレコード
 ※アニメ「ぱにぽにだっしゅ!」オープニングテーマ

 14:石田燿子「OPEN YOUR MIND ~小さな羽根ひろげて~」作詞:石田燿子、作曲:田中公平/石田燿子「OPEN YOUR MIND ~小さな羽根ひろげて~」ジェネオンエンターテインメント、2005年1月
 ※アニメ「ああっ女神さまっ」オープニングテーマ

 15:高橋広樹「BE YOURSELF」作詞:池田森、作曲:高橋広樹/高橋広樹「BE YOURSELF」インターチャネル、2005年4月
 ※文化放送ラジオ番組「BE YOURSELF」オープニングテーマ

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2005年9月11日 (日)

トラックバック雑記文・05年09月11日

 ひとみの日々:うた(生天目仁美氏:声優)
 生天目氏は、カラオケでアニメのキャラクターソングを歌ったそうですが、最近の音楽のヒットの動向において、確かにアニメ関係の楽曲は台頭しつつあります。最近では、生天目氏のケースもそうですが、カラオケでアニメや声優関連の楽曲を取り扱うところも増えているようで。

 さて、このブログの読者で、アニメのキャラクターソングをよく聴く人は、それをキャラクターの歌として楽しんでおりますか?それとも声優の歌として楽しんでおりますか?私は声優の歌として楽しんでおりますが、キャラクターソングというのはそういったインタラクティヴな楽しみ方ができるという独特の魅力があります。もちろんキャラクターの歌として楽しむ場合はそのキャラクターについて知っていなければなりませんけれども。

 ただ、我が国におけるアニメなどのインタラクティヴ・カルチュアに関して、堀田純司『萌え萌えジャパン』(講談社)にもあるとおり《キャラクター表現について国家レベルでは振興、地方自治体レベルではむしろ規制、とねじれが存在するように感じる》(堀田前掲書、319ページ)という現実があるのですけれども、所詮国家や財界がキャラクター表現について振興しているのはただ「カネ」と「チカラ」が欲しいだけ。その2つがなくなると大抵は規制派になる。その証拠がこれだ。

 kitanoのアレ:おたくのための選挙資料(3):コミック撲滅法制化請願参加議員(1)
 「各党マニフェストにおける青少年認識/対策」という文章を公開しましたが、その中で自民党と民主党と共産党はマニフェストに「青少年の健全育成」または「有害情報の規制」を明記している(特に力を記述しているのはなぜか共産党)ということを紹介しました。で、「kitanoのアレ」で紹介されているのは、ポルノコミック規制の法制化を求める署名に参加した人たちです。まあ、自民党の偉い人たち(河村建夫とか町村信孝とか村田吉隆とか中山成彬とか森善朗とか)は予想通りですが(蛇足ですが、東北ブロックの自民党比例代表候補に関しては、表現規制推進で、知的財産政策を財界の立場だけから推進する高村派議員が多いから気をつけましょう!)、何で鳩山由紀夫(自民党)とか土井たか子(社民党)までいるんだ!!!

 所詮は、誰が政権についても所詮最強の政権維持装置は「若者論」なのでしょうか。結局は自分の「理解できない」ものに対する敵愾心を煽り立てることによって票を獲得し、ポピュリズム的な人気の下で規制を推し進める…、って、いつも言っていることですけれども、とりあえず言えることは、「今時の若者」を「消費」する社会構造が存在する限り、たとい若年層の投票率が上がったとしても、若年層を敵視するような政策が行なわれる行なわれないようになる(9月11日0時56分訂正)のは難しい。

 故に、このような考え方は、極めて楽観的に私には見えるのです。

 もじれの日々:フリーター・ニートは投票を(2)(本田由紀氏:東京大学助教授)
 本田氏曰く、

もちろん、フリーター・ニートを含む若者にとって、現在提示されている選択肢はいずれも満足のゆかないものだろう。政党政治という集団主義そのものへの拒否反応もあるだろう。しかし、それらについては何とか妥協してもらいたい。政治が若者やその中での経済的弱者にこびざるをえなくなるような流れを作り出すためには、まず彼らに「どっこらしょ、仕方ねえな」と動き出してもらうしかないのだ。

 果たしてそうなのでしょうか?本田氏は、結局のところ若年層の社会的な地位が向上しないのは、やはり若年層が主張しないからだ、といっているようにしか見えないのですが。しかしこれには異見があります。というのも、我が国にとって、もはや若年層は、既得権を持っている層(中高年)に比して、マスコミにとっても政治にとっても取るに足らない存在です。たとい若年層が投票行動に出ても、やはり若年層よりも数的に多い既得権層を向いた政策を採用したほうが票になるでしょう。

 私は、青少年に関わる問題の解決のためには、まず中高年層の意識を変えるべきだ、と考えております。現在の、中高年層を中心とする政治や言論の構造は、若年層を「理解できない他者」=「敵」と見なし、それに対する敵愾心を煽ることによって若年層を「消費」する、いわばカーニヴァル的な構造ですが、若者論という言論体系がそのようなカーニヴァル的な構造にどっぷりと浸かっている限り、若年層に対する手厚い政策は「甘え」と見なされてしまう、それがいかに適切であっても。それは新聞や雑誌におけるフリーターや若年無業者の記事を読めば明らかでしょう。これらの記事は(特に「Yomiuri Weekly」平成17年8月14日号の巻頭特集の論調が典型的です。詳しくは「俗流若者論ケースファイル43・奥田祥子&高畑基宏」を参照されたし)書籍や研究で展開されている論調は、全てフリーターだろうが「ひきこもり」だろうが若年無業者だろうが全ては「甘え」であり、そいつらをたたき出さなければならない、という論調、あるいはそいつらは戦後民主主義の鬼子である、みたいな論調ばかり。かつての我が国が、国家的な一体感から「鬼畜米英」を叫んだのと同様、現在の我が国は「鬼畜青少年」と叫んでおります。山本七平氏がこの状況を見たら、さぞかし墓の中で身もだえするのは間違いなかろう。

 「今時の若者」が憎い権力者の皆様、だったら我が国、あるいは自分の自治体をニュージーランドに併合してみてはいかがですか?

 性犯罪報道と『オタク叩き』検証:神奈川県ニュージーランド化計画(悪い意味で)
 松沢成文・神奈川県知事に朗報。神奈川県をニュージーランドと併合したら、これほどいいことがありますよ!

 ・ラグビーが盛ん(筆者注:松沢氏は個人的にラグビーが好きなので)
 ・『残虐ゲーム』や、直接的な描写がなくても『ロリエロ』とみなされたアニメは発禁処分

 でも、ニュージーランドにおける性犯罪の発生率は我が国に比して格段に高い。どういうわけだろう。

 こういう文章を読んでいると、近頃喧伝されている「安全神話の崩壊」なる神話が、特定の階層による凶悪犯罪の喧伝に過ぎないことがよくわかってきますね。特に少年犯罪に関して言うと、「酒鬼薔薇聖斗」事件以降から少年犯罪の発生件数に比して報道の数のほうが多くなってしまった、ということも聞きますし(「潮」平成16年12月号)。社会の「現実」を冷静に見つめることのできる人は決して少なくないのですが、そのような人たちは学問の狭い領域でひっそりと書いているだけになってしまうのでしょうか。我が国の若者論という名のカーニヴァル、病理は極めて深し。

 千人印の歩行器:[時事編]赤であれ青であれみんなで渡れば怖い!(栗山光司氏)
 「みんなで渡れば怖い」、そういう感覚を大事にしていきたい。物事はできるだけ自分の判断で突き進んでいきたい。たといそれが「善行」であったとしても、暴走すれば直ちに「悪行」に転じてしまう恐れがある。この文章は、現在の政治状況・社会状況を考える上で、もっとも示唆に富んでいる文章であります。

 ところで、また新書の棚からきな臭い匂いがしてきました。中公新書ラクレから、『進化しすぎた日本人』なる本が最新刊として出ているのですが(ちなみに著者は「サル学の権威」だそうですよ…。出版事情から言って、正高信男の所論に反することはまず書けないだろうね)、帯にまたぞろ「ひきこもる若者」「子離れできない親」なんて書いてやがる。ふざけんな。

 オイコラ中公!おまえら、この2つを帯に書いた本はこれで何冊目だと思ってるんだよ!俺の知ってる限りでは、いずれも俺がトンデモ本と認定した、正高信男『ケータイを持ったサル』(中公新書)と、矢幡洋『自分で決められない人たち』(中公新書ラクレ)の、少なくとも2冊の帯にこの文句が使われている(詳しくはbk1を。正高本に関してはこちら、矢幡本に関してはこちら)。そうゆう、「今時の若者」=「甘え」みたいな俗情に媚びた本ばかり出すのはいい加減にしろよ!

