論壇私論:「論座」平成18年7月号
ベスト:特集「私と愛国心」
それにしても今月号は「内容的には反発したい部分もあるが、メッセージとして受け取ると深いものがある」というようなものが多かったような気がする。
この特集には「教育基本法 場外論戦」というサブタイトルがついているが、ベストにこの特集を採り上げたのは、単なる二元法を超えた鋭い意見がたくさん載っていたからである。これを読めば、俗流若者論を基盤とする「愛国心」論争がいかに脆弱なものであるかがよくわかる(まあ、この特集の中にも俗流若者論はいくつか見られたけど…)。その引用を、この特集への絶賛に代えたい。(平成18年6月21日追記:引用文の一部を修正しました。)
《我が国はなぜ先の大戦で壊滅的敗北を喫したか。……数字を詳細に分析し、理論的にそれを口にすれば、「貴様には愛国心がないのか!大和魂を持って闘えば鬼畜米英など恐れるに足らぬ!」などと罵倒され、誰も本当のことを言わなくなってしまったことに最大の原因があったのだろう。……昨今の妙に勇ましい「保守派」の論調にこれと一脈通じるものを感じるのは私だけではあるまい》(石破茂)
《世界中の国々がそれぞれの愛国主義を鼓吹したら、どのようなことになるのか。きわめて排他的なナショナリズムの対立を生みかねないであろう。そうではなく、すべての国の人たちを愛するという意味での愛国主義、すなわち人類愛に通ずる愛国主義というものはありえないのであろうか》(入江昭)
《いま現に生きていて、これからもそこに生き続けるだろう、私にとっての「人の世」である「日本国」を住みよくしなければならないと思っている》(奥武則)
《国旗や国歌に敬礼できない人々を私は気の毒だと思う。あわれである。しかし、人それぞれに独自の体験があり、「死に値する祖国はありや」という問いを圧殺してはならない》(粕谷一希)
《「自然」の観念は、ときに、ものごとを「当然」視する規範性を帯びる》(加藤節)
《しまつに悪いのは、こういう連中が、自らも弱き民衆も救えない「対愛国心処方箋」を出して日銭を稼いでいることである》(呉智英)
《「愛国」主義者は、愛国をもっぱら他人に求めるだけでなく、このセンチメントをイデオロギーに昇華させようとするが、上から矯正されないほうが、むしろ素直にクニを愛せるはずだ。……だから、素直にクニを愛しながら他方で知と理の立場から、つねに暴走しがちな国家主義をチェックすることが必要になる》(篠原一)
《ひたすら忠誠を誓うのが愛国心だと思う人たちには、考え直してほしい。馴れ合いと愛の違いを》(杉田敦)
《「自分こそが本当の愛国者だ」「いや、俺こそが愛国心を持っている」と、愚劣な「愛国者コンテスト」だ。いやな風潮だ》(鈴木邦男)
《何人かのニュース番組の司会者・コメンテーターが、教育基本法改正案を批判して「ナショナリズムは法律によって強制されるものではなく、自然と芽生えてくる心情の発露である」と発言していたが、これこそがナショナリズムに内包されたイデオロギー性そのものである》(中島岳志)
《国歌に対応する「愛国心」という目で近代以前の日本を見てしまうと、私の好きな「日本の社会のあり方」や「文化」がどこかに行ってしまう》(橋本治)
《確かに戦後教育においては、国家権力から独立した市民の育成が重視されたけれども、往々にして学校の内部にもう一つの「国歌」ができてしまうという矛盾に、私は遭遇していたといえる》(原武史)
《最近の教育はなっていない、子どもがだらしない、親がなっていないと嘆くのは、初老の域にさしかかったオジサンたちの共通の話題である。「最近、妻が冷たい」「子どもが口もきいてくれない」などと酩酊もせずに嘆くわけにもいかず、「学校」や「教育」を俎上に載せることで、鬱憤を晴らす》(保坂展人)
《「愛」は憤りや怒りと切り離すことができない》(本田由紀)
《インフラを愛する気はない。でもインフラは大切だ。だから丁重に扱う。尊重もする。でもそんな僕をもしもあなたが国民にあらずと呼称するならば、仕方がない、甘んじて非国民と呼ばれよう》(森達也)
あと、どーでもいい話だけど、吉田司氏の論考に「日本こそ最大のニート」なるタイトルをつけたのは誰ですか。小一時間問い詰めたい。
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ベター1:芹沢一也「犯罪季評 ホラーハウス社会を読む・2 「凶悪化する少年たち」というウソ」