 とまあ怒ってしまったのですけれども、実は私はこの本をある程度立ち読みしたのですが、こと子育ての部分に関しては、生物学的に考えて現代の子育ては「異常」である、見たいな書き方を連ねていましたので、こういう言い方をさせてもらいました。特に社会学的な考え方に対する無知が痛かった。でもしっかりと読んだわけではないので、近いうちに読み込んでみます。

 そういえば、マガジンハウスの「ダ・ヴィンチ」という雑誌で見たのですが、精神科医の香山リカ氏も『いまどきの「常識」』という本を岩波新書の新刊として出すらしいです。これも少々注視しなければならない。香山氏は最近になって、例えば『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ)に代表されるような心理学主義的な俗流若者論にも手を染めており、果たしてその路線を引き継ぐものになるのか、動向が注目されるところ。

 たとい自然科学や心理学の分野で優れた研究者が自分の専攻している学問でもって社会を「分析」しようとしても社会学的なセンスがなければ適切なバランス感覚を失って安易なアナロジー、更に言えばレイシズムに陥ってしまう。理系のものにとっての社会学というのは、自分の学問領域に閉じこもらないで社会との接点やバランスを確保していく上で貴重なものであると私は考えます。これは私が大学で学んでいる建築という分野が(土木もそうですけど)他の工学に比して社会学を支えにしなければならない分野が大きい、ということも関連しているかもしれません。

 保坂展人のどこどこ日記:劇場(バーチャル)から現実(リアル)へ(保坂展人氏:元衆議院議員・社民党)
 週刊!木村剛:[ゴーログ]山本一太議員は公職選挙法違反か?(木村剛氏:エコノミスト)

 さて、総選挙が迫ってきました。しかし木村剛氏のブログを始め、ネットの一部で話題になっているのが選挙期間中におけるブログ更新の是非。一応、一般的な公職選挙法の解釈によれば、ウェブサイトやブログも公選法における「文書図画」に該当するようなのでいけないようなのですが…。インターネット時代だから、こういうことをきっちりと議論してもいいのではないかと思いますがね。

 とりあえず私の主張としては、ポスターで「政策」を売り込むためには、ポスターにウェブサイトのアドレスを掲載することに尽きると思います。でもそのためには、選挙期間中のウェブサイトでの政治行動が許されなければならないのですが。

 カマヤンの虚業日記:[選挙]「オタクちゃんねる2」停止の件、その他
 kitanoのアレ:テレビ局上層部から民主党攻撃命令?
 とりあえず、マスコミやプロバイダに圧力をかけない限り維持できない、あるいはマスコミやプロバイダが媚びなければ維持できない政権党というのは、終わったな、と。

 選挙に際して、以下の文章を読んでおくことをお勧めします。
 「kitanoのアレ
 「FrontPage -Game and Politic-
 このブログから「各党マニフェストにおける青少年認識/対策

 さて、読者の皆様にお知らせですが、私は、今月11日の夜から16日の午前にかけて、東京と名古屋に行ってまいります。そのため、ブログの更新ができなくなります。ご了承ください。

 ただ、旅行期間中に、映画のマスコミ試写会に参加してきたり、あるいは万博を見てきたりと、いろいろ動きますので、何か思うところがあれば文章を書こうかと思います(ただし、17日から18日にかけて、親戚の結婚式に参加するため盛岡に行ってくるので、その期間中も更新できませんが)。

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2005年8月21日 (日)

俗流若者論ケースファイル62・藤原正彦

 現代の我が国におけるナショナリズムを支えている最大の基盤は俗流若者論である。俗流若者論において、マスコミが問題にしたがる「今時の若者」の「問題行動」を鬼の首でもとったの如き採り上げては、彼らを「国家」の喪失した存在とかいったレトリックで罵り、教育で愛国心を教えよ、とか日本人の歴史や言葉を取り戻せ、といった飛躍した論理が見られるのは最近ではもはや日常茶飯事である。とりわけ数学者の藤原正彦氏はその典型であろう。というわけで、今回検証するのは、藤原氏の文章「数学者の国語教育絶対論」(「文藝春秋」平成15年3月号に収録)である。藤原氏のこの文章を検証することは、現代の我が国、特に俗流若者論において「日本語」がどのようなスタンスでもって用いられているか、ということを検証するためにも大変重要だと私は思うが、それに関してはこの文章の終盤で述べていこう。

 まずは藤原氏の事実認識から検証していきたい。この部分にも、藤原氏のナショナリズム的に潤色された事実誤認がいろいろあふれ出しているのである。例えば藤原氏は最初のほう(179ページ上段)において《世界一といわれた治安のよさも失われた。正業につかず勝手気儘に生きる若者が増加し、恐るべき援助交際や少年非行に加え、金銭にからむ不正が政官財民に蔓延するなど、国民一般の道徳も地に堕ちた》(藤原正彦[2003]、以下、断りがないなら同様)と言って、《教育を立て直すこと意外に、この国を立て直すことは無理である》《教育の質はそれを受けた者の質を見ればたちどころにわかる。大学生を見れば質の低下は著しい》(共に179ページ後半)と書く。しかし、例えば《世界一といわれた治安のよさ》=所謂「安全神話」に関しては、例えば少年による凶悪犯罪は昭和35年ごろと比して大幅に減少しているとか、また検挙率に関しても最近になって警察の被害届けの取り扱いが変わったことによるものが大きいし、諸外国に比べれば我が国の犯罪率は極めて低い水準を保っている。特に諸外国に比して我が国の20代が殺人をしでかす割合は極めて低く、総体として見れば「治安が悪化している」という言説がかえって人々の治安に対する不安を更に高めているということが見抜ける。更に藤原氏は《正業につかず勝手気儘に生きる若者が増加》と語っているけれども、これはフリーターを指しているのだろうが、あくまでフリーターは社会構造の問題から切り離せなくなっているし、《国民一般の道徳も地に堕ちた》とは言われているけれども、そう見えるのはそれまで経済成長が全てを隠蔽してくれたからであろう。さらに《大学生を見れば質の低下は著しい》と藤原氏は書いているけれども、このような主観から安易に教育の「劣化」を語らないというのが物書きとしての良心であろう。

 また藤原氏は《国語が思考そのものと深く関わっている》(180ページ)と語っているけれども、これに関しては別段異論はないどころか、大いに賛同する。しかし藤原氏のこの文章は、藤原氏の思考力が「それほどのものでしかない」ことを如実に表しているかのごとき表現もまた頻出する。例えば藤原氏は183ページ下段において、《高次の情緒には、なつかしさ、という情緒もある。人口の都市集中が進み、故郷をもたない人々が増える中で、この情緒も教えにくくなっている》と藤原氏は書くけれども、では《なつかしさ、という情緒》は藤原氏の言うところの《故郷》でしか育たないのだろうか。この文章を読んでみる限り、藤原氏の言うところの《故郷》とは、都市とはまた対比されるべきものであると捉えられるかもしれないが、例えば私は物心ついてから2回ほど引越しをしたことがあるけれども、全て郊外の団地であった。しかし今では小学生や中学生の頃の想い出、更には高校生の頃、更に最近では成人式実行委員会として活動したときの想い出が今でも懐かしく思い出される。藤原氏の論理に従えば私はずっと《なつかしさ、という情緒》を持つことができない、ということになるはずだが。藤原氏はもうちょっと広義の「故郷」というものに眼を向けるべきではないか。また藤原氏は185ページ下段において《脳の九割の内容を利害得失で閉められるのは止むを得ないとして、残りの一割の内容でスケールが決まる。ここまで利害損失では救われない。/ここを美しい情緒で埋めるのである。……もし官僚のう脳の一部に、もののあはれが農耕にあれば、その判断は時に利害を離れることもありうる》と書いている。しかしそのような文章の直後にこのような文章が続いていると一気に落胆してしまう。曰く、

 たとえば日本の農業を考えるとき、経済的には外国から安い農産物を自由に輸入することが最善としてもすぐにそういう決断しないかも知れない。農業の疲弊は田園の疲弊であり、美しい自然の喪失である。もののあはれは、四季の変化にめぐまれた日本の繊細で美しい自然によりはぐくまれるものだから、この情緒も衰退するであろう。世界に誇るこの情緒は日本文化の淵源であり、経済上の理由で大きく傷つけてよいものだろうか、と反問するに違いない。……

 一般的な解釈では、これもまた《利害損失》というべきものではないのだろうか。藤原氏が《利害損失》=経済的な利害損失としか考えていないとしたら、それこそ藤原氏の思考の貧困さが出ている文章といえよう、先ほどの《故郷》と同じように。

 さて、藤原氏は《祖国とは国語である》(186頁下段)と考えているらしい。これは確かに正しいのであるが、もう少し踏み込んだ説明するならば国語(言語)とは自分の所属している共同体に対する帰属意識を確認するための記号である。何も所謂「ギャル文字」「2ch言葉」みたいな極端な例を表さなくとも、例えば声優の野川さくら氏と野川氏のファンのやり取りを見てもそれを垣間見ることができる。基本的にこの場におけるやり取りはごく普通の日本語によって行なわれるけれども、例えばその中でさりげなく野川氏を中心とするコミュニティを象徴する言葉、すなわち「おはよう」とか「こんにちは」を意味する「にゃっほ~♪」などという言葉が入ったとき、そこにおけるコミュニティが野川氏を中心とするコミュニティであることが表される。他にも声優のラジオ番組などを聴いていれば、このような日常とは違う言語表現が少しだけ入ることによってそのコミュニティの特徴が表されるような言葉は時々見かけることができる(堀江由衣氏のラジオにおける「こんばんてん」という挨拶なども然り)。数学には数学の言語が、建築学には建築学の言語が日常言語と並立して置かれ、日常言語とは違ったコミュニティ独特の言語が日常言語の中にさりげなく組み込まれることによってコミュニティの特性が表される、ということは少し探せばたくさん見つかる。

 さて、このあたりで藤原氏流の《祖国とは国語である》という論理の危うさについて触れてみよう。明治維新以降の過程において、日本の近代化のために、「日本人」とか「日本民族」が最初から一体のものであるというフィクションを捏造する必要があった。それに大きく役割を買ったのはもちろん教育であった。更に明治時代から現在にかけての都市政策や教育政策によって、地域のコミュニティ、そして地域言語としての方言が破壊され、都市居住者は(もう少し広く言えば都市から独立していないコミュニティの居住者は)標準語によってコミュニケーションしなければならぬ状況が生じた。藤原氏の立論の危うさは、国家が「正しい日本語」「美しい日本語」を規定し、それにかなわぬ言葉は全て「乱れている」とか蔑視されることによって、言葉の持つ柔軟性が失われるのではないか、ということだ。「今時の若者」における「言葉の乱れ」をしきりに嘆く自称「知識人」が、同時に「方言を大切にしよう」と喧伝するのはなんとも皮肉なことだ。

 藤原氏がこの論文において国際的なパワー・ゲームとしての「日本語」の一体性を重視していたり、あるいは藤原氏のこの文章が収録されている「文藝春秋」の特集「日本語大切」におけるおそらく編集者によるものであろうリード文における《言語の衰退は国家の衰退。巷にはびこる珍妙な日本語を見直し、今こそ「私たちの言葉」を手に入れよう》という表現にも見られるとおり、日本人全員が教育によって「正しい日本語」「美しい日本語」を習得しなければ国際社会で勝ち残ることができない、という認識に立っていることを見るにつけて更に私の疑問は深くなる。そもそも彼らはなぜ国際社会で勝ち残ることや生き残ることを絶対視するのだろうか。いや、私は何も我が国が米国の51番目の衆になってもいい、と言っているわけではない。そうではなく、私はそのための「手段」を問題化している。すなわち、国際社会で生き残るための手段が、「内なる他者」というよりむしろ「内なる汚物」としての言葉の「乱れ」をしきりに攻撃することで、「日本人」「日本文化」という同一性を保つことにより、国際的な力を得ようとする行為が、果たして本当に正統の行為であるか、と私は問いたいのである。そもそも我が国の文化は彼らの認識の外で着々と広がっている。我が国の伝統文化から、更には我が国におけるアニメや漫画といった最近のサブカルチュアが「クール・ジャパン」として認識されつつある。このような(広義での)日本文化の広まりは、彼らの妄想する「強い国家」とは別のところで動いている。

 俗流若者論の恐ろしさは、個人的な「今時の若者」に対する憤慨がそのまま国家とか歴史とかに短絡されてしまうことである。俗流若者論に依拠する人たちは、「国家」や「歴史」みたいな幻想をバックにつけることによって「今時の若者」を「国家を喪失した存在」とかいったレトリックで批判するのだが、これを「虎の威を借る狐」という。そして国家という「虎」の威厳を借りることによって「今時の若者」をゲットーに囲い込む人たちは、さも駝鳥が穴の中に首を突っ込んで世界は平和である、と認識する如き錯覚に陥る。殊この藤原氏の文章や藤原氏の文章が収録されている特集には、かくのごとき「駝鳥の平和」の思想が底流として流れている。このような「駝鳥の平和」がやがてレイシズムにつながった例が、曲学阿世の徒・京都大学霊長類研究所教授の正高信男氏による「ギャル文字」への評価、すなわち「ギャル文字」はもはや言語的な認知を超えたものであり、このような文字の蔓延は日本人の言語能力の対価を意味する、というわけのわからぬアナロジーであろう。我々が最も撃つべきはこのような「駝鳥の平和」の如き錯覚であって、他者に対する攻撃でなく寛容をベースとした真の平和を築かなければならない。

 最後に藤原氏についても述べておこう。藤原氏は「祖国は国語」だとは言うけれども、藤原氏のこの文章における「日本語」や「日本文化」や「故郷」などの言葉を観察するにつけ、藤原氏にとっての「祖国」とはその程度のものなのか、と嘆かざるを得ない。すなわち、藤原氏の言うところの「祖国」とは、所詮藤原氏の利害や自意識の範囲を出ることがなく、他の人が自分とは違う形で「祖国」や「故郷」を構築していったり、あるいは「日本語」や「日本文化」がさまざまな変化と分化と同一化を経て形成されたものであるということに対する想像力もない。藤原氏は、もっと「故郷」とか「文化」とかいった言葉に対する広い視野を持つことが必要であろう。

 ついでに、この特集に収録されている、ジャーナリストの日垣隆氏の「判決文は悪文の見本市」は面白いから一読をお勧めする。

 参考文献・資料
 藤原正彦[2003]
 藤原正彦「数学者の国語教育絶対論」=「文藝春秋」2003年3月号、文藝春秋

 姜尚中『ナショナリズム』岩波書店、2001年10月
 芹沢一也『狂気と犯罪』講談社+α新書、2005年1月
 歪、鵠『「非国民」手帖』情報センター出版局、2004年4月
 堀田純司『萌え萌えジャパン』講談社、2005年3月

 多和田葉子、田中克彦「ことばを知る、ことばを語る」=「論座」2004年12月号、朝日新聞社

 参考リンク
 「野川さくらオフィシャルサイト「さくらメロディ♪」

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 参考記事
 「正高信男という頽廃
 「壊れる日本人と差別する柳田邦男
 「俗流若者論ケースファイル02・小原信
 「俗流若者論ケースファイル10・筑紫哲也
 「俗流若者論ケースファイル20・小原信
 「俗流若者論ケースファイル44・藤原正彦

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2005年8月 7日 (日)

トラックバック雑記文・05年08月07日

 夏本番というか、なんというか…。暑すぎる!

 仙台ではいよいよ七夕が始まりました。東北三大祭の一つで、商店街の各店舗や各企業の努力による色とりどりの吹流しがアーケードに並びます。機会があればどうぞ。

 東京脱力新聞:ブログの実力 きょう発売の「論座」で(上杉隆氏:ジャーナリスト)
 えこまの部屋:kuriyama爺からTB届いた(黒ヤギさんの節で♪)

 現在発売中の「論座」平成17年9月号の特集の一つに「ブログの実力」があります。タイトルに違わぬ濃い内容で、一読をお勧めします。
 この特集における、ライターの横田由美子氏の論文において、「東京脱力新聞」の上杉隆氏も紹介されています。そこで、上杉氏がブログを始めたきっかけとして、上杉氏が書いた週刊誌の記事に関して国会議員の平沢勝栄氏が上杉氏を提訴し、平沢氏が上杉氏に対する批判キャンペーンを張ったので、それに対する保身の為にブログを作ったとか。
 以前にも書きましたけれども、ブログの台頭によって「書き手」になる敷居は低くなっています。もちろんインターネットの登場により、個人がサイトを持てるようになって、その時点で「書き手」への敷居は低くなっていますが、それでもある程度の知識か道具が必要だった。それが、企業がテンプレートを提供するブログの台頭により、誰でも掲示板感覚で自らのサイトを作れるようになった。つまり現在は、インターネットにつなげられる環境さえあれば自分のサイトが持てるようになっているのです。

 しかし、ブログと鋏は使いようです。もちろん日記形式のブログ、というあり方も私は否定しませんけれども、だからといって個人情報を過剰にばらしてしまうと、自分、あるいは他人が多大な迷惑を被ってしまうこともある。ですから、ブログにおいて(もちろん普通のサイトを利用する場合もそうですが)個人情報の取り扱いには注意しなければならない。

 それだけではありません。文章や写真をインターネット上に公開する、ということは、世界中の人がそれを見ることになる、ということに他ならないのです。ですから、インターネットで文章を書くには、それなりの覚悟が必要になります。

 ブログの方向性を決めておくことも必要ですね。私はこのブログの方向性を「巷に溢れる「今時の若者」をめぐる言説を斬る」(旧ブログ)「俗流若者論から日本社会の一面をのぞく」(新ブログ)としており、基本的にこのブログを若者論を扱うサイトとしています。で、余興としてその他の時事問題、読書、建築、都市計画、音楽、声優の話題を入れる。

 なぜ私がこのようなことを言おうと思ったかというと、もちろん「論座」のブログ特集とか上杉氏の記事を読んだこともそうなのですが、もう一つ、「えこまの部屋」に以下のような疑問が書いてあったからです。

 それにしてもkuriyamaさん(筆者注:「千人印の歩行器」の栗山光司氏)にご紹介いただいた後藤さんによる俗流若者論批判テクストの「追求度」には頭が下がりますが、そのテクスト内容よりも、何がそこまで彼を執拗に俗流若者論で若者批判する著名人斬りに駆り立てるのか、個人的にはそちらのほうが興味があります。(苦笑)

 私は高校時代から趣味で社会時評を書いていました。当然、社会に関して何か不満を持っており、どうにかしたいという殊勝な動機で。雑誌にも投稿せずに日記形式で書いていて社会を変えられるわけがない(苦笑)。そもそも私が若者論というものの存在を意識するようになったのは、平成12年(私が高校1年のときです)に、所謂「17歳の犯罪」が多く報じられていた。そのような情報環境において、私は世間から犯罪者として見られているのではないか、という強い強迫観念に囚われており、17歳には絶対になりたくない、その前に死にたいとも思っていたのです。ただ、それでも(惰性で)17歳まで生きてきた。私が若者論の分析を本格的に始めたのは、朝日新聞社の週刊誌「AERA」の成人式報道(後田竜衛「成人式なんかやめよう」=「AERA」2001年1月22日号)を読んだとき、あまりにもひどい、批判するしかない、と思ったので、批判に着手した。これが17歳になる1ヶ月前です。そして平成15年3月に卒業するまで、高校時代は(大学受験期でも)成人式報道の研究ばかりやっていた(それでも東北大学には現役で合格しました)。大学に入ってからは「論座」の読者投稿に積極的に投稿するようになり(成人式報道に関する苦言が「論座」平成14年12月号に掲載されたことがあるので「論座」を選定しました)、批判の範囲を成人式報道から若者論全般に広げていった。最初はその辺の若者論に感情的に反論していた程度ですが、大学2年の後半あたりから社会における青少年の捉えられ方、及び若者論が生み出すナショナリズムや歴史修正主義、疑似科学、メディア規制を気にかけるようになり、我が国の思想的状況における若者論というものを意識して書くようになった。