通俗的な青少年問題に反論する際に語られるのは「少年犯罪は凶悪化していない」と統計や事例を引き合いに出すことである。しかし相手が「一人が異常なら若い世代はみんな異常」と思っているような人の場合は、このような論法はもはや通用しない。従って、最初にデータで相手を弱らせたあと、相手の思想的根幹を覆すような強烈な一撃を食らわすことが必要となる。
というわけで注目の連載第2回の見所は最後の1ページにある。昨今猖獗を極めている青少年バッシングの根幹に、「生活保守主義」=ただ自分の豊かな生活を守りたいとする態度が崩されることに対する不安の表現として「凶悪化する少年たち」が取りざたされていると分析する。確かに青少年バッシングには、自分の子供の頃を懐かしむものが多いからなあ。
ここ最近の若年層に対し私生活主義が蔓延していると嘆く諸君、最強の私生活主義の発露は若者論なのである(と、私も一発パンチを出してみる)。
ベター2:内田樹「Book Review『憲法とは何か』長谷部恭男」
実に深みのある書評である。この文章は長谷部恭男氏の『憲法とは何か』を下敷きにした、言論への「覚悟」を読者に問いかける文章になっている。《大きな声で時節をがなり立てる人たちがめざしているのは主に異論者に発言機会を与えないことである》《反対者の知性を信頼し、自らの行論の破綻の可能性をつねに吟味している人は必ず「静かな声で」語るようになる》などなど。
ベター3:東浩紀「潮流06 ゲーム大国らしい研究体制を」
我が国において、ゲーム・バッシングに血道を上げている人たちに、ゲームの社会的・文化的意義を説くことは果たして可能なのだろうか。そもそもゲームを「青少年に悪影響を与えるもの」としてしか語らない人たちと、ゲームに親しんできた人たち、及びゲームを多角的に研究する人たちの溝は著しい(何も今に始まったことではないけれども)。
《(筆者中:我が国においては)ゲームが「研究」「批評」の対象になるという認識そのものが希薄なのだ》、けだし至言。これはゲームだけではなく、アニメや漫画にもいえることだけれども、これらのサブカルチュアが「子供のもの」と真っ先に認識される時点で、社会学的・文学的な「研究」「批評」の道をかなり閉ざされているといえるかもしれない。
とりあえず、ゲームについて語った本を1冊読めるくらいの頭の体力ぐらい持っておきましょう、とだけ私はいっておく(あ、『ゲーム脳の恐怖』的な疑似科学本はだめ)。
ベター4:塩川正十郎、渡部恒三「“恐れるモノがない”政界ご意見番2人の方言&放言対談」
88ページ1段目に短絡的な青少年認識が伺えるけれども、別に気にならない。なぜなら、この対談自体が、読み物としておもしろいから。政治に関して通常の報道とは違った視点から眺めることができる。
ベター5:藤本順一「耐震強度偽装事件の真犯人は誰なのか」
耐震強度偽装事件の「真犯人」は規制緩和だ、という記事としてみれば割と月並みな文章だけれども、「都市再生」政策を攻撃している点に関しては斬新かな。
ワースト1:茂利勝彦「GARRELY RONZA 「ニッポン!!ニッポン!!ニッポン!!」」
W杯で熱心に日本チームを応援している人と、戦時中の「愛国心」に燃えた人が重なって見えるんだとさ。ああ、下らないねえ。茂利氏だけでなく、青少年の「右傾化」なるものを批判している人たちにとっては、青少年の一挙手一投足がすべて「右傾化」に見えて仕方ないんだろうなあ。もちろん、「戦後民主主義教育」で青少年が「おかしくなってしまった」と考える人にとっては、青少年の一挙手一投足がすべて「戦後教育の悪影響」となる。
こーゆー構造にどっぷり浸かっている人たちが気がつかないのが、青少年問題におけるナショナリズムの発露だ。通俗的青少年言説が、いかに「理想の青少年」とゆー名の私生活主義ナショナリズムに基づいているか、いい加減気がついてほしいもんだぜ、ベイベ。
ワースト2:西村正雄「次の総理に何を望むか」
101ページの「教育の振興と道徳心の涵養」という小見出しがつけられた部分で大爆笑。《人を大切にする日本的経営の良さが変貌し、勤勉、誠実、謙虚、優しさ、和を尊ぶなど日本人の美風が失われつつある》《教育分野における学力の低下、いじめ、学級崩壊、凶悪な少年犯罪の激増などの荒廃は目を覆うばかりだ》《私は「教育改革」こそが改革の本丸と信じている。個人の権利尊重に偏りすぎた結果様々な弊害を生じた現行の教育基本法を見直し、改革案に……戦後教育で忘れられた分限を盛り込んだことは評価すべきことである。これらはいずれも、市場原理主義とは相容れないものだ》だってさ。俺はそんな文言を100回以上は聞いた。死ぬまで言ってろ。
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