 ちなみに「俗流若者論」というのは、ただ単に「俗流~~論」という呼び方の「~~」に「若者」を代入しただけの話です。他に適切な呼び方がなかったので、「俗流」というのがわかりやすいかな、と思ったわけです。

 ついでに「論座」の今月号についても触れておきますと、ブログ特集以外でも戦後60年特集とか、群馬大学教授の髙橋久仁子氏による「こんなにおかしい!テレビの健康情報娯楽番組」や、大阪府立大学専任講師の酒井隆史氏による「「世間」の膨張によって扇動されるパニック」は特に読ませます。しかも、編集長の薬師寺克行氏が、来月号からリニューアルすると公言しております(329ページ)。リニューアル後の「論座」がどうなるか、楽しみです。

千人印の歩行器:[働く編]おたく/フィギュア/ペット(栗山光司氏)
 堀田純司『萌え萌えジャパン』(講談社)という本を買いました。この本では、いまや2兆円市場となっている「萌え産業」の現状をルポルタージュしたもの。一応私はこの本は声優の項から先に読みました。声優の清水愛氏とか、大手声優プロダクションの一つである「アーツビジョン」社長の松田咲實氏や、漫画家の赤松健氏などのインタヴューも掲載されています。あと、ベネチア・ビエンナーレ国際建築展の「おたく:人格=空間=都市」のパンフレットも借りて読んでいます。

 ところで、マスコミが「萌え」を発見するときは、大きく分けて2つの場合があります。一つが、「萌え」が一大市場と判断されたとき。もう一つは、残虐な犯罪(特に少女が被害者となる性犯罪)においてその犯人がアニメやゲームや漫画に異常な嗜好を示していたとされるとき。しかし私は、どちらの見方に組しても理解(それが無理でなければ許容)には辿り着けないかと思います。

 なぜか。これは特に後者の形で「萌え」が発見されるときにいえることですが、よほどオタク的なものに理解のある記者(例えば、朝日新聞社「AERA」編集部の福井洋平氏や有吉由香氏など)が書いていない限り(大半のマスコミ人がそうですね)「オタクの世界は仮想現実で、それに没頭する人は異常であり、現実に生きることこそが至上である」と考えている節が大きいからでしょう。故に凶悪犯罪を起こすのは現実と空想の区別がついていない「異常な」奴であるから、という論理が形成される。

 まあ、確かに「萌え」で腹が膨れないことは誰にでもわかる。しかし、「萌え」というのは相手(キャラクターでもアイドルでも声優でもいいです)のある部分あるいは全体がその人にとって「萌える」と認識しているからこそ起こる。さらには虚構に対して欲望を持つことができるので、精神科医の斎藤環氏が指摘するとおり、こういう人たちこそ虚構と現実の区別が厳格である、とも言えるでしょう。マスコミは、そういう人たちが現にかなりの割合で存在するということをまず理解する、そこまでできないなら少なくとも許容する、という態度を持つべきです。もし誰かが現実の少女に対して政敵にか害してしまったら、その犯人は少なくともオタク的な性的嗜好からは逸脱している、と考えるほかないのです。

 石原慎太郎氏や日本経団連などは、オタク経済効果は認めていますけれども、オタクメディア規制も推進すべきだ、という考えの持ち主です。結局のところこのような人たちは、国民は経済的な成長だけにまい進していればよろしい、と考えているのでしょうね。しかしオタクの先駆性は経済とは別なところにあります。そもそも規制論の根本は自分が気に食わないから、という単純な理由でしょう。

 ちなみに「AERA」に関しても触れておきますけれども、「AERA」は平成17年5月30日号において、他の週刊誌が今年5月に起こった少女監禁事件に関してオタク・バッシングを書いていたのに、「AERA」はそれに関する記事はなしで、編集部の福井洋平氏が「メイド掃除でモテ部屋に」なる記事を書いていた。まあ、メイド喫茶ならぬメイド掃除サーヴィスの体験記ですが、ここまでやってしまう「AERA」はある意味すごい。

性犯罪報道と『オタク叩き』検証:フィンランド憲法・『may be』、アイルランド憲法・『shall be』
 海外のメディア規制の例が紹介されています。例えばフィンランドでは、憲法では青少年に有害だと思われる情報の規制は法律で可能である、としておりますが、実際には規制の対象になるのは映画やテレビだけで、また法律で規制できるといっても現状は業界の自主規制に任せていたり、さらには厳格な情報公開制度が整っていたりとか。あと、アイルランドがイギリスから独立した国であることを知らないでいる人とか。

保坂展人のどこどこ日記:佐世保事件から1年、長崎の教育は異常事態に(保坂展人氏:元国会議員・社民党)
 「心の教育」とは一体なんなのでしょうか。そもそも彼らの考えている「心」とはなんなのか。「心の教育」を推進すべきだ、という人たちは、現在の青少年の「心」は異常であり、彼らに正常な「心」を涵養しなければならない、といいます。しかし、正常な「心」とはなんなのでしょうか。殺人を犯さない?少年による凶悪犯罪(殺人・強盗・強姦・放火)は、昭和35年ごろのほうが現在に比して数倍深刻です。

 「心の教育」を推進すべき人たちは、結局のところ人々の心と現在を生きる青少年をイデオロギー化しているに過ぎないのです。彼らにとって青少年とは単なる人気取りの道具に過ぎない。そして俗流若者論の蔓延により、青少年をイデオロギー化する傾向が高まり、政治がそれと結託すると、青少年に対する敵愾心を煽ることがそのまま政治的な人気の高さになる。政治から実態としての青少年が消えるとき、我々は政治に何を見出すのか。青少年の意見を代弁する政治家よ現れよ、とは私は言わない。「青少年の意見」なるものを代弁できる人などいない。しかし、せめて「今時の若者」を冷静に見ることのできるような政治家は、ぜひとも現れて欲しい。

 お知らせ。まず、ブログで以下の文章を公開しました。

 「正高信男という斜陽」(7月25日)
 「俗流若者論ケースファイル39・川村克兵&平岡妙子」(7月27日)
 「俗流若者論ケースファイル40・竹花豊」(7月29日)
 「俗流若者論ケースファイル41・朝日新聞社説」(7月30日)
 「統計学の常識、やってTRY!第4回&俗流若者論ケースファイル42・弘兼憲史」(同上)
 「俗流若者論ケースファイル43・奥田祥子&高畑基宏」(8月2日)
 「俗流若者論ケースファイル44・藤原正彦」(8月5日)
 「俗流若者論ケースファイル45・松沢成文」(8月6日)

 また、bk1で以下の書評を公開しました。

 正高信男『考えないヒト』中公新書、2005年7月
 title:俗流若者論スタディーズVol.4 ~これは科学に対する侮辱である~
 岡留安則『『噂の眞相』25年戦記』集英社新書、2005年1月
 title:雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ
 斎藤美奈子『誤読日記』朝日新聞社、2005年7月
 title:皮肉に満ちた「書評欄の裏番組」
 赤川学『子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書、2004年12月
 title:少子化を「イデオロギー」にするな
 二神能基『希望のニート』東洋経済新報社、2005年7月
 title:「希望」としての若年無業者問題

 さて、前から喧伝していた夏休み特別企画を次回更新からスタートします。企画の内容は、「俗流若者論大賞・月刊誌部門」です。要するに、平成12年から平成15年にかけて、月刊誌で発表された俗流若者論の中でも、特にひどいものに関する論評です。

 対象となる雑誌:文藝春秋、諸君!(以上、文藝春秋)、中央公論(中央公論新社)、現代(講談社)、世界(岩波書店)、論座(朝日新聞社)、正論(産経新聞社)、Voice(PHP研究所)、潮(潮出版社)、新潮45(新潮社)

 今日、以上の全ての雑誌のチェックが終わったのですが、平成12年・13年は大豊作(笑)でした。逆に平成14年は不作だった。厳選した結果、グランプリと準グランプリは以下の通りに決定しました。

 ・グランプリ
 平成12年
 「文藝春秋」平成12年11月号特集「「なぜ人を殺してはいけないのか」と子供に聞かれたら」、文藝春秋

 平成13年
 小林道雄「少年事件への視点」第3回・4回=「世界」2001年2・3月号、岩波書店
 小林道雄「Q49.少年犯罪」=「世界」2001年4月増刊号、岩波書店

 平成14年
 該当作なし

 平成15年
 山藤章二(編)「山藤章二の「ぼけせん町内会」いろは歌留多」=「現代」2004年1月号、講談社

 ・準グランプリ
 平成12年
 石堂淑朗「こんな「十七歳」に誰がした」=「新潮45」2000年6月号、新潮社
 武田徹「プログラム人間に「心」を」=「Voice」2000年11月号、PHP研究所
 澤口俊之「若者の「脳」は狂っている――脳科学が教える「正しい子育て」」=「新潮45」2001年1月号、新潮社
 長谷川潤「「ワガママ・テロル」の時代が始まった」=「正論」2000年7月号、産経新聞社
 工藤雪枝「平成“美顔男”たちへの憂鬱」=「正論」2000年9月号、産経新聞社
 工藤雪枝「ミーイズム日本の迷走」=「中央公論」2000年10月号、中央公論新社

 平成13年
 澤口俊之「「スポック博士」で育った子はヘンだ」=「諸君!」2001年8月号、文藝春秋
 ビートたけし「バカ母世代」=「身長45」2001年4月号、新潮社
 佐藤貴彦「残虐なのは誰か?」=「正論」2001年4月号、産経新聞社
 佐々木知子、町沢静夫、杢尾堯「検挙率はなぜ急落したのか」=「中央公論」2001年7月号、中央公論新社
 花村萬月、大和田伸也、鬼澤慶一「電車で殴り殺されないために」=「文藝春秋」2001年7月号、文藝春秋
 遠藤維大「自傷行為「リスカ」と日教組」=「正論」2001年9月号、産経新聞社
 片岡直樹「テレビを観ると子どもがしゃべれなくなる」=「新潮45」2001年11月号、新潮社
 清水義範「あたり前が崩れている恐ろしさを考える」=「現代」2001年11月号、講談社
 林真理子「この国の子どもたちは」=「文藝春秋」2001年12月号、文藝春秋

 平成14年
 「諸君!」平成14年2月号特集「日本を覆う「怪しい言葉」群22」から、林道義「子どもの自己決定権」、文藝春秋
 正高信男「日本語の「乱れ」とルーズソックス」=「文藝春秋」2002年9月臨時増刊号、文藝春秋
 田村知則「警告!子どもの「眼」がおかしい」=「新潮45」2002年10月号、新潮社
 野田正彰「「心の教育」が学校を押しつぶす」=「世界」2002年10月号、岩波書店

 平成15年
 藤原正彦「数学者の国語教育絶対論」=「文藝春秋」2003年3月号、文藝春秋
 和田秀樹「日本はメランコの中流社会に回帰せよ」=「中央公論」2003年6月号、中央公論新社
 清川輝基「“メディア漬け”と子どもの危機」=「世界」2003年7月号、岩波書店
 香山リカ、テッサ・モーリス=スズキ「「ニッポン大好き」のゆくえ」=「論座」2003年9月号、朝日新聞社
 小林ゆうこ「「母子密着」男の子が危ない」=「新潮45」2003年10月号、新潮社
 中村和彦「育ちを奪われた子どもたち」(聞き手:瀧井宏臣)=「世界」2003年11月号、岩波書店

 以上の記事を次回から論評します。ちなみに同じ著者のものは一つの論文にまとめて検証します。平成14年準グランプリの正高信男氏の記事は、この企画とは別のところ(正高信男批判の企画で検証します)で検証しますので、夏休み特別企画は「俗流若者論ケースファイル」25連発(!)になります。なお、論評の順番に関しては、まず各年の準グランプリを一通り検証したあと、最後に各年のグランプリを検証します。

 ちなみに、石堂淑朗氏の連載「平成餓鬼草子」(「正論」)は、相変わらず俗流若者論連発でしたが、別のところで検証するので採り上げませんでした。また、「世界」で連載されていた、瀧井宏臣氏の「こどもたちのライフハザード」も問題が大きかったのですが、これも既に書籍化されているので、そちらを批判するときに検証します(ただし書籍版では、事実上連載の最終回となる中村和彦氏へのインタヴューが掲載されていないので、こちらで採り上げました)。

 そういえば次回の更新でもって丁度このブログの100本目の記事になるので、このブログの新たなるスタートを飾るにふさわしい企画になるように極力努力します。

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2005年7月 2日 (土)

2005年上半期の1曲

 私が2005年1月1日~6月30日まで買ったCD(シングル・アルバム)に関して、印象に残った曲を紹介します。「2005年4~6月の1冊」と併せてどうぞ。

 CDシングル収録曲・ベスト16
 1:Fiction Junction YUUKA「暁の車」作詞・作曲:梶浦由記/Fiction Junction YUUKA「暁の車」ビクターエンターテインメント、2004年9月
 哀愁が漂う曲。戦場に赴く人を必死で引き止めようとするがかなわぬ夢であることに絶望する人のイメージを髣髴とさせる歌詞と、夕暮れの暁のムードを表現する曲が見事なまでにマッチし、さらに南里侑香氏の壮大なヴォーカルによって聴く人を魅了させずにはいられない。
 ※アニメ「機動戦士ガンダムSEED」挿入歌

 2:米倉千尋「僕のスピードで」作詞・作曲:米倉千尋/米倉千尋「僕のスピードで」キングレコード、2005年2月
 米倉氏のデビュー10周年を飾るシングル曲。軽快なメロディーラインと、頑張っている人の背中を押してくれるような歌詞が魅力。もちろん米倉氏の歌唱も。
 ※アニメ「まほらば ~Heartful days~」エンディングテーマ

 3:angela「未来とゆう名の答え」作詞:atsuko、作曲:KATSU、atsuko/angela「未来とゆう名の答え」キングレコード、2005年1月
 ※アニメ「JINKI:EXTEND」エンディングテーマ

 4:水樹奈々「WILD EYES」作詞:水樹奈々、作曲:飯田高広/水樹奈々「WILD EYES」キングレコード、2005年5月
 ※アニメ「バジリスク ~甲賀忍法帖~」エンディングテーマ

 5:坂本真綾「ループ」作詞・作曲:h-wonder/坂本真綾「ループ」ビクターエンターテインメント、2005年5月
 ※アニメ「ツバサ・クロニクル」エンディングテーマ

 6:KOTOKO「Re-sublimity」作詞:KOTOKO、作曲:高瀬一矢/KOTOKO「Re-sublimity」ジェネオンエンターテインメント、2004年11月
 ※アニメ「神無月の巫女」オープニングテーマ

 7:佐藤裕美「終わりなきPrelude」作詞・作曲:上松範康/佐藤裕美「終わりなきPrelude」ビーフェアリーレコード、2004年11月
 ※PS2ゲーム「ギャラクシーエンジェル Eternal Lovers」エンディングテーマ

 8:愛内里菜、石田燿子、近江知永、奥井雅美、影山ヒロノブ、can/goo、栗林みな実、下川みくに、JAM Project、鈴木達央、高橋直純、水樹奈々、unicorn table、米倉千尋「ONENESS」作詞・作曲:奥井雅美/愛内里菜、他「ONENESS」ワンネスプロジェクト、2005年5月
 ※「Animelo Summer Live 2005 -THE BRIDGE-」テーマソング/アニメイト限定発売

 9:奥井雅美「TRUST」作詞・作曲:奥井雅美/奥井雅美「TRUST/A confession of TOKIO」エボリューション、2005年5月
 ※アニメ「これが私の御主人様」オープニングテーマ

 10:石田燿子「OPEN YOUR MIND ~小さな羽根ひろげて~」作詞:石田燿子、作曲:田中公平/石田燿子「OPEN YOUR MIND ~小さな羽根ひろげて~」ジェネオンエンターテインメント、2005年1月
 ※アニメ「ああっ女神さまっ」オープニングテーマ

 11:高橋広樹「BE YOURSELF」作詞:池田森、作曲:高橋広樹/高橋広樹「BE YOURSELF」インターチャネル、2005年4月
 ※ラジオ番組「BE YOURSELF」テーマソング

 12:JAM Project「迷宮のプリズナー」作詞・作曲:影山ヒロノブ/JAM Project「迷宮のプリズナー」ランティス、2005年6月
 ※OVA「スーパーロボット大戦 ORIGINAL GENERATION THE ANIMATION」オープニングテーマ

 13:高橋洋子「WING」作詞:高橋洋子、作曲:大森俊之/高橋洋子「WING」ジェネオンエンターテインメント、2005年5月
 ※アニメ「ああっ女神さまっ」エンディングテーマ

 14:谷山紀章「Daydreamin'」作詞:mavie、作曲:黒須克彦/谷山紀章「Daydreamin'」ランティス、2005年2月
 ※アニメ「好きなものは好きだからしょうがない!!」エンディングテーマ

 15:神田朱未、野中藍、能登麻美子、小林ゆう「輝く君へ」作詞:ヌマダテゆか、作曲:桑原秀明/神田朱未、野中藍、能登麻美子、小林ゆう「輝く君へ」キングレコード、2005年2月
 ※アニメ「魔法先生ネギま!」エンディングテーマ

 16:田村ゆかり「恋せよ女の子」作詞:羽月美久、作曲:小松一也/田村ゆかり「恋せよ女の子」コナミミュージックエンターテインメント、2005年5月
 ※アニメ「極上生徒会」オープニングテーマ

 CDアルバム・ベスト10
 1:tiaraway「TWO:LEAF」サイトロンディスク、2005年1月
 声優の千葉紗子氏と南里侑香氏によるヴォーカルユニットの最初にして最後のアルバム。さまざまな曲を、あるときは落ち着いて、あるときは壮大に、またあるときは可愛く歌いきれるユニットは、なかなか見当たらないのではないか。歌唱力、表現力共に我が国の歌手の中でも高く評価されてもいいくらいの高レヴェルなヴォーカルである。ちなみに、このユニットは今年3月8日に行なわれたライヴをもって活動を終了した。

 2:岡崎律子「Love & Life -private works 1999-2001-」ユニバーサルミュージック、2005年5月
 昨年5月5日に逝去した岡崎氏が、生前にファンクラブ向けに作成していた「プライベートCD」の曲を収録したもの。これまでにアニメなどに提供してきた曲とはまた違った岡崎氏の楽曲の魅力に触れることができ、ファンならずとも必聴といえる質である。ボーナストラックとしてアルバム未収録のシングル曲を収録。

 3:皆川純子「アイコトバ」キングレコード、2005年4月

 4:金月真美「たからもの」コナミメディアエンターテインメント、2004年12月

 5:國府田マリ子「メトロノーム」キングレコード、2005年2月

 6:佐藤利奈「空色のリボン」フロンティアワークス、2005年3月

 7:田村ゆかり「琥珀の詩、ひとひら」コナミメディアエンターテインメント、2005年3月

 8:椎名へきる「Clear Sky」ソニーミュージックレコード、2005年6月

 9:清水愛「発芽条件M」メローヘッド、2005年4月

 10:新谷良子「Pretty Good!」ランティス、2005年5月

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2005年4月 9日 (土)

トラックバック雑記文・05年04月09日

 *☆.Rina Diary.☆*:満開☆(佐藤利奈氏:声優)
 この文章の内容とはあまり関係のないのですが、佐藤氏のミニアルバム「空色のリボン」を聴きました。私の感想としては、佐藤氏の「空」というものに対する想いが存分に込められている作品になっているな、と。タイトルが「空色のリボン」であるだけに、その歌詞には「空」という言葉、およびそれに順ずる表現が頻出します。
 一番私が心惹かれたのは、第3トラックに入っている佐藤氏のフリートーク「あの空で逢えたら Part1」です。ここでは、佐藤氏が「空」に対する想いを語っているのですが、その中で「立っていると、目の前に空が見える」みたいなことを語っていたと記憶しております。
 青い空、曇り空、雨の空。いずれにせよ、空が見える、というのはとても大事なことです。空というものは、おそらくもっとも身近にある「大自然」でしょう。上を見上げるとどこまでも続いていて、思わず吸い込まれそうな、あるいは正面を向いていても、地平線の果てまで続いているような空。空を見ることが、自然に対する興味と関心を高める第一のことだと思います。
 ここで都市計画論的な話に移ってしまいますが、今年2月5日付けの読売新聞において、読売新聞編集委員の芥川喜好氏が「編集委員が読む」というコラムで「空はだれのものか 高層ビルが消した生活のにおい」という文章を書いておられます。佐藤氏のアルバムに心惹かれた人も、ぜひとも読んでほしいコラムです。
 芥川氏は、1月の下旬に新宿で行われた「脈動する超高層都市、激変記録35年」という写真展に関して、《低い建物が並ぶだだっ広い空間に、あるとき黒い塊が現れ、次第に上へ伸びる。その近くにまた同じような塊が生じ、同じように天へ向かって伸びる。その過程が百カット近い映像の早送りで壁に映しだされる。黒い塊は瞬く間に成長し増殖し群れとなって空間を圧し、意思あるもののようにうごめいている》という感想を述べています。
 芥川氏は、《このドキュメントを見て初めてわかることがある。超高層化とは、広い空が侵食される歴史でもあったということだ》と書きます。高層ビルが立ち並ぶ場所では、上を見ても無機質な侵食された空を見ることしかできず、正面を見てもほとんど空を見ることができない、という現実。大都市において広い空を見ることができるのは、超高層ビルに登るという特権を持った人だけ、という現実。空は万人に開かれている大自然の絶景です。それが巨大資本の論理によって侵食されていく。都市化=超高層化を極端に推し進めてきた政権党や巨大資本の偉い人たちが、「今時の若者」の自然に対する意識の低下を嘆く。何なのでしょうか、この矛盾は。基本的に「若者論」を安易に振りかざす人は、政権党が以下に若年層から「生活」の場を奪ってきたか、ということをことごとく無視しますが、そこに目を向けないと現在の政権党の論理を突き崩すことはできないと思います。
 芥川氏のコラムでは、最後に《芸術系大学の学生》が書いた《「超高層ビルと人間」という社会研究のリポート》について触れられております。そこで、次のようなものが引用されています。

 東京は富士を望む街だった。高さの競争などやめて、行き来の道から富士の見える街づくりをしたら、人の心も落ち着いて平和な町になるだろう。

 自然を「征服」するのではなく、自然と「共生」することが現在のパラダイムになりつつあります。最近建築の間で流行している「環境共生住宅」「古民家再生」なども、そのパラダイムシフトに適合した形でしょう。我々は、このパラダイムシフトを理解して、誰もが人間らしい生活を送れるように社会を構築しなければならない。佐藤氏のアルバムと芥川氏のコラムから見えたのは、そのようなことでした。

 ン・ジュンマ(呉準磨)の備忘録:文教政策が大きな政府主義の最後の砦?という以上に・・・
 教科書検定が始まりました。それにしても、今年は4年前とは違い、歴史教科諸問題があまり話題に取り上げられなくなりました。それだけ沈静化したのか、それとも世間の耳目を集められなくなったのか。
 「新しい歴史教科書をつくる会」といえば産経新聞ですが、昨日、その産経新聞が発行する雑誌「正論」を久しぶりに読みました。「正論」からは、もうこの雑誌自体に見切りを付けた、ということで、1年以上書店で見かけてもてにとることすらしなかった(というのも、タイトルと執筆者からどのようなことが書かれているか、ということが見え見えだったから)のですが、今回久々に一通り目を通してみて、余計にひどくなっている、という認識を持ってしまいました。
 巻頭はライブドア問題特集。どれも本質を突いていない論文ばかりでした(岩波書店の「世界」に掲載された文章や、文藝春秋の「諸君!」の特集は読み応えがある)。しかしもっとひどいと思ったのは、日本女子大学教授の林道義氏などによる「ジェンダーフリー教育」批判の文章です。この文章は、もうバリバリの陰謀論です。なんでも「ジェンダーフリー教育」を推し進める左翼は日本の崩壊を狙っており、それを裏で操っているのはマルクスだ、と。私も「ジェンダーフリー教育」には賛成できない部分もあるのですが(性教育には賛成です。あしからず)、ここまで妄想できるのはすごい、というほかありません。しかも、このような認識が、一部の保守論壇人に広く共有されている、というのだからさらに驚きです。大体、「ジェンダーフリー教育」が「どのように」我が国を崩壊させ、「どのように」韓国・中国・北朝鮮を利するか、ということに関してはまったく触れられていない。このような雑誌はある種の「共通前提」を持っている人には大人気なのだろうが、こんなことしていると新たな読者は獲得できませんよ、と言っておく。

 走れ小心者 in Disguise!:  「ブログ版『えらいこっちゃ!』(12)」(克森淳氏)
 カマヤンの虚業日記/カルトvsオタクのハルマゲドン:[資料][呪的闘争][宗教右翼][日本会議]90-91年「有害コミック」問題の発信源・和歌山の「子供を守る会」は、極右新興宗教「念法真教」
 私は基本的には改憲は必要だと思います。しかし、現在自民党を中心に議論されている改憲論には、むしろ批判的です。
 政府・自民党は改憲案に「青少年健全育成に悪影響を与える有害情報、図書の出版・販売は法律で制限されうる」ということを入れようとしていますが、まずここに反対です。第一に、青少年がある情報に関して、そこで得る感想は多様です。第二に、国家が一律に「青少年に有害」な情報を決め付ける、ということは、表現の自由に抵触する危険性があります。第三に、自民党などの皆様が問題にしたがる「有害」な情報・環境は青少年による凶悪犯罪を増やしてはいない、ということは、すでに犯罪白書や警察白書で明らかです。第四に、立憲主義の立場に立てば、憲法とは本来国家に宛てた命令であるはずです。それを理解していない政治家が多すぎます。そして最後に、このような改憲案は、自民党の右派の利権の元となっている宗教右翼や右翼政治団体に対するパフォーマンスである可能性が高い。
 先月の読売新聞において、財団法人日本青少年研究所の調査において、我が国の高校生の半数以上が自国に誇りを持っていない、という結果を嘆いていました。しかし、これのどこが問題なのでしょうか。もし自国に誇りをもてない状況があるとするなら、それを形成した社会的な影響を分析しなければならないはずですが、読売をはじめとして保守的な政治家や論者は、我が国における「左翼」による教育を真っ先に槍玉に挙げます。結局のところ、彼らは、青少年をイデオロギー闘争の道具にしか考えていないのです。憲法の改正案も、教育基本法の改正案も、まさしくこれに当てはまるのではないか、と考えております。
 私は、「大日本若者論帝国憲法」が必要である、と考えております。もちろん、現実的な改憲案ではなく、現在推し進められている改憲案がいかに滑稽なものであるか、ということを示すネタとしての改憲案です。その意図は、「こんな憲法になるんだったら護憲派のほうがよっぽどマシだ」と気づかせることです。この改憲案の骨子は次の通りです。
 ・青少年による問題行動の抑制のため、国旗・国歌・天皇に対する忠誠心を高めて、国家に帰属するための意識を養う。
 ・青少年の愛国心と社会性の涵養のため、強制的徴兵制を男女関係なく実行する。
 ・青少年の健全なる育成のため、「伝統的な」(実際には明治以降の近代化システムの中で捏造されてきた)家族のみを尊重する。それと同様に、子供を多く出産した家族は独身者よりも優遇される。
 ・親は自らが親権を持っている子供の行動を常に監視していなければならない。
 ・青少年に有害な影響を及ぼす恐れのある情報は検閲でもって規制できるようにする。
 ・青少年による凶悪犯罪の抑制のため、「有害な」環境に出入りする青少年を警察が取り締まることができる。
 ・青少年による凶悪犯罪の抑制のため、20代の若年層にのみすべての犯罪の厳罰化を行う。
 ・ひきこもりやフリーターや若年無業者を抱える家族に関しては、青少年健全育成の視点から財産を奪って強制的に就業意識を植え付けることは正当化される。
 こんなに滑稽なことが憲法に書かれるのは皆目御免だ、と思われる方も多いでしょう。しかし、これらの議論は、すべて俗流若者論にオリジナリティを見出すことができるものばかりです。そして、それらの粟粒若者論の欲望を満たす憲法を作ろうとしたら、このような憲法が出来上がるのは必然でしょう。当然、憲法学や立憲主義の歴史も一切無視し、権力に非常に甘い憲法になります。
 愛国者たるものは、常に国賊に目を光らせていなければなりません。現在我が国にはびこる国賊は、保守政治家や論壇人が問題視したがるような「左翼」ではなく、巨大資本による都市の画一化を推し進め、青少年をイデオロギー化することによって不安をあおり、それによって利権をむさぼる自称「保守」政治家・言論人です。このような国賊こそが、まさしく我が国を壊死させる張本人です。そして、俗流若者論も、国賊として糾弾されるべきです。

 お知らせ。このブログの右側に表示されております「参考サイト」を、「参考サイト」と「おすすめブログ」に分割しました。
 「参考サイト」として追加したもの
 「グリーントライアングル
 「「有害」規制監視隊
 「少年犯罪データベース
 「「ゲーム脳」関連記事 - [ゲーム業界ニュース]All About
 「おすすめブログ」として追加したもの
 「kitanoのアレ
 「カマヤンの虚業日記/カルトvsオタクのハルマゲドン
 「読売新聞の社説はどうなの・・

 また、次の文章を公開しました。
 「俗流若者論ケースファイル09・各務滋」(4月4日)
 「2005年1~3月の1冊」(4月4日)
 「正高信男は破綻した! ~正高信男という堕落みたび~」(4月5日)

 今後の予定としましては、まず「俗流若者論ケースファイル10・○○○○」を近いうちに公開します。また、『ケータイを持ったサル』批判の「再論・正高信男という病」もできれば来月中には公開したい。正高信男批判では、「犬山をどり ~正高信男を語り継ぐ人たち~」と題して、『ケータイを持ったサル』の書評を検証する予定です。これの公開は「再論・正高信男という病」を公開したあとなので、おそらく8月頭ごろになるでしょう。また、仙台の都市計画と「東北楽天ゴールデンイーグルス」について論じた文章や、治安維持法制定80周年に関する文章、雑記文で触れた「大日本若者論憲法」の実体化など、いろいろ企画しておりますが、大学の授業も始まったので、予定は未定です。
 曲学阿世の徒・正高信男といったら、「正高信男という頽廃」において、このようなコメントをいただきました。

この人、統計のトの字も知りません。t検定もよくわかってなかった。ついでに実験してないので、なぜか論文書きます。内輪でもデータはどこから来ているのか疑問視している人は多いですよ。さらに、気に入らない研究者や学生を徹底的に攻撃(ある意味、いじめ)するので、敵は多いですね。挨拶そいても応えない、目を合わせなければ、口もきかないあたり、彼の社会性を疑ってしまいます。かれが世の中のいじめや引きこもりについての著書を書くたびに、その自分の行動はどううなんだ・・・と言いたくなります。

 休刊した「噂の眞相」みたいに「『ケータイを持ったサル』の京大教授は論文捏造の常習者」と「一行情報」を書きたくなってしまいますけれども、これが本当ならばすごいことですよ。こんな人を教授にしている京都大学とは、いったい何なのでしょうか。誰か止めてあげられる友人はいないのか。

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2004年12月31日 (金)

2004年・今年の1曲

 筆者が2004年に買ったCDの中でもとりわけ私の印象に残った曲を紹介します。今回は、
 メロキュア「しあわせ」(作詞:日向めぐみ、作曲:岡崎律子)
 笠原弘子/岡崎律子「I'm always close to you」(作詞・作曲:岡崎律子)
 中原麻衣/岡崎律子「いつでも微笑みを」(作詞・作曲:岡崎律子)
 以上を推薦します。

――――――――――――――――――――

 その夜、私は岡崎律子氏と日向めぐみ氏のユニット「メロキュア」のアルバム「メロディック・ハード・キュア」を静かに聴いていた。2004年5月11日、岡崎氏の訃報が私の耳に届いた日である。
 私が岡崎氏の曲を聴くようになったのは平成14年のことだ。正確に言うと、岡崎氏の書いた曲を、だが。私が最初に岡崎氏の曲と認識して聴いていたのは、声優の林原めぐみ氏のアルバム「iravati」(キングレコード、1997年8月)に収録されている「Good Luck」(作詞・作曲:岡崎律子、歌:林原めぐみ)である。また、林原氏がラジオ番組で何回か岡崎氏に言及していたので、私は岡崎律子という名前を心のどこかにとどめていた。折りしもそのときは、名曲「For フルーツバスケット」(作詞・作曲・歌:岡崎律子/キングレコード・2001年7月)の、声優の堀江由衣氏がカヴァーしたものが上梓されていた。
 また、平成14年は、岡崎氏が、シンガーソングライターの日向めぐみ氏と、ユニット「メロキュア」を結成した年でもある。私がこのユニットのCDを買ったのは平成15年6月、メロキュアの2枚目のシングルとなる「1st Priority」(コロムビアミュージックエンターテインメント、2003年2月)であった。翌年3月に上梓されたメロキュアのアルバムを聴けばわかることだが、このユニットはコーラスを重視しているらしく、岡崎氏や日向氏のヴォーカルを、さらに両氏自身によるコーラスでますます洗練されたものにしている。
 岡崎氏は2004年に入ってからも、精力的に活動していた。堀江由衣氏のシングル「心晴れて 夜も明けて」(作詞・作曲:岡崎律子/キングレコード・2004年2月)や、ゲーム「シンフォニック=レイン」の曲、メロキュアの最初のアルバム「メロディック・ハード・キュア」(コロムビアミュージックエンターテインメント・2004年3月)、そして堀江氏の最新アルバム「楽園」(キングレコード・2004年4月)に提供した曲など、岡崎氏の関わったCDが多数上梓されていた。多くのファンや関係者は、岡崎氏がこれからもまた大いに活躍することを期待していたかもしれない。そんな中で……突然の訃報だった。
 私が今回挙げた3曲は、それらの岡崎氏の曲の中でも岡崎氏の死という事象と重ね合わせてみるとより一層感慨深くなってしまう曲である。
 メロキュアの「しあわせ」(メロキュア「メロディック・ハード・キュア」に収録)は、アルバムの中では唯一岡崎氏と日向めぐみ氏の合作である。日向氏が作詞、岡崎氏が作曲と歌を担当する、というスタイルである。日向氏は、この曲の歌詞を恋人同士が語り合うときのシチュエーションを想定して書いたのかもしれない。しかし、この曲の歌詞には、日向氏から岡崎氏に対するメッセージとしての意味合いが含まれているのではないか、と感ずる。同じユニットで2年間走り続けてきた絆。岡崎氏と日向氏の約束。それを岡崎氏が歌い上げる…。
 後ろの2曲は、ゲーム「シンフォニック=レイン」のキャラクターソング集「RAINBOW」(キングレコード・2004年5月)に収録されている曲で、歌手はそのゲームに出演している笠原弘子、中原麻衣、浅野真澄、折笠富美子の4氏である。そして、岡崎氏が全曲の作詞・作曲を担当している。
 とりわけ印象深いのは笠原氏の「I'm always close to you」と中原氏の「いつでも微笑みを」である。この2曲に共通するテーマは「別れ」であり、二つとも別れる人へのメッセージを含んでいる。そして、二つとも痛切な「悩み」を打ち明けた曲であり、そして希望の光で終わる。笠原氏や中原氏の歌唱もまた、曲のメッセージ性が存分に伝わってくるものに仕上がっている。ここで挙げなかった、このCDに収録されている笠原氏や中原氏のほかの曲、そして浅野氏と折笠氏の曲も、歌詞の並みならぬ叙情性とメロディライン、そして歌が絶妙なまでにマッチしており、たいへん聴き応えがある。まさに今年最高のアルバム、といっても過言ではない。
 そして、岡崎氏が生前にレコーディングしていた「シンフォニック=レイン」の曲の岡崎氏ヴァージョン10曲、そして「For フルーツバスケット」の全11曲が収録されたアルバム「For RITZ」が、キングレコードから2004年12月29日――岡崎氏の誕生日にあたる――に発売された。
 ぜひ、手にとって聴いてほしい。岡崎氏の愛した音楽を。

――――――――――――――――――――

 2004年・アルバム8枚
 1:笠原弘子/中原麻衣/浅野真澄/折笠富美子「RAINBOW」(キングレコード・2004年5月)
 2:岡崎律子「For RITZ」(キングレコード・2004年12月)
 3:メロキュア「メロディック・ハード・キュア」(コロムビアミュージックエンターテインメント・2004年3月)
 この3枚に関しては、本文で述べたとおりです。

 4:千葉紗子「everything」(ランティス・2004年6月)
 梶浦由記氏のプロデュースによる千葉氏のオリジナルアルバム第2弾。ミディアムテンポを中心に構成された曲と、透き通った千葉氏のボーカルに思わず聞き入ってしまう。千葉氏が初めてコーラスや作詞に関わった曲もある。

 5:林原めぐみ「center color」(キングレコード・2004年1月)
 「シャーマンキング」「朝霧の巫女」などの最近のアニメソングや、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のテーマソング「残酷な天使のテーゼ」の再カヴァーなど、林原氏が声優として、ヴォーカリストとして多彩な顔を見せるアルバム。新曲は林原氏にとって初めての梶浦由記氏の作曲。ちなみに、林原氏は平成16年6月に女児を出産した。

 6:米倉千尋「BEST OF CHIHIROX」(キングレコード・2004年5月)
 デビュー曲であり、OVA「機動戦士ガンダム第08MS小隊」の主題歌にもなっている「嵐の中で輝いて」から、2003年に発表された、アニメ「カレイドスター」の主題歌の「約束の場所へ」まで、米倉氏のアニメ・ゲームタイアップ曲30曲を2枚組で一挙収録。この量と質で値段が税込み3000円とは安すぎる。初回限定版には、奥井雅美氏との期間限定ユニットで歌った「カレイドスター」のオープニング・エンディングも収録。

 7:小森まなみ「ユ・メ・ノ・チ・カ・ラ」(キングレコード・2004年7月)
 今年、ラジオ番組「mamiのRadiかるコミュニケーション」が20周年、「小森まなみのpop’n!パジャマEye」が10周年を迎えたラジオパーソナリティによるベストアルバム。通販限定だった曲「Life ~上を向いて歩こう~」や、CD未収録の「きゅんきゅんのパワー」、高橋直純氏とのユニットで歌った曲などもある。全曲が小森氏の作詞によるものだが、少なくともこのアルバムに収録されている曲の歌詞のテーマには一貫性があるようだ。それが何かは、このCDを聞いてのお楽しみである。ちなみに、岡崎律子氏が作曲した曲も4曲収録されている。

 8:志倉千代丸・編「ゲームボーカルベスト ~志倉千代丸楽曲集Vol.3~」(サイトロンディスク・2004年8月)
 ゲームソングで活躍する作曲家が提供した曲を集めたCDの第3弾。「Memories Off」「Missing Blue」「Remember 11」などから14曲を収録。歌手(声優)も、水樹奈々、笠原弘子、田村ゆかり、清水愛、皆川純子各氏など、強力なラインナップ。ちなみに当初では、坂本真綾氏の曲も収録される予定だったらしい。第4弾では入れてほしい。ついでにこの作曲家の書いた歌で最も有名なのは「NOVAうさぎのうた」だろう(笑)。もちろんこのCDには収録されていない。

 2004年・シングル収録曲20曲(上位5曲はレヴューつき)
 ※原則として1枚1曲。また、2004年に発売されたアルバムに収録されている曲は除外した。

 1:angela「Shangri-La」(作詞:atsuko、作曲:atsuko・KATSU/angela「Shangri-La」キングレコード・2004年8月)
 インディーズから、昨年、アニメ「宇宙のステルヴィア」のテーマソングでメジャーデビューし、一躍人気を獲得したユニットによる、「楽園」からの旅立ちを前にした葛藤を描いた歌。成人式実行委員会の私に言わせてもらえば、これは「成人式で歌いたい歌」だ(笑)。アニメ「蒼穹のファフナー」オープニング。

 2:tiaraway「想い出good night」(作詞・作曲:志倉千代丸/tiaraway「想い出good night/can you feel crying alone?」サイトロンディスク・2004年10月)
 tiarawayは声優の千葉紗子氏と南里侑香氏によるユニット。この歌は、千葉氏と南里氏をして「tiaraway解散か?」と思わせしめた別れの歌。親しかった人との想い出がフラッシュバックしてくるような歌詞と、千葉氏と南里氏のヴォーカルに魅せられる。卒業式で歌ったら最適かもしれない。もちろんユニットは解散しない。アニメ「W~wish~」エンディング。

 3:FictionJunction YUUKA「inside your heart」(作詞・作曲:梶浦由記/FictionJunction YUUKA「inside your heart」ビクターエンターテインメント・2004年7月)
 作曲家の梶浦由記氏のソロプロジェクト「FictionJunction」に、声優の南里侑香氏(YUUKA)が歌手として抜擢された。この歌は、聴くだけで夜明けの情景が脳裏に浮かんでくる。南里氏の歌唱と流れるようなメロディラインが魅力。ちなみにFinctionJunction YUUKAの最初のシングル「瞳の欠片」(ビクターエンターテインメント・2004年4月)のカップリング「nowhere」は、別な意味で有名な歌である。理由が知りたくば、検索サイトで「ヤンマーニ」で検索してみよ。アニメ「MADLAX」エンディング。

 4:皆川純子「TRUTH」(作詞:皆川純子、作曲:大久保薫/皆川純子「TRUTH/Darkness of chaos」キングレコード・2004年4月)
 暗い部屋で一人でたたずんでいる情景が浮かび上がってくる愛の歌。悲壮感が漂う皆川氏のヴォーカルに惹かれる。ちなみに、カップリングの「Darkness of chaos」(作詞・作曲:志倉千代丸)は、アルバム紹介で8番目に紹介した志倉千代丸氏の楽曲集にも収録されている。

 5:椎名へきる「メモリーズ」(作詞:椎名へきる、作曲:松本泰幸/椎名へきる「メモリーズ」ソニーレコード・2004年8月)
 声優として、歌手として歩んできた10年を、リスナーへのメッセージとして歌い上げた曲。椎名氏の真っ直ぐな想いが伝わってくる。唯一の難点は、この曲が収録されているCDがDVD付きであり、CDにもこの曲と伴奏だけのものしか収録されていないため、割高感を感じる。質でカヴァーしきれているが。

 6:水樹奈々「innocent starter」(作詞:水樹奈々、作曲:大平勉/水樹奈々「innocent starter」キングレコード・2004年10月)
 ※アニメ「魔法少女リリカルなのは」オープニング

 7:新居昭乃「懐かしい宇宙(うみ)」(作詞・作曲:新居昭乃/新居昭乃「懐かしい宇宙」ビクターエンターテインメント・2004年8月)
 ※アニメ「KURAU Phantom Memory」オープニング

 8:田村ゆかり「空の向こう側に」(作詞・作曲:太田雅友/田村ゆかり「夢見月のアリス」コナミメディアエンターテインメント・2004年5月)
 ※ラジオ番組「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」第3期エンディングテーマ

 9:高橋直純「還りの泉」(作詞・作曲:高橋直純/高橋直純「Keep on Dancin'」リアライズレコード・2004年4月)
 ※岩手放送50周年企画CD「FURUSATO~桃源郷イーハトーブの四季」提供曲

 10:JAM Project「VICTORY」(作詞:影山ヒロノブ、作曲:河野陽吾/JAM Project「VICTORY」ランティス・2004年4月)
 ※PS2ゲーム「スーパーロボット大戦MX」オープニング

 11:FictionJunction YUUKA「瞳の欠片」(作詞・作曲:梶浦由記/FictionJunction YUUKA「瞳の欠片」ビクターエンターテインメント・2004年4月)
 ※アニメ「MADLAX」オープニング

 12:野川さくら「Joyeux Noel ~聖なる夜の贈りもの~」(作詞:尾崎雪絵、作曲:影山ヒロノブ/野川さくら「Joyeux Noel ~聖なる夜の贈りもの~」ランティス・2004年12月)
 ※ラジオ番組「野川さくらのマシュマロ♪たいむ」エンディング

 13:下川みくに「悲しみに負けないで」(作詞・作曲:下川みくに/下川みくに「悲しみに負けないで/KOHAKU」フライトマスター・2004年10月)
 ※アニメ「グレネーダー ほほえみの閃士」エンディング

 14:水樹奈々「パノラマ -Panorama-」(作詞:水樹奈々、作曲:本間昭光/水樹奈々「パノラマ -Panorama-」(キングレコード・2004年4月)
 ※PS2ゲーム「ロスト・アヤ・ソフィア」オープニング

 15:村田あゆみ「Shining Star」(作詞・作曲:志倉千代丸/村田あゆみ「Shining Star――Memories Off ~それから~ feat. 村田あゆみ」サイトロンディスク・2004年7月)
 ※OVA「Memories Off 3.5」エンディング

 16:諏訪部順一「Believe in you」(作詞:Pazz、作曲:八七/諏訪部順一「Believe in you」NECインターチャネル・2004年1月)
 ※アニメ「テニスの王子様」キャラクターソング

 17:高橋直純「SUMMER WIND」(作詞・作曲:高橋直純/高橋直純「愛しくて」リアライズレコード・2004年8月)

 18:田村ゆかり「Sweet Darlin'」(作詞・作曲:太田雅友/田村ゆかり「Little Wish -lyrical step-」コナミメディアエンターテインメント・2004年10月)
 ※ラジオ番組「田村ゆかりのいたずら黒うさぎ」第4期オープニング

 19:堀江由衣、UNSCANDAL「スクランブル」(作詞・作曲:スズーキタカユキ/堀江由衣、UNSCANDAL「スクランブル」キングレコード、2004年10月)
 ※アニメ「スクールランブル」オープニング

 20:保志総一朗「Shining Tears」(作詞:近藤ナツコ、作曲:たかはしごう/保志総一朗「Shining Tears」キングレコード・2004年11月)
 ※PS2ゲーム「シャイニング・ティアーズ」オープニング

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